© 2013, Minoru AMANO Last updated 2013/02/06

 
私の読書論 2013

広島大学名誉教授
天野 實


最近色々な本を整理していたら、広大総合科学部を定年退職後広島工業大学に再職し、そこを定年退職する 前の 一年間は大学付属図書館の館長になった。 「図書館便り」を発行しており館長は必ず始めに一文を書くことになっていた。 私の書いたもの が最近出てきたの で下記に写してみる。


「読書は人生を十倍楽しくしてくれる」

(広島工業大学 図書館便り 1997, 第46 号)

最良の読書法は悪書を読まぬことである。
ショウペンハウエル
悪書(良書)をみつける最良の方法は多読である。
天野 實

三木清 哲学ノート諸君は私達の大学生時代がどんな時代だったと思うか。 第 二次世界大戦に負け、それまでに学校で習ったことは全て間違いであったと新聞雑誌は 勿論のこと学校の先生までもが話してくれた時代であった。 一体誰の言うことを信じたらよいのであろうかと自問自答するしか方法はなかった。  当時は食糧・物資が不足し、体力は極度に衰え、頭脳だけは明晰であった。 第二次大戦を起こさなければやって行かれないような国際情勢を 作って来た外国を憎むよりも戦争を起こした日本の指導者を憎み、今後は文化国家として日本を再建しなければならないとの思いばかりの生活で あった。 テレビなどはなく、映画・ラジオ・読書が唯一の楽しみであった。 立派な紙を使って作られた「リーダース・ダイジェスト」の売り出 しの日には本屋の前の 行列に並んで購入し、貪るように読んだものである。 印刷用の紙も、アメリカ軍の統制下であり、便所の落し紙に印刷して作ったような三木清の 「哲学ノート」(昭和21年3月定価拾円)は私の人生の指針になった本であり、今でも手許に置いている。 物不足でハングリーな時代であった からか、手に入れた本は熟読玩味、行間(眼光)紙背に徹すべく著者に語り掛け自問自答する読書の習慣がついてしまった。
 
「今の若い者は・・・・・」と言うつもりはない。 テレビの娯楽番組を筆頭にあらゆる分野の面白い事柄が次から次へと飛び込んで来る世の中で ある。新しく出版される本に関しても、毎週出てくるマンガ、週刊誌、毎月の膨大は数の新刊書、到底全てにいや万分の一にも目を通せるものでは ない。 例えばJR五日市駅前福屋ビル2階の本屋に行った時、「今日発売」とか「今よく売れている本」とか非常によく目につくように大きな字 で書かれたプラスチックの板が本の後ろに立ててあった。 表紙はきれいだし帯には如何にも此の本は面白いですよとか、役に立ちますよとかの文 字が躍っている。 一寸した時間潰しにはもってこいの場所である。

読書は人生経験を倍増、いや何十倍にも豊かにしてくれる方法である。

我々人間は誰でも死んで行く。 人生は限られた時間である。 読書でなくても、テレビ番組にしろ友人との雑談にしろ人生を豊かにしてくれるで はないかとの声が聞こえてくる。

しかしだ。 良い本を読む:良い本を熟読含味すること、著者と対話し自問自答して得られる体験、これは他のものでは得られな い特別なものであ る。

それでなくても忙しい世の中なのに、べらぼうに多い本の中から良い本を見つけ出し熟読せよと言われても到底不可能だ。毒舌家で知られている ショーペンハウエルも逆説的に言っているではないか「最良の読書法は悪書を読まぬことだ」と。 やはり手っ取り早いテレビが良いと思われるか もしれないが、学生諸君やはり騙されたと思って良い本を見つける努力をし、熟読玩味してもらいたい。 いかなることでも安易な近道はないもの だ。

良い本をみつけるには多くの本を読み自分で自分が良いと思う本をみつける以外に方法はないだろう。 しかし身近な所にある図書館だよりとか学 校の新入生向けの印刷物には人生の先輩方の推薦図書コーナーがある。広島工業大学の此の「図書館だより」昨年第44号には光易前図書館長が梅 棹忠夫の「知的生産の技術」のことを書いておられたが、どれだけの工大生が此の本を読んでくれたであろうか。

最近生命科学分野の流行語に「受容器」(英語レセプターの訳語)がある。 どんなすばらしい情報源、即ち生体内でホルモンなどが細胞の表面ま で到達してもそれに対するレセプターがなければそのメッセージは細胞の中に入り、核に到達して遺伝子の発現が起こらないことが分かって来た。  昔から「馬の耳に念仏」との諺があるようにいくら声を大にして語り掛けても、レセプターを自分で作り持たなければだめなのかなあと思いつつ 此の文章を書いている。

Schopenhauerどうか立派な図書館を持っている広島工 業大学の学生諸君、自分の人生は自分で創り上げるものだ。 色々な事柄について自分自身の意見を持ち (レセプターを持ち)人生経験豊富な先生方のすすめてくれる本を是非手に取ってみて下さい。良い書物に出逢う確率は非常に高い筈である。 図 書館とは先生の授業で出された課題について調べる時にのみ利用するものではなく、専門馬鹿にならないで人間性豊かな一生を送るに役立つ色々な 分野の本が沢山集められている所なのである。
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以上が「図書館だより」に書いた文章である。 冒頭にショウペンハウエルの一句を書いているのだが、何時どの本で読み記憶して いたものか思い出 せない。

ショウペンハウエルについては色々と面白い関わりがある。 広大総科の事務室で用度係りの藤川さんと喧嘩をしていた時に知らない方 を隣に座っておられた。 一段落した時に「私はドイツ語、ドイツ文学を教えている金森誠也です」と言われた。 私はドイツが好きで、特にショ ウペンハウエルが好きで今も、 Aphorismen zur Lebensweisheit の最初に出てくる シャンフォールの句は覚えていますと言って「幸福は容易(タヤス)く得らるべきものにあらず、之を身外に求めて得べからず。 之を身内 に求めて難中の難事たるを思はしむ。」 と言ったら、その紳士が「実は私はショウペンハウエルの専門家で、その本の訳本を出しているのです」 と言われ、皆で驚いた記憶がある。 次の日に立派な本「孤独と人生」250ページの本を頂いた。

原文) Le Bonheur n’est pas chose aisee: il est tre-difficile de le trouver en nous, et impossible de le trouver ailleurs. [Chamfor]
(独訳) Das Glueck ist nicht leicht zu haven, es ist sehr schwer, es in uns selbst, und unmoeglich, anderswo zu finden. [Schopenhauer]
(和訳) 幸福は容易(タヤス)く得らるべきものにあらず、 之を身外に求めて得べからず。 之を身内に求めて難中の難事たるを思はしむ。
(和訳) 幸福を得るのは容易ではない。それをわれら自らの うちに見出すのはかたく、他のところに見出すのは不可能である。[浅井真男訳]
(和訳) 幸福とはなまやさしいことではない。 われら自身 のなかにそれを見いだすこともむずかしいが、われら自身の外にそれを見いだすことはできない。[金森誠也訳]
 
彼金森先生については後日談がある。 総科創立35周年の同窓会の時に金森先生は東京から来ておられた。 昔話に花が咲き、周りの多くの人た ちも我々の再会を喜んでくれた。 彼は今、日本ショウペンハウエル協会の評議員をしておられる。 後日その時の写真と立派な本が送られてき た。 「心に突き刺さる:ショウペンハウアーの言葉」 「ひとつの言葉にふれるたび、あなたの中の世界が揺さぶられる。 読んでおいて、損は ない!」 PHP研究所2008、222ページ。

冒頭の逆説的な一句はどの本の何所にあったのだろうか?。 ショウペンハウエルに関する本は手元に数冊あるので一冊ずつパラパラと拾い読みし ていたら、一番古い、戦後のボロボロの紙の本、「ショウペンハウエル:論文集」佐久間政一訳、南北書園、昭和22年。 最後のページに Bought this book at Yayoido 1949,5,26. との自筆があった。旧制広島高等学校3年生の時に買って読んだ本だ。 目次に「読書と書籍」が目に止まった。 所々に赤線が引いてある。 読み進み50 ページを開いたら小さい紙切れが挟まっており、「良書を読む為には、悪書を読まざることが条件である」  が赤鉛筆で囲まれていた。 続けて 「何となれば生は短かく、時と力とは制限されているから」 と書いてある。 此れだ! 若い時にこの活字を見た時に、しかし待てよ! どう やって良書と悪書を区別し見つけることが出来るのか? この疑問の答えが長い間分らなかった。 齢70にして広島工大の図書館長になった頃、 やっと悪書(良書)を見つける最良の方法は多読であるとの結論に達した。
 
私の読書スピードは大変遅い方である。 又前に出てきた人が、どんな関係の人だったか忘れてしまうので、どんな本でも人名と役職、繋がり等を 紙に書いてそばに置いておく事にしている。 最近は暇なので、どんな本でも読後にもう一度思い出して、感想を書くことにしている。

長くなったが、もう一つだけ、俳句のことを書いておく。 諸君、外人さんと付き合うこともあると思うので・・・ 碓井益雄著:ものと人間の文 化史64.「蛙」法政大学出版局の数ページのコピーが出てきた。 色々な事が書いてあるのだが、芭蕉の一句の話が出ていた。 「古池や蛙飛び 込む水の音」著者の英訳は、
Old pond –frog jumping in-sound of water.
外人との話題に俳句を入れてみてはどうだろうか? 我が国の言葉の大変奥深いことを自慢するのも良 いと思う。 上の英訳では何とも味気ないね。 次に日本文学の外人研究者の英訳を書いて置く。「出典不明」
A lonely pond in aged-old stillness sleeps.
Apart, unstirred by sound or motion till.
Suddenly into a little frog leaps !
  By Dr. Curtis Hidden Page.
この両方の訳文を見せて、日本の文化の話をしてみてはどうでしょうか。 少しの時間は間が持てるの ではないでしょうか。

※編集注:このページは、天野先生からのメールを元に構成したものです。

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