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フィンランドの生活とイルマ・テスレ フ教授 (ヘルシンキだより #30)

 
大阪大学の学内報「阪大Now」 に海外レポートというコーナーがあります。海外留学や研修を終えた教官や事務官が、その様子をA4で3ページ程度に紹介するものです。そ して、私にも依頼 が来まして、2000年7月号に私の一文が上述のタイトルで掲載されました。専門の話は簡単にして、もっぱら他学部の方や事務の方でも興 味を持ってもらえ るように心がけました。また、医学・生物学関係の方が読まれても少しは面白いよう、歯の発生に関連した話を盛り込みました。
(以下、海外レポートの原稿から、体裁を変えて紹介)


ムー ミン、オーロラ、サンタクロース。フィンランドというとこんなキーワードが浮かぶのではないでしょうか? 音楽の好きな方なら、シ ベリウス(作曲家)とかサロネン(指揮者)、ヴァルティナ(ワールドミュージック・グループ)などの名前も浮かぶでしょう。カレワラ神話やサ ウナなどの文 化もあります。面積は日本の国土とほぼ同じで、しかも殆ど平野部からなるにもかかわらず、人口はわずかに500万人。それでいて、ノキアなど のハイテク産 業、マリメッコやアーリッカ、アラビアなどのデザインや工芸、アールトなどを輩出したフィンランド建築、ノルディックスキーやジャンプなどの ウィンタース ポーツ、ラリーやF1などのカーレースなどで世界をリードする一面を持ちます。そして、私どもの”歯の発生生物学”の分野では、イルマ・テス レフ教授 (Prof. Irma Thesleff)とその研究室がヘルシンキ大学にあり、世界をリードしているのです。私はこの研究室に1996年10月から1年間の滞在研 究をさせてい ただく機会があり、家族でフィンランドの生活を楽しみました。また、今年の1月にも短期ではありましたが、再訪問の機会を得ました。そこで、 これまでの見 聞を少しばかり紹介させていただこうと思います。

30-1 フィンランドの生活

国語はフィン・ウゴル語族のフィンランド語。ヨーロッパ語族とは大きく異なる言語です。また、フィンランド人の由来は、隣国のノルウェーやス ウェー デンの人々とは異なることが遺伝学的によく知られています。さらに北欧のなかにあって唯一の共和国(=国王がいない)であったり、国土の東側 はロシアと接 し、冷戦時代は何かと辛酸をなめた点でも北欧5カ国の中では違いの際だつ国です。しかし、治安がきわめてよく、人情の機微や素朴さは日本人と 通ずるところ があり、魚のおいしさ、乳製品やジャガイモのおいしさ、サウナの楽しみなど、住みつきたくなる魅力にあふれていました。

私たち家族が暮らしていたのは、ピヒライストンティエという郊外の住宅街でした。研究所まで歩いて15分くらいのところにあり、まわりには スーパーや保 育園と豊かな自然がありました。また、英語教育が行き届いており、どこに行っても英語が通じたのは特筆すべきことでした。

30-2 歯の発生生物学とテスレフ教授

歯は、堅くて骨のような組織ですが、発生生物学的には、毛、羽根などと同様、皮膚の付属器官であり、初期の発生段階では区別がつかないほど似 てい ます。また、肢芽(手足のもと)や昆虫の原基(幼虫の時期に作られる手足のもと)などの発生とも共通点があります。しかし、できあがってくる 「かたち」は ずいぶん異なりますし、その機能や性質にも大きな違いがあります。こうした点を遺伝子レベルで明らかにしていくことが我々の目的のひとつで す。

イルマ・テスレフ教授(写真1)は、旧姓をザクセンといい、シュペーマンの流れを汲む著名な発生生物学者ラウリ・ザクセン Lauri Saxen の姪にあたります。ラウリ・ザクセンは腎臓の器官培養を開発し、分子生物学的な解析研究の道を開いた研究者でした。彼女は、この叔父のもとで 器官培養を学 び、1980年代に歯胚の上皮と間葉の分離して培養する技術を確立し、さまざまな遺伝子の誘導関係を明らかにしました。また、近年では歯の発 生過程におけ る多くの遺伝子発現パターンをグラフィカルにまとめ、データベースとしてウェブで公開してこの分野に多大な貢献をしています。これまで2度の 来日をしてお り、今年の9月には3度目の来日を予定しています(吹田キャンパスで開かれる第42回歯科基礎医学会にて講演を予定しております)。テスレフ 教授は、毎 日、精力的に働いていますが、家庭に帰れば3人の子ども達の母親でもあります。人間的に魅力があり、研究室のメンバーからも敬愛されていまし た。

30-3 ヘルシンキ大学・生物工学研究所

生物工学研究所 Institute of Biotechnology(写真2)はヘルシンキ市郊外のヴィッキ Viikki 地区にあります。この研究所は発生生物学、神経生物学、糖鎖生物学、植物の分子生物学、コウボの分子生物学、酪酸バクテリア、ウィルス学など の研究部門と それをサポートする共通の支援部門(電顕、DNA合成、化学分析など)があります。すべてのスタッフは、契約制で数年おきに査定を受けます。 実はフィンラ ンドでは普通、終身雇用制ですが、研究の活性の低下を抑えるため、この研究所では契約制度を取り入れたのだそうです。そして、ヨーロッパでも 屈指のレベル を維持してきたのです。テスレフ教授も、歯学部臨床講座の教授という終身雇用の座を捨てて、この研究所に移ってきたひとりです。

フィンランドでは、教授(または講師)一人、技官一人、大学院生一人を基本のユニットとし、給料と研究費が支給されるようです。そして、それ 以外の人員 は教授のとってきた研究費で雇います。助教授や助手がいないこと、優秀な技官がいること、大学の授業料はただであり、学生や院生は奨学金をも らっているこ となどに、日本との大きな違いを感じました。テスレフ教授は、大きな研究費をコンスタントにとっており、2人の常勤技官、3人の非常勤技官、 1人のポスト ドク、10人近い大学院生からなるグループを率いていました。また、1996年の留学時に学内ネットワークがいち早く充実しており、研究室で は顕微鏡写真 の殆どすべてをデジタル写真で撮り、これをPC上で論文にするところまでシステムが出来ていたこと、ネットワーク専門の技官が各フロアにいた ことなどは、 私にとって驚きでした。

大学の付属施設については、感心したことが3つありました。まず、図書館が市民に開放されており、ネット接続しているPCをたくさん置いて あったことで す。また、学内の食堂(カフェテリア)が500円ぐらいで、おいしいランチを提供していました。そして、今回の再訪で宿泊したゲストハウス が、市内の中心 地に近いところにありながら閑静な場所にあり、調度品やサウナがすばらしかったことです。大学の使命や役割、学生への支援のあり方、来訪者の もてなしのあ り方などを考えるよい機会ともなりました。

30-4 フィンランドの四季

春は5月1日の Vappu の祭りから。夏は6月22日ごろの夏至祭がピーク。ゆるやかに秋になり、11月ごろから冬の到来です。年中、湿度が低く、暑くても寒くても快 適でした。汗 をかいてもすぐに乾きますし、サウナのあとも髪がすぐに乾きました。コンサートなどでの弦楽器やオルガンの音もよく響いていたように思いま す。研究室の中 では、例えばディープフリーザーを開けっ放しで作業をしていても霜がつかない、組織切片試料が乾くのも早い、有機溶媒などが揮発しやすくドラ フトでの作業 が欠かせない、など室内にいながら、気候の違いを感じることがよくありました。

夏は短いのですが、白夜(太陽がなかなか沈まない)のため、毎日はむしろ長く感じました。例えば、朝3時ごろから鳥が鳴き始め、夜は11時頃 まで電灯な しで本が読めるのです。寝不足になりがちなので、夏のカーテンは光を通さない厚めのものが使われます。しかし、本当にフィンランドの夏はすば らしい。フィ ンランドは別名「森と湖の国」といいますが、まさに緑の美しさ、湖沼の美しさは絶品でした。

冬は冬で楽しみました。白夜の反対で1日の日照時間はわずかに3?4時間。それで冬のカーテンは少しでも光を通す薄手のものが使われます。雪 は降っても 1日に3-5cm程度。さらさらのパウダースノーです。気温はマイナス5度から10度の日が続きますが、室内はTシャツ一枚で過ごせるほど快 適でした。湖 沼や川はもちろんのこと、海も凍結し、その上に雪が降り積もりますから、広い地面ができたような感じになります。そして、みんながその上で散 歩やスキー、 釣りなどを楽しみます。凍った海の上の散歩はとても不思議な感じでした(写真3)。クリスマスの頃と2月のスキーブレークには、フィンランド の北極圏の街 を訪ねました。最初は、ロヴァニエミでサンタクロース村やラップの博物館を楽しみました。2度目のときは、レヴィでロッジ風のホテルを借り オーロラ(写真 4)やクロスカントリースキーなどを楽しみました。

日本と比べ、フィンランドは小さな国です。しかし、豊かな自然が人々の生活の中に残り、豊かな文化と人のやさしさがありました。世界でもトッ プの携帯電 話普及率やインターネット普及率を誇る点では、ハイテク技術の生活への浸透もまた目を見張るものがありました。そして、そうしたものを反映す るように大学 自体もまた機能的であり、開放的でありました。イルマ・テスレフ教授からもそうですが、私は本当に多くのものを学び、帰ってくることができた のを嬉しく思 います。


【関連HP】
ヘルシンキ大学
http://www.helsinki.fi/english/
同・生物工学研究所
http://www.biocenter.helsinki.fi/bi/
テスレフ教授のデータベース
http://bite-it.helsinki.fi/
第42回歯科基礎医学会
http://www.dent.osaka-u.ac.jp/shikakiso/
私のプライベートHP
http://www.geocities.com/CollegePark/Union/9839/

写真1.イルマ・テスレフ教授。研究室の廊下で。新潟大学歯学部の大島勇人先生の撮影。 写真2.生物工学研究所。1997年夏の撮影。フィンランド建築の新しい名所でもあるらしく、建築関係の見学者も多い。 昨年、円形の 建物(図書館)も左手前にできた。 写真3.凍結した海の上を家族で散歩。気温はマイナス10度ぐらいだが、天気の良い日でとても気持ちがよい。白い雪の下 には分厚い氷 があり、海が透けて見える。後ろにヘルシンキの街が見える。 写真4.レヴィで見たオーロラ。北の方に現れる。気温はマイナス20度を下回っていた。活発に動き、風でたなびくカーテ ンのようだっ た。


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