© 2012, Tatsuyuki KAMIRYO ネアンデルタール人を推理する

11.皮膚や毛皮など

 前項の終わり方からして、ここではヒトの出現についての話が出てくると思われたでしょう。僕もそのつもりでしたけど、方針を変えました。「毛む くじゃら」や「丸ハダカ」と書いた勢いで、チンパンジーの毛皮とヒトの肌とがどう違うかを説明いたします。ところが、これが難しい。だからこそ、 ああいう言葉を使って、印象に訴えたのです。でも、いつかはしないといけない説明ですから、なんとか頑張りますよ。

 先ず、哺乳動物の皮膚の、一般的な説明からいきましょう。毛皮をもった動物にも、少しは毛のない肌の部分があります。イヌやネコの足の裏、肉球 とよばれる部分などはそうですね。どんな毛深い男性でも手の平は無毛です。それはそれとして、「皮膚」というモノは、外側の「表皮」とその下の 「真皮」とからできています。表皮は薄い(厚さは動物の種類や部位によって違うから、こういう表現にします)けれど、いずれは垢になって落ちる角 質化した細胞の層を一番外側にして、その奥に役割の違ういくつかの生きている細胞の層を含んでいます。真皮はもっと厚くて、革の主成分になるコ ラーゲンと、これを生産する細胞群とから成り立っています。そしてこの皮膚の下が、脂肪をたくわえた「皮下組織」になるわけです。血管は真皮にま でしか行っていません。

 毛皮の「毛」は、表皮の細胞が真皮へむかって入り込んでできた、「毛包」というフラスコのような形の組織の中で作られます。何本か作られる毛の うちの一本が、長くて太い「差し毛」です。これの集まりを離れて眺めるとヒョウ柄とかトラ縞とか、動物に固有の色や模様に見えるのです。同じ毛包 でつくられる、その他の短くて細い毛は「綿毛」とよばれます。この密生した綿毛こそが、毛皮の保温機能を担っているのです。四季のハッキリした地 方にすむ野生動物なら、年中同じ毛をもち続けることはありません。暑い季節が来る前に個々の毛包ごとに抜け毛して、綿毛の少ない夏毛に変わりま す。そして寒くなる前にまた抜け変わって、こんどは綿毛の多い防寒用の冬毛になるのです。もちろん差し毛も変わりますから、この機会を保護色の転 換に利用する動物もいます。

 「君子豹変」という諺がありますね。豹がこの抜け変わりで毛皮の斑紋を鮮やかに描きなおすように、過ちに気づいた君子はそれを改めて面目を一新 する、という意味でした。その「毛皮」ですけど、「革」との関係で、案外と厄介な用語です。君子豹変は、生きている豹の毛皮の話です。革というの は、死んだ動物の皮を加工した(なめした)製品のことです。「なめす」とは、皮膚のさらに内側にある皮下組織を除いて、柔軟で丈夫なモノにするこ とです。革靴なんかの革にするときは毛を取り去ってから、植物のシブ(タンニン)などをその加工に使います。防寒着の素材にするなら、冬毛の綿毛 を上手に残さないといけません。ところがシブはその大切な毛を傷めるから、昔はシブではなくその動物の脳ミソを使ったそうです。さて、毛を除いて なめしたモノを「革」というのは分かりやすいけれど、毛を残してなめしたモノを「毛皮」とよぶのが混乱のモトです。生の毛皮か、なめされた毛皮 か、文脈から読み取ってください。

 ここで、「毛むくじゃら」と「ハダカ」に戻ります。チンパンジーとヒトの皮膚の違いのことでした。両方とも約六百万年前の共通先祖から多様化し てきた生き物の皮膚ですから、そのつくりは基本的に同じです。と同時に、その六百万年のあいだに変わったところもあります。そう理解したうえで聞 いてください。現在のチンパンジーはアフリカ大陸の北緯十五度から南緯十度の範囲に納まる、それも限られた地域にしか住んでいません。赤道周辺の 熱帯雨林の中です。だから毛の抜け変わりは季節を問わずに行われて、同じ密度の綿毛を保っていることでしょう。ヒトの皮膚からは、共通先祖がもっ ていたはずの毛包の大部分が消えたようです。残っている毛包も、差し毛しか作りません。あなたにも綿毛はないでしょう? 性別による体毛の差を、 過大に評価するのは止めましょう。「性選択説」でヒトのハダカを説明しようとすれば、ダーウィン流のエセ科学に陥ってしまうからです。

 哺乳動物の中でヒトの皮膚に特徴的なことが、もう一つあります。汗を出す汗腺(エクリン腺型)が特別に多いことです。イヌなんかはこの汗腺が全 身にないから、暑いときは舌を出してハーハーやっています。おもしろいことは、イヌで唯一、汗腺のある場所は、あの無毛の肉球なんです。サルは 「犬猿の仲」を体現するかのように、全身の皮膚からエクリン腺型の汗を出します。競馬がお好きな方ならご存知でしょうけど、ウマも発汗します。し かしウマのかく汗は、一般には乳汁とかフェロモン物質を出す、アポクリン型の分泌腺から出ています。

 共通先祖から分岐した兄弟種のチンパンジーの皮膚と比べて、ヒトの皮膚の特徴を繰り返します。(一)、毛包の絶対数が少ない。(二)、残ってい る毛包も綿毛を作らない。(三)、汗腺の数が圧倒的に多い。これを見て、さらにヒトがアフリカで生まれたことを考えると、この三点を、サバンナの 日中の暑さという要素が自然選択した結果だ、と思いたくなるかもしれません。でももし、暑い地域の草原で生きる野生動物にとってハダカ化が生存に 有利なら、ライオンなどが昼休みしている木陰に入りたくないインパラやシマウマたちは、なんでハダカ化しなかったのでしょうか? 彼らはサバンナ の昼間の直射日光に身をさらしながら、なお毛皮を手放しておりません。必需品だからです。ヒトのハダカ化について、それが自然選択の結果でないこ とにはじめて気づいたのは、ウォレスでした。

 余談を一ついたします。自然選択についての論文を最初に発表しようとしたのは、当時マレー群島を旅行中のウォレスなのです。彼は立派な野外観察 者で、野生動物が変化(進化、多様化)していくことにも気づいていました。悲しいかな、彼には十分な学歴がなかったので、在野の研究者という立場 です。そのために直接、論文を学会に送ることができませんでした。そこでこの論文を、わずかに文通のあったダーウィンに送ってしまったのです。そ れまでダーウィンは世間の非難を恐れて、自然選択説の発表をためらっていました。しかし自説の先取権を奪われることが心配になった彼は、あわてて 自分も論文を書き、ウォレスの論文と同じ題名にして、ダーウィン、ウォレスの順に並べて学会発表したんです。野外観察の重要性を十二分にご存知の 島さんは、ウォレスがお好きのようです。彼も「安田講堂」の一件から、在野の研究者の立場を貫いておられますしね。


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