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私の予備校時代



1980年3月、大学受験に失敗。浪人して予備校に通うこ とになった。

得意科目がなかった。進路決定が遅れた。基礎学力が足りなかった。
勉強の質と量が足りなかった。勉強の仕方がわかっていなかった。

1年間で浪人生活から脱出できるのか。そもそも、勉強することが自分に合っているのか。
いろいろな不安を抱きながら、予備校生活が始まった。

[以下、1980年当時の話]



■1.北九州予備校北予備の夏

北九州予備校、略して、北予備(きたよび)は、当時、北九州では新興の予備校だった。自習室が完備されていて、勉強の習慣づけを重視してい た。小倉高校には明稜会という付属(のような)予備校があったのだが、自分は北予備を選んだ。

毎日、朝早く起きて、弁当と教科書をカバンに詰め、自転車で通った。いい席を取るには朝早く行く必要があるからだ。周 囲はいつも同じ顔が並ぶようになり、少し話をすることもあった。高校や中学時代の友人も居て、教え合うこともあった。

教室の後ろの方には、「たろうさん」たちの座る一角があった。たろうさんとは多浪生のことである。といっても、決し て不勉強なわけではなくて、数学の時など、びっくりするような見事な解法をしたりするし、講師の先生とのやりとりにも驚かされることがあった。自 分に必要な科目を受講するわけだが、とりわけ、数学と英語は勉強になった。


■2.数学の山本先生

少し小柄でやせていて、髪はオールバック。短めの指し棒をもっていて、黒板に書いた解法などを高めの張りのある声で説明する。いろいろな問題を考 えてきて、学生に解かせる。解かせている間に時々、独り言をつぶやく。それが面白い。

先生は気象大学校の出身で、気象の仕事をしていたらしい。肺をやられていて(結核? がん?)、片方しかない。窓から建築中の新 校舎を眺めながら、建築の手順の面白さを語ってくれた。「何にでも興味を持って、考えることが大事なんだよ」とも言っていた。

山本先生の解法はすばらしかった。数学のできる人の考え方、頭のさえは本当にすごいと思った。「大学への数学」(略して”だいすう”)とい う月刊誌がおもしろい、と言われていたので、自分もナガリ書店(後述)で立ち読みしたが、全然、歯が立たなかった。でも、毎日、結構な時間を数学 に使うようになり、時間を忘れ るほど集中できるようになった。証明問題の手順などは、山本先生のいう「建築の手順の面白さ」にも共通するのではないかと思ったりした。数学のことを好き になれたし、数学のできる人を尊敬するようになった。


■3.生物V

自分は理学部・生物学科に進むことにしていたし、もともと生物は好きな科目だったので、生物だけは誰にも負けないようにしたいと思った。それで、 ルーズリーフ・ノートで、全範囲を項目に分けてまとめながら覚えていった。

いろいろ調べているうちに教科書に勝る本はないとわかったので、友人たちに頼んで、いらなくなった教科書を集めた。数研出版、実教出版、東京書 籍、第一学習社など。予備校はいろんな高校から学生が来ているので、あっという間にたくさんの教科書が集まった。教科書によって、ずいぶんと中身 がち がうことに驚いたし、わかりやすくて面白い教科書も多かった。

当時は、生物T と 生物U に分かれていたのだが、さらに自由研究のようにして、生物Vという科目を自分で作って勉強した。生物分類の階層、地質年代、光合成回路、クエン酸回路、必 須アミノ酸、ヌクレオチドの構造などはこの時期に覚えたと思う。勉強ではあるけれど、息抜きのようなところもあって、数学や英語に疲れたら生物の 勉強をした。自分には、国語と倫理社会も息抜き的な要素があったので、この三科目は自然に伸びて、コンスタントに点を稼げる科目になった。5教科 7科目をセ ンター試験で受けねばならなかったのだが、文系科目で点を取れるのは強みだった。

徐々に生物の成績はあがってきたが、一度も満点はとれなかった。生物は満点をとりにくい科目で、化学や物理の方が有利だということを実感した。全 国模試では科目ごとのランキングが出るのだが、一番得意な生物でも、なかなか30番ぐらいの壁を破れなかった。だが、予備 校の中では知られるようになってきて、時々、学校の中で生物の質問を受け、その場で答えたり、教えたりすることができるようになった。先生よりも わかりやすいと言われたことがあって、うれしく思ったこともあった。


■4.ナガリ書店

よい本に出会うと勉強も面白くなる。楽しくなる。
北予備から少し歩くと魚町銀天街があり、そこにナガリ書店があった。

1階が一般書、2階が受験参考書、3階が理系書籍となっていて、2階で必要な本を探した。講義などでわからなかったことを調べるためだったが、そ のうち、自分に合った参考書や、わかりやすい本の識別などができるよう になり、チェックする範囲も広がっていった。赤本がずらりと並ぶ棚は圧巻だったし、3階にある専門的な本(主に工学書)にも刺激を受け た。

当時の小倉では、理系書籍はナガリ、文系書籍は金栄堂、コミックスは福屋だったと思うが、僕にとっては、ナガリが一番だった。たくさんの本を買っ たし、たくさんのことを学んだ。2006年ごろ、閉店してしまったけ れど、今でも、ナガリのような本屋に出会うとうれしいし、なつかしくもなる。


■5.モル計算モル法による化学I・U計算問題の解き方

ナガリ書店では「新自修英文典」とか、「旺文社・数学公式集」とか、今でも手放せない本との出会いがあったが、最も大きかったのは佐野俊介著「改 訂新版 モル法による化学I・U計算問題の解き方:高校化学量論の基礎」研数書院(1980)との出会いだ。

モル法というのは、分子のふるまいを考えるときに、「全てモルの単位をあてて考える」という方法だ。たとえば、水酸化ナトリウム(NaOH)の分 子量は 39.997 であるが、それは1モルあたりの重量であるから、実際には単位を付けて 39.997 g/mol と考える。0.1M (モーラー) の NaOH を作るのであれば、0.1 mol/L の溶液を作ればよいので、必要な NaOH は 39.997 g/mol x 0.1 mol/L = 3.9997 g/L となり、3.9997g の NaOH を秤量して、1Lの水に溶かせばよいことになる。

それまでよくわかっていなかったモルの概念がきっちりと頭にはいると、すべてをモルで考えることができるようになり、面白く なってきて、苦手意識がなくなった。無論、それだけでは化学の成績はあがらない。他にも覚えること、理解することが多々ある。けれど、後年、大学の研究室 でいろいろな試薬を作るようになると、モル数、モル濃度、ノルマル、重量パーセント、比重など、さまざまなことで役立った。自分にとっては、画期 的な本だった し、出会ったのは必然だったのかな、とも思う。


ナガリ書店についてはいろんな方が語っておられます。興味深いです。
小倉のナガリ書店 https://note.com/iidabashi_shacho/n/n82157e7af14e
ナガリ書店の閉店に思う https://noisycembalo.hatenadiary.jp/entry/20060412/p1
好きな書店(小倉ナガリ書店) http://folia.txt-nifty.com/musik/2005/09/post_bfef.html



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