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私のPC歴 (1) PC98 の時代



公私の必要から、多くのマシンに関わってきましたが、印象 に残っているマシンと言語を挙げてみようと思います。

私にとってのよいマシンとは、フリーズしないこと よいプログラム言語があること キーボードが使いやすいこと の3つで す。最速だとか高機能だと かいうのは二 の次なのです。

最初のころのコンピュータはまさに計算機。キーボード入力がまだ珍しく、ディスプレイも単色の8ドット表示。OSもありま せん。ソフト はユーザー自らが作るモノでした。記憶媒体もオープンリールやカセットテープから。ですから、FD は画期的でした。

最初のFDは、8インチディスクと大型でしたが、よく使ったのは 5インチディスク。これが、3.5 インチになり、なおかつ、320kB, 640kB, 1.2MB/1.44 MB と容量がアップ。今から考えると微々たる容量でしたが、1枚のFD でOSもソフトもデータも持ち運ぶことができる時代でした。第一、HDD も 20 MB とか、40MB だったのです。

パーソナルコンピュータは、1986年の NEC PC-9801F から大きく普及し始めます。これに、富士通、シャープ、エプソンなどが挑み続けながら、市場が大きくなっていきました。緑電子、メルコ(現在のバッファ ロー)、IO-DATA など周辺機器の専門メーカーが出てきました。電話回線を使ったパソコン通信を使うようになりました。まだ、 2400 bps 程度の転送速度しかなくて、テキストの送受信でせいいっぱいの時代でした。

言語の前についている記号は、 =相当使いました、= 時々使いまし た、= あまり使いませんでした、×= あきまへん、ぐらいの意味です。


■1.PC時代前 夜: 1981年〜

大型計算機 NEC ACOS6 1981年
「これからは、コンピュータを覚えなくては」と考え、大学の教養部時代に「情報概論」 という選択科目の授業を受けま す。入力はキーボード、記憶は8インチ のFD、プログラム編集はラインエディタ(1行ずつしか編集できない)でした。それでも、「君 達はいい。昨年の学生さんまでは、パンチカードで入力したのです。」と先生はのたもうのでした。

△Fortran:
情報概論で 学んだ初め ての言 語。出力形式が貧弱でしたが、それをいろいろと凝った形式にするところに妙な快感を覚えておりました。

△PASCAL:
やはり、情 報概論で学 んだ言語。分岐の 豊富さは○でしたが、宣言が面倒でなじめませんでした。また、構造化 がさっぱり わからないままで、終わってしまいました。

△BASIC:
授業では紹 介程度でし たが、ちょっと 使ってみて、「私には BASIC が丁度よいのかも」と密かに思いました。ただ、人のいうところでは、「BASIC は実用的ではない」とか、「数値計算が信用できない」とのことで、なんとなく堂々と使うのがはばかられるのでした。

ポケコン Sharp PC1251 1982年
初めて自分で買ったマシン。小さいキーでいろんなプログラムを打ち込み、自作プログラ ムを作りました。カタカナを苦労 して入力したのを思い出します。記憶 はすべてマイクロカセットに。出力は 8 dot で20文字幅の熱転写ロール紙でした。愛着度★★★

○S-BASIC:
Sharp PC-1251
Sharp PC-1251 (カタログより)

自作のプロ グラムのう ち、植物学実習で 植生と高度の相関関係を解析するために作ったものは、えらく先生や院 生の先輩達にほめられました。これをきっかけに 「BASIC でも十分に実用的なのだ」と思うことができ、かつプログラム作成のおもしろさを 感じました。友人 O の「麻雀の点数計算」ソフトなどにも大いに触発されました。


■2.NEC PC9801時代: 1986年〜

NEC PC-9801F (スタンドアローン機)
1984年
卒論で所属していた教室に入った当時最新のパソコン。CPU: NEC μPD8086-2 (5/8 MHz)、16bit、640kB 5’FDD 2基搭載。この 当時は、ビジネスソフトが少なく、ワープロを自作する人も結構いました。かなりの行数にわたるプログラムでも、すべてラ インエディタで入力していました し、カタカナはカナキー・モードにして入力していました。大変な時代でした。またプログラム専門誌などもありましたが、 ソースを打ち込むことに長時間を費 やすのもこのころの常でした。メディアは、2DD の5インチFD が1000円(1560円/1MB)。それでも「安い」と飛び付いていました。

◎NEC N88-BASIC(86) スタンドアローン版 Ver 2.0 - 6.0:
多数の関数とコマンド がプログラミング の楽しさを広げてくれました。また、記憶媒体が FD となり、ファイルを扱うプログラムが格段と楽になりました。後に Pigeonhole の原形となる文献管理ソフト RABIT を作りはじめます。


NEC PC-9801VM2 + MS-DOS 1986年
修論で所属していた教室で購入してもらった当時最新のパソ コン。CPU: NEC V30 (5/8 MHz)、16bit、1MB 5’FDD 2基搭載。この頃、2HD の5インチFD が主流になりはじめました。愛着度★★★

○Microsoft MS-Basic:
PC-9801VM2
NEC PC-9801VM2
(カタログ写真から)
私にとってパソコンの 神様のような先輩 T さんから紹介されました。私はあまり使いませんでしたが、そのインタープリタが、わずかに数十KBしかないのに気づいたときは感動しました。

◎NEC N88-BASIC(86) MS-DOS版 Ver 2.0 - 6.0:
ランタイム・ライブラ リ型のコンパイル ができる 実用性に富んだ言語でした。現在の VB のDLL型とよく似たコンパイル形式です。後にFEP(フロントエンドプロセッサ)にも対応し、2バイト系の日本語入力が容易になり ます。しかし、初期は 日本語処理に相当、苦労した思い出があります。The BASIC(今はなき最強のプログラム啓蒙誌)を定期購読しつつ、様々な試みをしました。プリンタ言語や dBASE, Batch, Script, アセンブラ、ファンクションコールなど関連しそうなものは片っ端から使い方を覚えました。でも相変わらず、GOTO 地獄でスパゲッティプログラムを書いていました。スパゲッティなりの特殊なループの抜け方や飛び込み方も利用はしましたが。

○MS-DOS Batch:
DOSのアプリケー ション起動や FEP の切替に多くのバッチメニューを書くようになりました。さまざまなDOSコマンドを覚え、OSとプログラムの役割の違いがはっきりと するようになります。 そしてマシン語に頼らざるを得ない部分も理解するようになります。

◎Ashton-Tate dBASE II - III plus:
高校時代のクラブの OB会の運営を引き 受けることになり、後輩 F くんから勧められました。私にとって初のリレーショナルデータベース言語。リレーショナルの部分はあまり理解できないままでしたが、 さまざまなデータ・ ファイル形式についてや検索方法についての知識を得ることができました。プログラムが組めるだけでなく、コンパイルまで出来てしまう し、日本語入力もでき るしで、N88-BASIC よりも進んでいるところがありました。一時期、結構はまりました。

EPSON PC-286V + MS-DOS 1988年
学生結婚してしまい、カミさんに食わせてもらいながら、な おかつ買ってもらってしまった自宅マシン第1号(ポケコン PC1251 を入れると第2号か?)。その後も周辺機器を少しずつ買い足して私の98ライフを支えてくれます。なお、この頃、2HD 3.5インチFDが出まわりはじめます。ワープロ専用機の普及のおかげもあるでしょう。でも、1枚350円ぐらいでし た。愛着度★★★

◎Microsoft Quick BASIC Ver 4.2/4.5:
N88-BASIC で不満だったのは、独立型の実行ファイルをコンパイルできなかったこと。それで、BASIC 98/Fast や、Quick C, Turbo C, Turbo PASCAL などに色気を感じはじめていたころに、この QB日本語版 がデビュー。スムーズに移行しました。PASCAL の時にはよくわからなかった構造化言語のありがたさをはじめて実感。自作関数やサブルーチンの作りやすさ、引数の管理も簡単で、これ らの利点はコンパイル の利点をしのぐ大きなものだと感じるようになるのに時間がかかりませんでした。文献管理ソフト RABIT Ver. 9 を Ver. 10 として移植開始。この過程で得られたノウハウを基に、サブルーチン・プログラムを The BASIC に公開しました。原稿料のありがたかったこと。

EPSON PC-286NOTE F + MS-DOS 1990年
CPU: NEC V30 (10MHz)、16bit、RAM 640kB、1MB 3.55’FDD x 1。夢 の ノート型パソコン。当時としては高速の 2400bps 内蔵モデムカードもつけてパソコン通信を始めます。Nifty-serve に加入。パソコンの役割が変わりはじめました。液晶にバックライトが付いて無くて、暗いところでは目を近づけて作業 していました。でも、これで私は学位論 文を書きました。愛 着度★★
EPSON PC-386S + MS-DOS 1991年
CPU: NEC i386SX (25MHz)、32bit、1.6MB、1MB 3.55’FDD x 2。研 究室で購入した初の 32bit パソコン。複数ユーザーのためにいろいろと便宜を図ったり、レーザープリンタの接続などを体験したマシン。2HD の5インチ FD がまだ幅をきかせておりました(1枚100円ぐらい: 83.3円/MB)。

Epson PC286nf
Epson PC-286nf

◎MS-DOS Batch:
DOSのアプリケーション起動や FEP の切替に多くのバッチメニューを書くようになりました。さまざまなDOSコマンドを覚え、OSとプログラムの役割の違いがはっき りとするようになります。 そしてマシン語に頼らざるを得ない部分も理解するようになります。複雑なバッチなどを組むことができるようになります。

○sed:
スクリプト言語に出会います。AWK や grep に出会ったのもこの頃。でも、使う時はもっぱら sed でした。「sed パズルブック」という面白い本や、「sed 問答」というBBSがあり、私もパズル感覚で使っていました。

NEC PC-9801NS/L + MS-DOS 1993年
CPU: NEC i386SX (20MHz)、32bit、RAM 640kB、1MB 3.55’FDD 1基搭載。自作の 文献管理ソフト RABIT Ver. 10 を 文献管理 Pigeonhole Ver. 0 と して Nifty-serve で公開するようになります。マニュアル作成のためなどに Vz エディタ、プリント出力のために PRT++、文書整形のために XTR、ファイル管理のために FD、ファイル圧縮のために LHA など、多くのシェアウェア、フリーウェアを使うようになります。この頃、2HD 3.5インチFDが、1枚50円ぐらいにまで下がりました(41.66円/1MB)が、新たに 230MB MO (1枚2500円: 10.86円/1MB)が出始め、すでに記憶単価ではFDよりも安くなっていました。フィンランド 留学時にもっていった3台のうちの1台でもあり、最後まで使い続けた PC-9801 ですが、2004年2月ごろから動作不安定となり、ついに廃棄。愛着度★★★
NEC PC-9801 NA/C + MS-DOS 1997年
CPU: NEC 486SX (33MHz)、RAM 2.6MB、32bit、3.5’FDD x 1、8.9’カラーCRT(16色)。1993 年、120MB HD 内蔵で 64万円もしたこの名機が、中古とはいえ 340MB HD 内蔵で5万円。私のために働いてくれた多くの98マシンの内容をこの1台にすべて移植・集約し、遅れ ばせながら私に とっての98時代を終わらせました。


■3. Apple / Macintosh  1992年〜

Apple Macintosh II si + System 7 1992年
グラ フィック関係のアプリケーションやワープロが充実して いるために教室で購入。私にとって遅ればせながらの Mac元年となりました。しかし、やはり 98をメインに使い続けます。
Apple PowerBook 180C + System 7
1994年
ラップトップとしては軽量で、しかもカラー液晶。とても手 がでないと思っていたら、18万円という安さで中古が出ていて、なかば衝動買い。職場では、 8100/80AV や、7300/166、G3 と次々 Mac のグレードアップが続きましたが、私は Mac 離れが進み、98 から Win マシンへと移行します。いろいろと高い志もあったのですが、この Mac は使わなくなって、当時3歳の子供の遊び相手になっていきました。フィンランド留学時にもっていった3台のうちの1 台。

Mac PowerBook 180C
Apple PowerBook 180C
(Wikipedia より)

△HyperCard:
マック購入の動機のひとつにハイパーカード言語の修得がありました。面白い言語(というかアプリ)だと思いま したが、使い道を考えつかな くて、 途中で挫折。でも、ここで馴染んでいたのが、後のHTMLの修 得に役立ちます。

△Microsoft Quick BASIC (Mac版):
T-zone 大阪・日本橋店 で購入し損ねました。悔やまれます。


△Staz Software Future BASIC II:
QB に似ていたのですが、アップル特有の仕様になじまなくて挫折。


■4.PC-DOS: 1995 年〜

Hewlet-Packerd HP100LX + PC-DOS 1995年
義兄か ら譲り受けた「夢」のポケットマシン。私にとって初 のPC-DOSマシンでもあり、さまざまな試みを行うよいきっかけとなりました。また、後に 200LX も購入してしまいます。「日本語化計画」をはじめとするさまざまなユーザー活動があり、パソコン黎明期の雰囲気を思 い出させてくれたマシンでもありました。メモリはフルサイズのPCカード、通信にRS232C、電源は単3電池2本 でしたが、これらをSDカード、USB、リチ ウムバッテリにすれば、現在でも通 用する良いマシンに生まれ変わる気もします。愛着度★★

HP
                    100LX
HP100LX と HP200LX

◎Lotus 1-2-3:
い まさらながらの表計算でしたが、内蔵PIM のうち、これにはまりました。これだけのために 100LX が手放せなくなりました。


○Microsoft QBASIC (PC-DOS版):
おりよく、ラボで導入した OS/2 マシンの PC-DOS (ダブルブートにしていた)に QBASIC(Quick BASIC のインタプリタのみをとりだしたサブセット版)をみつけます。使い慣れた PC-9801 対応版とは異なる所も多かったのですが、HP でプログラミングする楽しさで、すぐに克服。

○Microsoft Quick BASIC 4.5 (PC-DOS版):
T- zone でフルセット版を購入。これでコンパイルできるようになり、分子量計算ソフト MW を Niftyserve に公開します。


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