© 1996-1997, Kyu-hachi TABATA
ヘルシンキだより #9 1997- 3-31 記
クリスマス頃は、日の出が 9:30、日の入りが
15:20(昼の3時すぎには暗くなる!)と日照時間がわずかに6時間弱でしたが、3月末のこの頃は、日の出が 6:00、日の入りが
19:00
と日照時間がなんと13時間もあります。わずか3ヶ月で、みるみるうちに一日がながーくなってきました。この先、どんどん日が長くなり、白夜
の夏を迎えま す。北欧では、冬用のカーテンは薄手のもの、夏用には厚手のものを使います。なぜなら、夏の夜は明るすぎて眠れないからです。
なおイースター(3月30日)の朝から、10月25日までサマータイムになります。この間、日本との時差は1時間縮まり、6時間となります
(日本の 昼1時が、こちらの朝7時)。
9-1 Anne の出発(3月26日)
Anne が2年間のアメリカ留学へと出発しました。彼女は、Irma
のラボがまだ小さかった頃からのドクターコースの学生で、Anna-Maija, Seppo, Anne, Carin のたった4人と
Irma だけだったころがあったそうです。昨年の6月に学位をとり、その後はリボザイムで Shh
のKOを器官培養で行う実験を行っていました。留学先は、コールドスプリングハーバーで、新しいテーマは Alternative
splicing
だそうです。送別会(21日)は、彼女自身がアレンジしたさっぱりしたものでした。出発の前日までいつもどおりの仕事をし、みんなに「さよな
ら」を言って 軽やかに去ってゆきました。
9-2 イースター(3月30日)
イースターは春の子供のお祭です。二人で組みになり、顔をペイントして猫の様にしたり、魔女の様にしたりして、家々をまわります。嬉しい事
に、私達
の家にもかわいい魔女達がやってきました(3月23日)。何かのおまじないを唱えてくれて、鳥の羽や色紙で飾り付けたネコヤナギの新芽の枝を
渡してくれま した。こちらは、御礼にチョコレートやキャンデーを渡します。
イースターの前後は、イースターフライデーとイースターマンデーという祝日がついて、金曜日から月曜日まで4日の連休となりました。
9-3 エリツィン−クリントン会談(3月20日〜)
フィンランドは昔から、中立政策をとっており、また治安がきわめてよいことから、しばしば東西の首脳会談や国際会議の場を提供して来た国で
す。そし
て、今回はエリツィン−クリントン会談が開かれましたが、この国の人々にとって、こういったイベントがきわめて普通なので驚きました。まず、
会談の期間、
これといった交通の混乱がありませんでした。3月22日(土)はたまたまヘルシンキ市内の中心地近くで、両国首脳の車の列が通るのを見る事が
できました
が、これまた、あまりに普通(混乱がない)なので驚きました。勿論、警官が出て交通封鎖を短時間行いますし、足をとめた人々には好奇心が伺え
るのですが、
概して静かなのです。持っていたビデオカメラを構えておりましたが、警官はとがめる様子もありません。そして、リムジン(エリツィンが乗って
いた)と大型 の救急車(車いすのクリントン用?)は、目の前を走って行きました。
9-4 日本語補習校の終業式(3月22日)
綾子の通っている日本語補習校の3学期が終わり、終業式がありました。F組(幼児部)担任の黒澤美佐先生からは綾子に通信簿が渡されました。
1月か らの短期間にもかかわらず、細かなところまで行き届いた評価に感心しました。
9-5 日本語補習校の役員を引き受ける(3月22日)
綾子の通っている日本語補習校の役員改選があり、その役員を引き受けることになってしまいました。今年10月までの滞在予定ですから、在任期
間を
まっとうできない旨を伝えましたが、以降は補欠をとるので構わないとのこと。実際、こういうことは、長期滞在の人や、在フィンランド日本人に
集中しがちで す。短期間であれ、お役に立てるのであれば引き受けるべきだと考えた結果の受諾でした。
9-6 家の中のこと
家移りした直後は、台所に食事をするためのテーブルセット、居間には勉強机とソファ、寝室にはフトン(フィンランドは健康志向が強く、日本風
布団が ある。1枚は Anne
から中古を購入。1枚は新品を購入)があるだけでした。その後、3つの大きな窓にカーテンとブラインドをつけました。カーペットも2枚、ソ
ファーに合わせ
たローテーブル、木のテーブルといすのセット、それと本棚も買いました。食器類や鍋などもそろえました。どれも安いものでそろえましたが、そ
れでも結構な 金額になりました。家移りする時は、広く感じた部屋でしたが、「すぐに狭くなるよ」と言われたとおりになってきました。
9-7 コンピュータの再セットアップ
大島先生が Windows 95 のエキスパートなので、私もメインマシンの TP (IBM ThinkPad 755CDV) を
Windows 3.1 から、Win 95 にいよいよ(やっと?)Version Up しようと考えはじめました。DOS
でほとんどの事をやって来た自分にとって、Win 95 は、かなり高いハードルです。しかし、Irma のラボでは、Win 95
マシンがメインマシンですし、世の趨勢となりつつあります。それに加えて大島先生がサポートしてくれたらとても安心です。そこで、Win
95 導入の前段階として、次のような作業を行いました。
1. TP のバックアップ:1.2 GB のハードディスクのうち、800 MB
を使用していました。そして一度もバックアップをとったことがありませんでした。そこで、MO ドライブをつなぎ、650 MB MO
2枚にバックアップをとりました。1日仕事でした。
2. 各マシン間のクロストーク:98 (NEC PC9801NS/L) と TP 間はマックスリンクで、HP (Heulett
Packard 100LX) と TP 間は RDISK でつなぎ、TP につないだ MO にバックアップをとりました。
3. TP への新ドライバ導入:Win 95 導入に対応するために、BIOS、DSP ドライバ、MWave ソフト、IrDA
ドライバ、SCSI
ドライバの更新が必要です。すべて、FTPサイトからダウンロードして来ました。これは大島先生からの示唆によるもので、BBS世代の自分に
は 、インターネットからのダウンロードなど思い付きませんでした。
4. TP のシェイプアップ:まず、OS/2 Version 3.0 warp, 98V (PC9801 Emulator),
Executor (Macintosh II emulator)
などを消去しました。これらは、留学前、マシンを1台にするために行った努力の結晶なのですが、結局、98 も Mac
(Macintosh PowerBook 180c) も持って来たので、不要になっていたのです。
5. TP への Stacker 導入:フラッシュディスクを介して HP - TP
のデータ交換ができるようになり、飛躍的に便利になりました。Stacker の標準インストーラは、PC-DOS 7.0/V
に対応していなくて、マニュアルインストールが必要だったのです。
6. TP の FEP 強化:98 で育てて来た FEP 辞書類を TP に移しました。
7. HP の 日本語−英語辞書(ENG2JAP.EXM)の強化:ライフサイエンス辞書や複数の辞書をマージしました。このほか、HP
では多くのブラッシュアップを行い、HP が相当に強化されました。 >