© 1996-1997, Kyu-hachi TABATA
ヘルシンキだより #10 1997- 5- 3 記
三寒四温という言葉が、この国の春にもあてはまる様で、寒い日と暖かい日が交互に続きます。こちらは、まだ木の芽も開いておりませんし、雪も
まだ降る日があります。それでも日に日に暖かくなり、鳥達の朝のさえずりに春を感じます。
10-1 なごり雪(4月3日)
まるで桜吹雪のようなぼたん雪が、風に吹かれながら降っておりまして、花見の風情でした。この国では、雪というとパウダースノーなので(乾燥
しているから?)、ぼたん雪はとてもめずらしいのです。日本の桜の季節と重なり、何かと外をみとれて過ごした一日となりました。
10-2 ウィスキーパーティ(4月5日)
ハヤト(大島勇人先生)のフラットで、David, Thomas, Makoto, Hayato
の4人が集り、ウィスキーパーティをしました。開けたばかりの Royal Salute が空になり、David のGlen Fedic
と ハヤトの Yamasaki も開封となりました。
10-3 郡司先生と知り合う(4月6日)
郡司勇二という先生と知り合いになりました。彼は、自治医大から来ている Medical Docter で、Kari Aritaro
のラボ(血管内皮細胞の増殖因子で有名。ヘルシンキ大学ハールトマン研究所)に3年の予定で留学中。子供を通じて、かみさん同士が仲良くなり、ついに私共
も知り合いました。子供の日本語補習学校のあと、家族で私共のフラットに来てくれて、食事やサウナを楽しみながら、互いの研究のことで話がは
ずみました。
10-4 ハールトマン研究所と医学部付属病院
ハールトマン研究所は、ヘルシンキ大学医学部地区(ヘルシンキ市の西端のメイラーン)にある基礎医学を主とした研究所です。Tabby
の共同研究をしている Juha もこのハールトマン研究所の所属で、私も月に1度は meeting
のためにこの研究所に来ます。同地区にある医学部付属病院は、地上14階、地下3階の近代的な高層ビルで、ヘリポートも併設しています。
10-5 仕事の状況
こちらでやっている仕事ですが、やっと EGF-R のタンパクの分布をおさえたと思っていたのですが、Irma が check
して、これは駄目だ、信用出来ない、今までの記述とは矛盾するといわれてしまいました。説明を受けて、勿論、納得しましたが、また抗体を探して、買って、
条件を決めて、、、とやりなおしです。ちょっとまいりました。
短期間で免疫染色のいい結果を出すのは、結構、難しいと感じております。Irma
のラボの得意な系をもっと活かした仕事にシフトしてゆくことを考えております。多分、in situ
と器官培養へと重点を移すことになるでしょう。
一方、同僚となったハヤトと話をする度に「形態」の重要性を考えるこの頃です。Irma
のラボは「形態に弱い」のと「細胞レベルでの視点がない」のが欠点だというのが共通の意見です。この点で、ハヤトとマコトのレーゾンレートル
がある! などとぶっているところです。
10-6 Tvarminne 研修 (4月21日〜22日)
ヘルシンキ市から西へバスで2時間ほどの場所にある大学の付属臨海実験所兼セミナーハウス Tvarminne
で発生生物学グループ合同の研修旅行がありました。Irma Thesleff(歯の発生)、Hanne
Sariola(腎の発生)、Christoph
Roo(ショウジョウバエの卵形成)の3グループのポスドク・院生・技官総出のおおがかりなものでした。
初日:まず、4人の演者によるテクニカル・セミナーがあり、技官も含めてさまざまなテクニックについての短所・長所、コツや注意が討論されま
した。軽い夕食の後、Lauri Saxen の発生生物学のセミナーがありました。Saxen
は、フィンランドの発生生物学者のリーダー的存在で、腎発生研究の泰斗です。多くの人に慕われていて、皆、彼の事をトゥプ Tupu
という愛称で呼びます。Irma の叔父さんにあたり、彼女自身、God father
と呼んでいました(名付け親? 後見人?)。何でも、日本で「発生生物学の50年」とかいう国際学会があり、帰って来たばかりだとかで、日本
の風景のスライド十数枚を見せてくれるというおまけつきでした。日本では、すでに桜は終わり、ツツジの季節なのだと知りました。また、彼の話
の中心は両生類の初期発生における誘導現象についてでして、この点でも、私の以前のフィールドに近接しており、楽しく興味深いセミナーでし
た。
このセミナーのあとサウナ。先に女性から入る事になり、その間、男はほぼ全員でサッカーを野原で楽しみました。前半、走りまわったツケがきつ
くて、後半はゴールキーパーをしましたが、これが結構、楽しいポジションでした。そして、サウナ。サウナ小屋は海辺に立っている100坪ぐら
いの平屋でした。サウナ室は8畳ぐらいの広さで、窓からは海辺が見えるすばらしいものでした。全員(16名ほど)が、一度にサウナにはいり、
十分あったまると、戸外に出て、体を冷やします。海辺に突堤がでており、そこからハシゴで海に入る事が出来ます。話には聞いておりましたが、
この凍るような海に裸で入り、泳ぐ、という行為を目の当たりにしました。勿論、全員ではありません。ごく数名だけですが。私もトライしました
が、腰のあたりまでつかったところで、ギブアップ。足先がしびれるように痛く(冷たさはあまり感じない)、またサウナで体を温めました。そし
て、今度は、ビール。サウナ小屋の真ん中には暖炉をもつ大きな部屋があります。その部屋で、みな、裸のまま、またはタオルやガウンをはおっ
て、ビールを呑みながら歓談します。ビールを持ってサウナに入るのもなかなかよいものでした。結構、体が熱くなり、ビール瓶をもつ手も熱く
なっていても、その瓶の中は冷たいままで、のどを通る時のビールの冷たさと旨さは格別だったからです。サウナのあと、豪華な飲み会がありまし
た。
2日目:早朝、目が覚めて、辺りをひとりで散策。途中から、Anja Tuomi
と一緒になっていろいろな植物などを観察してまわりました。Sinivuokko(スハマソウの仲間)という青い小さな花の群生や、
Leskenlehti という福寿草によく似た黄色い花(フキタンポポ)を見つけました。福寿草は、Anja
によるとフィンランドでも春の訪れをしらせる花だということでした。
Sinivuokko は、葉の形が肝臓の形をしていておもしろいと思っていたら、後日、英名が、Hepatica または
Liverleaf という肝臓にちなんだものだということを知りました。また、案内してくれた Anja Tuomi の
Tuomi(ツオミ)も植物の名(和名エゾウワミズザクラ)、私たちの住んでいる
Pihlajistontie(ピヒライストンティエ)というのも「ナナカマド通り」という意味でした。
朝食のあと、4つのグループに分かれて、ミーティング。個々の研究内容とテクニカルな話題についての報告と討論を一人30分ぐらいづつ話し合
うというものでした。私達のグループは、Christoph をリーダーとして、Xiaojuan, Maria, Anne,
Keijo, Johanna, Anja Tuomi
そして私の8人です。話がはずみ過ぎて、後半の予定だった私を含む3人は持ち時間が足りなくなるという状況でしたが、楽しく、実のあるミーティングでし
た。
10-7 春の祭 Vappu (4月31日〜5月1日)
5月1日は、春の到来を喜ぶ
Vappu(ヴァップ)という祭りでした。前日から、街の中心部に卒業したばかりの学生たちが大勢繰り出し、徹夜で酒を飲みかわします。こちらでは高校を
卒業すると白い学生帽をかぶることができるのですが、この帽子はいわばエリートの証しです。そして、前日のハービス・アマンダ像への白帽子戴
冠の儀式のあと、彼らはいっせいに誇らしげに帽子を着用し、シャンパンやビールで祝杯をあげ始めます。いってみれば、野外で行う合同の卒業コ
ンパですね。そして、学生時代を懐かしむ人々が集う日でもあるようです。ヘルシンキのメインストリート、エスプラナーディ通りは白い学制帽を
かぶった老若男女でごったがえしていました。