© 2012, Tatsuyuki KAMIRYO ネアンデルタール人を推理する

3.学問と小説

シャクリー ネアンデルタール人 『ケーブ・ベアの一族』の原作の出版は昭和五十五年(1980)の五月四日ですから、ジーン・アウル が利用できたのは、せいぜいその前年までの 情報でしょう。この年は、米中国交樹立ではじまっています。イランでイスラム革命が起こり、英国ではサッチャーが初の女性首相として登場しまし た。NECのパソコン「PC-8001」が発売され、韓国の朴正煕大統領が暗殺されました。「江夏の二十一球」で広島カープが日本シリーズを 初制 覇して、その二週間後には、国際陸連公認の初の女性限定マラソンが東京で行われたのです。年の暮れにはソ連がアフガニスタンに侵攻しました。ソ連 の崩壊はピッタリその十二年後です。

 さて、マ イラ・シャクリー(Myra L. Shackley)の『ネアンデルタール人(Neanderthal Man, 1980)』学生社(昭和60年)も、原書は昭和五十五年の出版です。当時のアウルは、この本を知らなかったでしょう。けれど、 そこ で述べられている情報 の多くは、アウルも共有していたと思われます。シャクリーの本で強調されていることの一つは、彼らがホラアナグマ(ケーブ・ベア)と深い関係を もっていたことです。その証拠は、ヨーロッパの広い範囲にわたるネアンデルタール人の遺跡で、動物の骨を調べた結果から得られています。そう いう 遺跡に残された獣骨を調べてみますと、どこでもホラアナグマの骨が圧倒的に多いのです。ハンガリーの遺跡では、約二十種類の大型動物の骨が確認さ れていて、なんとその七割がホラアナグマだったそうです。

 スイスの洞窟では、七個のホラアナグマの頭骨が、石で囲われた場所に頭を入り口に向けて並べられていました。フランスの遺跡では、一トンほ どの 平石で覆われた四角く掘られた穴の中に、二十頭分のこのクマの骨が納められていました。彼らの遺跡からは、ヒグマ、サイ、ウマ、ウシ(原牛と野 牛)、トナカイ、マンモス、などの大型動物の骨も出てきます。これらのことから、少なくとも二つの大切な結論が導き出されます。一つ目は、ネ アン デルタール人が、ホラアナグマを主要な食料の一つにしていたことです。このクマは草食性で、巨大で肥満した体をもっていますから、タンパク質や脂 肪の供給源として重宝がられたはずです。シャクリーは、その毛皮も重要な資材だったと論じています。もちろん彼らは、アイヌの人々がヒグマを カム イ(神)として崇めたように、ホラアナグマを祭祀の対象にしていたのでしょう。

Arsuage-ネアンデルタール人の首飾り 二つ目の結論は、ネアンデルタール人が狩の集団を組織していたことです。草食性とはいえ、ヒグ マより も大きい(オスの平均体重は五百キロを越 え、立ち上がれば約三メートル)ホラアナグマには、腕力のあるネアンデルタール人が石の穂先をつけた手槍を使ったとしても、一人や二人では立ち向 かえません。また、脚力のあるウマやバイソンを獲物にしていたのですから、彼らは統率のとれた狩人集団であった、と考えるべきです。ネアンデ ル タール人が、同時代の四本足の狩人(絶滅したホラアナライオンなど)に勝るとも劣らない狩人だったという点では、英国人のシャクリーも、『ネ アン デルタール人の首飾り(El collar del naendertal, 1999)』新評論(平成20年)を書いた、スペイン人のファン・アルスアガ(Juan L. Arsuage)も、一致してい ま す。

 アウルが、ネアンデルタール人を「ケーブ・ベアの一族」と名づけたことは、さすがですね。呪術師ブルンはケーブ・ベアの毛皮を羽織り、その 頭蓋 骨を儀式に使っていました。呪術とは、人智とか身辺の自然を超える存在、たとえば霊、を意識するところからはじまります。この時代、死の訪れは説 明のできないことだったでしょうし、急速に冷えていく遺体に触れれば「何か」が抜け出て行ったと感じるのは当然です。そういう人智を超えた 「何か (霊)」が、残された仲間に害を与えないように、呪術師はその遺体を丁寧に扱ったかもしれません。多くのネアンデルタール人の骨が屈葬された形で 発掘されることを、この時代のムードが、彼らの考えがそういう段階に達していたことを示している、と解釈させたのです。もっとも、クロマニョ ン人 の遺骨には必ず副葬品があるのに対して、ネアンデルタール人の骨の周りにはそれらしいものが見当たりません。また、クロマニョン人とは違って、ネ アンデルタール人たちは洞窟画を残しませんでした。

 アウルの小説では、クレブがイーザの遺体の傍らに薬師の道具を置いています。エイラは薬草の花束を作って手向けました。作者は、ソレッキが 発掘 した「シャニダール四号」の花粉の話から、そのヒントを得たはずです。ただし四号は成人男性でした。そのすぐそばにあった六号は普通に屈葬されて いて、頭骨も落石による破壊など受けていません。頭に落石を受けて即死したのは、地層の上の(新しい)部分で見つかった一号です。この男性の 遺骨 こそ、右の肩甲骨、鎖骨、上腕骨の発達が不十分で、右肘は切断されておりました。アウルはこのすり替えを埋め合わせるかのように、クレブの遺体に ついて、「体のゆがんだ側を下にして脚を縮め、胎児のように丸くなって横たわっていた」と、書いています。この体形は、屈葬の形そのもので す。

 「地層の上の(新しい)部分」といったのは、ネアンデルタール時代(中期旧石器時代)の地層の中での話しです。そのすぐ上はクロマニョン時 代 (後期旧石器時代、地層の上部にあるから「上部旧石器時代」が本来のいい方)の層に変わっていますから、クレブが、エイラの過失をきっかけにし て、「自分の一族が滅びてエイラの種族が栄える未来を洞察」した、というストーリー展開はなかなか見事です。エイラの息子の混血児ダルクは、 その 後どうなったのでしょうか? そもそも、ダルクやウラのような混血児は実際にいたのでしょうか? 当時はネアンデルタール人から現生人への変化は 連続的だという考えが主流でしたから、シャクリーも混血のことには触れていません。その約二十年後のアルスアガの本では、ネアンデルタール人 の絶 滅にも、彼らとクロマニョン人との共存にも触れているのに、混血のことについては何も書いていませんでした。


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