| © 2012, Tatsuyuki KAMIRYO | ネアンデルタール人を推理する |
『ケーブ・ベアの一族』の原作の出版は昭和五十五年(1980)の五月四日ですから、ジーン・アウル
が利用できたのは、せいぜいその前年までの
情報でしょう。この年は、米中国交樹立ではじまっています。イランでイスラム革命が起こり、英国ではサッチャーが初の女性首相として登場しまし
た。NECのパソコン「PC-8001」が発売され、韓国の朴正煕大統領が暗殺されました。「江夏の二十一球」で広島カープが日本シリーズを
初制
覇して、その二週間後には、国際陸連公認の初の女性限定マラソンが東京で行われたのです。年の暮れにはソ連がアフガニスタンに侵攻しました。ソ連
の崩壊はピッタリその十二年後です。
二つ目の結論は、ネアンデルタール人が狩の集団を組織していたことです。草食性とはいえ、ヒグ
マより も大きい(オスの平均体重は五百キロを越
え、立ち上がれば約三メートル)ホラアナグマには、腕力のあるネアンデルタール人が石の穂先をつけた手槍を使ったとしても、一人や二人では立ち向
かえません。また、脚力のあるウマやバイソンを獲物にしていたのですから、彼らは統率のとれた狩人集団であった、と考えるべきです。ネアンデ
ル タール人が、同時代の四本足の狩人(絶滅したホラアナライオンなど)に勝るとも劣らない狩人だったという点では、英国人のシャクリーも、『ネ
アン デルタール人の首飾り(El collar del naendertal,
1999)』新評論(平成20年)を書いた、スペイン人のファン・アルスアガ(Juan L. Arsuage)も、一致してい
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