© 2012, Tatsuyuki KAMIRYO ネアンデルタール人を推理する

12  六百万年前から現在へ


 いま生きている人のだれか、たとえばあなたに、あなたのお母さまと手をつないでいただきます。そのお母さまには、空いているほうの手で、彼女の ご母堂と手をつないでいただきます。万一お亡くなりの場合は、まぁ、お墓か、仏壇か、とにかくどこからでもいいから出てきていただくんです。そう いうことを繰り返していけば、およそ三十万世代前の母方の超おおバアさまにもお出まし願えるはずです。チンパンジーとヒトの分岐を六百万年前と仮 定して、平均の世代時間を二十年とすれば、そのお方(個体)こそ、チンパンジーとヒトの共通先祖ということになります。理屈のうえでは、この話に 間違いはありません。こんなことができれば、何代前のお婆さんまでハダカだったのかが分かるはずです。

 しかしもちろん、これは夢物語。現実にできることといえば、遺骨や遺物と、それらが出てきた地層とをいろいろな角度から丁寧に調べて、今からど のくらい前の時代に、どんな体型をした人類が、どんな生活をしていたかを推測することです。ネアンデルタール人やデニソワ人のゲノムを明らかにし た遺伝子の解読や解析の技術は、いまも進歩を続けていますから、遺伝子からの情報もその推測を側面から援護してくれることでしょう。ここからは、 「そろそろ体表の話題へ」で紹介した島泰三さんの仮説を柱にして、「出アフリカ」の項に書いた諏訪元さんの意見を尊重しながら、ど素人の僕が話を 造ってみます。僕の捏造ですから、お二人に累の及ぶことではありません。

 野生動物が毛皮を失ってハダカになったら、それは生存に不利なことだから、目(もく)のレベルで探してもいないことのほうが多くて、いる場合で もただ一種だ、というのが島さんのまとめ方でした。ただしバビルーサ、ハダカオヒキコウモリ、ハダカデバネズミ、ヒトについて、種数を挙げて個別 に説明するときはもっと慎重で、しかも、「コビトカバは除いて考えている」と、注を入れておられます。島さんがコビトカバで悩まれたのは、巨大動 物の定義を体重一トン以上とされことが理由の一つです。ところでカバ類は、以前なら「偶蹄目」でしたけど、最近だと「鯨偶蹄目」になっています。 もちろん、どちらにしてもイノシシ類と同じ目に入ります。でも、偶蹄目が鯨偶蹄目に変わったのは、ゲノムDNAの反復配列を使った系統分析でクジ ラ類が、このカバ類から分岐してきたことがわかったからです。そのカバがクジラなどの水中の生活者の親にあたるのなら、「除いて考える」に、そう メクジラを立てなくてもいいですね。

 さて、人類はどの段階からハダカになったか、です。サヘラントロプス属一種、オロリン属一種、アルデピテクス属二種は、類人猿よりわずかながら 人類側に寄っている生き物だと、諏訪さんはおっしゃいます。これら初期の猿人が、ハダカであるとは考えなくてもいいでしょう。これよりあとの四百 万年前ころから現れる猿人七種を、諏訪さんは全てアウストラロピテクス属だとみなしています。その中には、かってケニアントロプス属とかパラント ロプス属と分類されていた種も含められます。特徴は、直立二足歩行を完成させていて、犬歯が目立たなくなり、奥歯の列が臼状になったことです。臼 状とは、他の歯と比べて極端に大きくなって、上の面が平らになり、エナメル質が特別に厚くなることです。手の形から出発された島さんは、この歯の 特徴にも注目されて、彼らの主食は骨そのものだったろうと推理されました(『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起源に迫る』中央公論社、平成 15年)。

 アウストラロピテクス属には、咀嚼器の全体が頑丈になり過ぎたボイセイやロブストスといった種があります。これらは百万年以上前に消えてしまっ たらしくて、あなたのお婆さん系列には入ってこないでしょう。ホモ属は、「頑丈になり過ぎなかった」種の中から現れたようです。諏訪さんは、ホモ 属の種小名を増やすことにも批判的です。その考えに従って、「氷期とホモ・エレクトス」の項で紹介したように、旧世界(アフリカとユーラシアの両 大陸およびその周辺)の各地域で見つけられたいくつかの種を、一括してエレクトスにまとめておいでです。だから一般には複雑になるホモ属の系譜 も、彼がお描きになる図からなら容易に読み取ることができます。この連載は、人類がどの段階でハダカになったか、を考えることが目的ですから、こ れはとてもありがたい方針です。

アラン・ウォーカー 人類進化の空白を探る 最初のホモ属(すなわち原人)としては、「頑丈になりかけて止まった」アウストラルピテクス・ガルヒ (A. garhi )から進化(多様化)してきた、ホモ・ハビリス(H. habilis )だとみなすのが妥当なようです。ハビリスからエルガスター(初期のエレクトス)が派生して、この種は旧世界の各地に拡散しました。エルガスターは肉食の 傾向を高めたので、アフリカだけでは増えた人口を養えなくなった、というアラ ン・ウォーカー(Alan Walker & Pat Shipman)の説、『人類進化の空白を探る(The Wisdom of Bones, 1996)』朝日新聞社(平成12年)には説得力があります。これを言い換えると、当時の人口密度はアフリカが最高で あって、しかもそこで増え続けてい た、ということです。エレクトスに限らず、どの段階の人類にせよ、その小集団がアフリカを出て行っても、アフリカの人口密度には影響しなかったは ずです。だから「出アフリカ」の項では、そういう移動がなんども何度も繰り返されただろう、と書いたんです。

 六十万年くらい前に、アフリカに残ったエレクトス(モーリタニクス)の集団から出てきたのが、ハイデルベルゲンシスです。彼らもまた出アフリカ を繰り返したはずです。そのうちの、ヨーロッパに定着したグループから派生したネアンデルターレンシスは、ウルム氷期(7〜1.5万年前)を乗り 切ることができませんでした。この事情は、ウラル山脈より東に進出したグループとその子孫にも、当てはまることだと思います。その時期よりはるか に古い、遅くとも二十万年前ころにはアフリカ東部のエチオピア高原にいたハイデルベルゲンシスの中から、サピエンスが現れたようです。「最古のサ ピエンス」の骨自体の年代は、約十六万年前とされています。その発見には諏訪さんも関与していて、この骨の主を発見地にちなんで「ヘルト人」とよ んでおられます。分類上はサピエンスの亜種という扱いで、ホモ・サピエンス・イダルツ(H. sapiens idaltu )と命名されています。イダルツは、現地語で年長者の意味だそうです。彼らの子孫が、大雑把にいえば二十万年くらい前から全地球規模の拡散をはじめたよう なのです。


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