© 2015, Tatsuyuki KAMIRYO
ネアンデルタール人を推理する <追 記>
師弟交歓
上領達之先生と岡崎
孝映さんの往復書簡
師弟交歓 1
上領先生
返事が遅くなりました。とりあえずの感想を添付します。随分勝手なことを書きましたが、お許しください。
ネアンデルタール人と現代人の進化的関係を若い人たちに楽しく考えてもらう上で、小説に沿ったストーリーで展開するというのは大変いいと思いま す。とても楽しく読めますし、発想の乏しい科学者よりも小説家の方がよほど本質をとらえているのではないかという思いを私もずっと抱いていまし た。人類進化とか恐竜とかの話で出てくる博物館並の記述はそれなりの研究的立場の人間が書いているはずなのに、あまりにも発想が貧しく現代人勝手 な解釈に絶望的な気分にさせられてきました。先生の文章に喜び、拍手喝采しております。シャクリーが、雪男がネアンデルタールの末裔の可能性を考 えたのなら毛むくじゃらだったことも受け入れてたと思えるというような下りは大好きです。
先生の文章にはほとんどのところで拍手喝采ですが、あえて疑問を感じるところだけ書かせていただきます。生物学出身の、ということで私をご指名で したが、減数分裂からゲノム進化を考えてきてゲノミクスの研究所で窓際に追いやられた外れ者の立場で述べさせていただきます。
共通の祖先とよく言われます。この言葉はまるで、一個体からのクローンが突然変異によって多様化したような受けとめかたをされがちです。先生の記 述はそうではないのですが、世の中の進化に関する記述がみなそうであるように、読み手がそう受け取ってしまいそうな書き方をされている点が、私に はちょっとひっかかります。
共通の祖先はあくまでも系統樹の作図上の交点であって、現実には点ではありません。遺伝的多型性をもった集団のまま、種分化を起こします。系統樹 は一本の線で描くべきではなく、電話ケーブルの束のような形で表現すべきです。その電話ケーブルにはさらに、ときどき雑種・異種間交雑などの混線 が起こります。さらにミトコンドリアの共生などというショートを起こすこともないわけではありません。
エレクトスやネアンデルタール人が出アフリカ後に絶滅したと言っても、アフリカにはその遺伝子は残り続けたはずです。ところがほとんど残っていな いことが不思議です。エレクトスやネアンデルタールが出アフリカ後に進化したなら別ですが。私はアフリカで何が起こったのか、なぜサピエンスだけ になったのか、に強いロマンを感じます。
ネアンデルタール人とサピエンスの混血について、先生は起きなかったのではと言われますが、個人的には起きない方が不思議と思います。馬とロバ、 ライオンとヒョウでも個室に入れてやれば混血児が生まれるのですから。もちろん異種間ですのでラバもレオポンも不稔(次世代の子供を作れない)で す。ネアンデルタールとサピエンスの混血児が不稔かというと、多少の遺伝疾患は生じたとしても十分生殖能力のある雑種の第一世代(F1)が、確率 は低くても生れたように思います。
ヒト男性の性対象としてニワトリの具合がいいなどという話も聞きますし、少なくとも人類進化の過程でイヌとは随分と性行為をしたはずです。もちろ ん、ヒトとイヌとのあいだでは、絶対に不稔です。ただそれだけの違いだと思います。
サピエンスが脳と言語と文明を発達させたのは、結果であって、それを目標に進化してきたわけでないという考えは先生も同じと思います。でもそれを 獲得した集団が生存に有利な状況がアフリカにはあったのだと思います。先生はヨーロッパ人本位の視点と批判されますが、その前に私は、現代人本位 の視点が世の中にあまりに蔓延りすぎていると思うのです。
脳、言語、文明の発達は本当にそれほど生存に有利なことなのだろうか、サピエンスの進化の初期過程においてどういう意味があったのか考えるべきか と思います。ひょっとしたら有利なわけではなく、裸という不利を脳の発達でかろうじてカバーできただけであって、毛皮をもったエレクトスなどとは まともに勝負できなかったかもしれません。たまたま、そのような生存競争に巻き込まれない運のいい環境のなかで、裸という強い負の要因があるゆえ に脳の発達したものが選択されるということが起こったのではないか、という気もします。そもそも、脳の発達、言語の発達に必要な生物学的要因な ど、たいしたものではないはずです。大したことない変化だからこそ非常に短い間に人間にそれが起こったはずです。
他の動物だって人間程度の頭脳を持つところまで進化するのは、たいしたことではないはずです。そうならないのは生存に有利に働く要因がないからで す。裸という不利から逃れるという通常では起こらない状況でのみ有利に働いたことで脳・言語・文明が発達したけれども、とても毛皮を持つものより 有利になるようなレベルではない時代がまずあり、気がついたら毛皮を持つものを駆逐するまでになっていたという想像をします。
岡崎孝映
Date: Tue, 06 Nov 2012
岡崎さま、上領です。
温かい感想を嬉しく拝見しました。ありがとうございます。
「共通の先祖」のことです。「12 六百万年前から現在へ」の24ページで「・・・チンパンジーとヒトの分岐を六百万年前と仮定して、平均の世代時間を二十年とすれば、そのお方(個体)こ そ、チンパンジーとヒトの共通先祖ということになります」と書きました。これが「系統樹の作図上の交点」を「点」とみなした、「理屈のうえでの間 違い」だったわけですね。
僕には種の分岐というプロセスが、もう一つ判然としないのです。結果としてなら、まぁ判ります。その結果にいたる過程がもやもやしているのです。 元になる種に遺伝子的な多様性があることは、当然だと認めます。その集団から小集団が移動かなにかで隔離されて、異なる配偶集団になった場合は理 解し易い。アフリカ生まれのハイデルベルゲンシス集団から、ネアンデルタール人の先祖とサピエンスの先祖が分かれた場合の説明(「9 混血論の続き」の19ページ)ならいいのでしょうか?
サピエンスに獣姦の習慣があったことは、インカ人やユダヤ人の掟からみて、確実だと思います。ニワトリやイヌもそうですけど、これらはみな、家畜 にした動物に対してです。でも相手が野生の動物となると、その証拠を示すのは難しいでしょう。これがネアンデルタール人をケモノだとした場合の困 難です。捕獲してからなら可能ではあろうけど、当時のサピエンスにとって、遠隔地で集団を作っているネアンデルタールのメスを生け捕りにすること は、近場にいる野牛の先祖のメスを捕獲するよりも、僕には難しく思えます。
仮に、『ケーブ・ベアの一族』のダルクとウラのような混血児が生まれたとして、さらに、彼らのような二人がつれあいになったとして、もっと譲って 「ある確率で」彼らの子ができたとして、それを「両種のあいだで混血が起きていた」とするかどうかですね。定義の問題になります。こと生物に関し ては、どんな話にも例外の一つや二つはあるでしょう。「混血があった」と推測させる証拠は、例のサイエンス誌の、一から四パーセントの話だけで しょう。どちらにしても、人類史には影響しないことだろうと考えます。
サピエンスが無毛(27ページのチャイニーズ・クレステッド・ドッグのような)になって、そしてとにかく生き延びてきた。これはまったく不思議で す。「性選択説」もいいけれど、現在のヒトの特有な対面位での性行為のはじまりや、発情期の消失の時期についての考察を欠いた性選択説には価値を 感じません。人類学に関わる人たちは、皆きっと最初の(まともな)仮説を出したいと躍起になっているはずです。それがいまだに古臭い陳腐な説明し かないのですから・・・。あなた、「窓際だ」なんて言うくらいなら、ジーン・アウルみたいに職を捨てて取り組んでみませんか? なんて、無責任す ぎかな。
とにかく、貴重な感想を書いてくださって、本当にありがとうございます。真面目な話し、「窓際」なんて考えるのはおよしなさいよ。これは昔の教師 の心からの助言です。
Date: Wed, 07 Nov 2012
師弟交歓 2
上領先生
先生とこのような議論をさせていただくのはとても楽しく、楽しすぎて言いすぎてしまうことをお許しください。
先生の、アフリカ生まれのハイデルベルゲン シス集団から、ネアンデルタール人の先祖とサピエンスの先祖が分かれた場合の説明(「9 混血論の続き」 の19ページ)は非常に丁寧で、クローンを連想させることはありません。クローンを意識させるのはミトコンドリアDNAのところです。 共通の先祖からの 分岐のプロセスについては、私には強い思いがあり、その説明をさせてください。これは私の勝手な妄想なのか、他の人が既に言っていることなのか は、わかりません。減数分裂・有性生殖の意味をずっと考えてきて、他の人に受け入れられないものだから、ますます頑固に思いこむようになった私の 仮説です。以下の三点に分けて説明させていただきます。
1)減数分裂・有性生殖の機能
有性生殖は一般に多様性を創出することがその意義であると思われがちですが、これは真反対です。遺伝的多様化を制限し、「種」のアイデンティ ティーを維持することがその機能です。ラバが不稔であるように、遺伝的差異が種の範囲を超えた雑種の第一世代は減数分裂が進行しません。DNA配 列の相同性チェックは染色体対合という形で見えてきますが、ミスマッチ修復の遺伝子が対合に必要なことなど、分子レベルでのチェック機能があるこ とが示唆されます。おそらくヘテロデュプレックス形成(父方のDNAと母方のDNAの対合)レベルで、相同性を評価しているのではないかと思って います。すでにこの分野から引退しているので今どこまで進んでいるのか知りませんけれど。
2)種分化と進化のプロセス
ダーウィンが指摘したように種分化には地域的隔離が重要な役割を果たします。それは隔離のない集団では、たとえ変異をもった個体が現れても、新た な種として成立することはないということを示唆しています。すなわち、有性生殖を共有する集団においては、遺伝的差異が制限されているので、種と いう範囲に収まる遺伝的多様性の範囲が維持され、別種としてスピンアウトすることはないということです。
ただし、その有性生殖を共有する集団の多型遺伝子配列プールがそのまま維持されるというわけではありません。遺伝的多型の中央値はドリフト(ふら ついて変化して)いくのです。サルからヒトへの進化の行進のイメージはあながち間違いでもないのです。ただ、一方通行的に進んだのではなく、いっ たん直立したものがまた四つん這いになったり、賢くなったものがバカになったり、大きくなったり小さくなったり、裸になったものが再び毛を生やす こともあったかもしれません。それがいくつもの支流に分かれ、また合流し、ということを繰り返して人間は進化してきたと思います。多くの支流は他 の支流と合流することなく絶滅したでしょう。猿人や原人の多くもそうでしょう。
しかし、アフリカのハイデルベルゲンシスとサピエンスは支流に分かれたとはいえ、完全な種分化までは至らず、合流することもあったと私は思いま す。これは前回書きました混線というレベルにも入らない範囲です。本当に異種と言えるまでに隔離される時間として二十万年は短すぎると思います。 先生は体の大きさと毛皮をもつか裸かというところとでネアンデルタールを獣とイメージされているようですが、当時のサピエンスはその獣からみれ ば、「毛が抜けた貧相で気持ち悪い奴だけど、妙に頭が良くて油断がならない変な獣だった」のでしょう。サルの群れでも群れが違えば縄張り争いをす るわけで、たがいに争うのは、ネアンデルタールとサピエンスのあいだだけでなく、ネアンデルタールどうし、サピエンスどうしも変わらなかったので はないでしょうか。アメリカ先住民をヨーロッパ人は殺戮してきましたが、混血が起こったのも事実です。
3)進化と分類
裸になったことはサピエンスの進化の方向性に強く影響を与えたことは間違いないでしょう。しかし遺伝的差異という観点からすれば裸か毛皮かは大し た違いではありません。種の違いは表現型の違いよりも、有性生殖を共有しなくなってからの時間が規定すると私は考えています。ゲノムの急進的立場 で言えば、分類とは単純に種が分岐してから(有性生殖を共有しない集団に分かれてから)の時間を推定することにほかなりません。種が分岐したとい うのは、有性生殖が共有できないレベルにまで非可逆的にゲノムが変わった時点を指すということになるでしょう。長い生命歴史の中では最後に交わっ てからの時間で考えてもほとんど誤差の範囲でしょう。
「カンブリアの爆発」という術語があります。「門(もん)」のレベルの違いがこのときすでに成立しており、多くの門がその後絶滅したが、そのあと 新しい門は成立していない、カンブリア紀で突然動物の多様性(異質性)が現れた、というようにいわれます。しかし、私は、カンブリア紀より幾分前 に分岐したものを門と定義するべきだと思っています。その時代の分岐は、今なら種のレベルの分岐です。食べ物を口から入れてお尻から出すか、お尻 から入れて口から出すかという違いは、当時の動物からすれば、私たち人間が右利きか左利きかの違い程度のものだったと考えています。ただその後の 進化はそれを前提に進行したので現時点では大変大きな違いになっただけの話です。
ジーン・アウルみたいに生きたいですね・・・。
岡崎孝映
Date: Mon, 12 Nov 2012
岡崎さま、上領です。
あなたの「種分化」の説、僕にはとても刺激的で、楽しく読みました。
感想や説明の補足のほかに、質問も書きましたから、またゆっくり返信してください。僕の「説明の補足」には、自分の意見に固執しすぎているとお感 じでしょう。そこは老化のせいだと、大目に見てください。以下は僕の意見、質問、反論などです。
《クローンを意識させるのはミトコンドリアDNAのところです》
30ページ冒頭の「ただ一人の女性にたどりつく」という所ですね? 言い訳だけど、これはサイクスの引用なんです。しかしそれを措いても、この系譜はミトコンドリアDNAで作ったものですから、減数分裂は入ってきません。 過去から現在へ下っていく場合には「合流」の場所が分かります。けど、どの個体にも母親はただ一人だから、母親、その母親、その母親と、ひたすら 遡上していく場合には「合流」点は見えないと思います。
「一族の母」の説明(29ページの第四段落)では、意図的にサイクスの定義を使いませんでした。彼自身は「一族の母」を、「@ 娘がふたり以上いて、A 一族のメンバー全員に共通するもっとも最近の母系先祖」と定義していますから、「一族の母」の母親、にはその資格がありません。ただし、はじめはこれで正 しいと思っていたけれど、基礎になる現代人のサンプルに限界があるし、計算プログラムが実際の変化の逆を向いるから、やはりダメなのかもしれませ んね。
《1)減数分裂・有性生殖の機能:有性生殖は・・・遺伝的多様化を制限し、「種」のアイデンティ ティーを維持することがその機能です》
賛同します。配偶子を海中に放出して有性生殖する太古の生物を考えてみました。甘い相同性でも減数分裂を許すような二つの種は、有限の資源を争奪 しあう第三の種(しかも厳しく自己のアイデンティティーを維持するヤツ)の出現を許したら、生き残れなくなるからです。
《2)種分化と進化のプロセス:遺伝的多型の中央値はどんどんドリフトして行くのです。サルからヒトへの進化の行進のイメージはあながち間違 いでもないのです》
僕が胡散臭いといった図(31ページの第三段落)のことですね。「あながち」と付けられたから反論し難いです。それにしても、膝の曲がり、背丈、 顔立ち、毛深さなどが、揃って一定の方向に進んでいる点は、気に入りません。
《アフリカのハイデルベルゲンシスとサピエンスは支流に分かれたとはいえ、完全な種分化までは至ら ず合流することもあったと私は思います》
分類学者が別種にした生物が交雑することには反対しません。アヌビスヒヒ(Papio anubis)とゲラダヒヒ(Theropithecus gelada)とは、属さえ違うのに、自然状態で一見適応度の劣らない子孫を残すそうです(諏訪元「化石からみた人類の進化」)。初期のサピエン ス・イダルツ(ヘルト人)とアフリカのハイデルベルゲンシス(ローデシエンシス)とは、化石上で五万年ほどのギャップがあります。化石は最初や最 後の個体を示すわけではないから、オーバーラップを仮定することも、それほど不当じゃありません。
でも問題は、両方とも少人数の集団で、少なくとも高地と低地に分かれていることです。その時期ヘルト人は東アフリカの高地に出現したばかりです。 ローデシエンシスをザンビアのカブウェ(旧ローデシアのブロークン・ヒル)で出土した化石を基に考えるならば、中央アフリカ南部で衰退に向かって います。それが交雑(合流)するのか、僕は否定的になります。
《本当に異種と言えるまでに隔離される時間として二十万年は短すぎると思います》
強制的に混棲させていたらそうでしょうね。でも、一部の移動に基づく棲息地の分断を認めるなら、単に時間だけで「短い」といえるかしら? 澤口俊之(33ページの最後の段落)によれば、「余剰大脳新皮面積」の絶対値も、推定体重を考慮した「相対脳重」や「相対前頭葉体積」のどれをとってもエ レクトスとネアンデルターレンシスには大きな開きがあります(チンパンジーはエレクトスより一段と低い)。ローデシエンシスはこれらの脳指数でこ の二種の原人のあいだに落ち着くはずです。繰り返せばチンパンジーよりずっと高くて、肉食動物の肝臓を食べさせてもらったエレクトス(エルガス ター、13ページ)よりもさらに集団内の団結が固い、仲間意識の強い動物です。
彼らの種分岐は、アカギツネ(Vulpes vupes)とホッキョクギツネ(V. lagopus)みたいな、普通の野生動物の分岐とは違う時間スケールで見るべきだと思います。「生態」の内容が、脳の発達で変わってくるからです。
《当時のサピエンスはその獣からみれば、「毛が抜けた貧相で気持ち悪い奴・・・油断がならない変な 獣だった」のでしょう》
「毛の抜けた貧相」な獣の外見は、現生人のようなのですか? それとも毛が薄く疎らで、皮膚病の動物みたいなのですか? 後者を野生の獣から見れば、病気にかかっているヤツだと判断するでしょう。「見た」方が老いた肉食動物なら捕食しようとするかもしれないけど、配偶対象を 探している健康な個体なら、自分から避けて通るのが自然です。それが「油断ならない変な獣」なら、なおのことでしょう。
ヘルト人の出たミドルアワッシュも、キビシュ人が発見されたオモ川下流域も、エチオピアの中では低地だけどエチオピア高原の北東と南西の端です。 二十三万年以上前の石刃が出土したガデモッタ(31ページの第四段落)の位置はエチオピエ中央と書かれていますから、サピエンス・イダルツの故郷 はエチオピア高原そのものなのでしょう。アジスアベバの標高は二千三百メートル以上です。キビシュ人を十九万年前だとしても、ガデモッタの石刃 (27万年近く前との修正もあった)よりは新しいので、彼らを、人口増加にともなって麓に降りてきた高地人だと推理したわけです。もっとも、「ヘ ルトでは石刃が見つからなかった」という記載があります。だけどその発掘結果は、石刃の不使用の証拠にはなりません。
ヘルト人が現生人的であろうが皮膚病的であろうが、高地の夜の冷え込みに耐えるには毛皮の代わりになる何かが必要です。その点は後日考えます。
ネアンデルタール人は西ユーラシアで種としての確立を果たしたのだから、彼らがパレスチナ地方で出合ったのは五万年くらい前のサピエンス・サピエ ンスだと思います。この時期以前にこの地域でサピエンス化石が出土しているのは、スフールとカフゼーで、年代は共に十万年から八万年前です。これ はリス氷期とウルム氷期とのあいだの、間氷期(13〜7万年前)に納まります。ネアンデルタール人は農耕をしないから「肥沃な三日月地帯」の価値 を知らずに、お気に入りのホラアナグマを求めてもっと北へ行っていたのでしょう。僕は、オーリニャック文化を開花させる前のサピエンス、それもそ の小集団が、空き家状態に近いこの地域に、この時期に限って進出できたのだろうと想像します。このときには両者の接触がなくて、交雑の可能性が低 いだろうと思います。
次に両者が接近するのはウルム氷期(7〜1.5万年前)のごく初期です。寒気の到来に気づいたネアンデルタール人が南下しはじめたからです。この ときサピエンスは退却したようですけれど、逃げ遅れた集団とのあいだで交雑が起こったことは否定できません。とにかくスフールとカフゼーの北では アムッドとタブーン、南ではケバラから、六万年から四万年前のネアンデルタール人化石が出ています。ただタブーンの化石の一つは、十一万年前のも のだったそうです。
ウルム氷期は五万年から三万年前にかけて一旦緩みます。四万年前を過ぎるとこの地にネアンデルタール人の痕跡がなくなるので、彼らが再び北上し て、そのあとにはサピエンスが前より大きな集団として侵入してきたと想像します。北上と侵入とは順序が逆かもしれません。いずれにしても、今度は サピエンスが優勢な形で交雑が起きた可能性はあります。これ以降はサピエンス側の優勢を肝に銘じたネアンデルタール人が、落ち武者のように逃げま くってジブラルタルでの最期を迎えるというのが僕のシナリオです。
《3)進化と分類:カンブリア紀より幾分前に分岐したものを門と定義するべきだと思っています。・・・、当時の動物からすれば、私たち人間が 右利きか左利きかの違い程度のものだったと考えています》
これには賛同します。動物分類なんて全く知らないけど、的を射た着想のような気がします。
「カンブリア爆発」は出土する化石の数が急激に増えたことを指すだけで、動物の体制が多様化したことではない、というのが主流の考えのようです ね。あなたがおっしゃるとおり、カンブリア紀以前の生物もすでに多様化していたらしい。難しいのは、その多様性とカンブリア紀の生物との結びつき がうまく説明できないことだ、とのことでした。
Date: Fri, 16 Nov 2012
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