© 2015, Tatsuyuki KAMIRYO ネアンデルタール人を推理する <追 記>

ハダカへの関心


上領達之先生女性 (にょしょう)の裸身ではない。人類はどの段階でケモノでな くなったのか、という疑問である。よく見せられる図では、一端にチンパンジーのようなケモノが、そして他端にはハダカのヒトがいて、その中間にヒ トへ向かって段階的に膝が立ち、背筋が伸びると共に身長も高くなって、そのたびに体毛が少なくなる二、三頭(人)の生き物が描かれている。みごと なご都合主義だ。

「人類」とは、吾ら「ヒト(学名ホモ・サピエンスの訳語)」に加えて、絶滅した原人(ホモ属の中のヒト以外の種(しゅ))や猿人(ヒト科の中でホ モ属以外の属に分類される種)を含めた呼称である。ちなみに「人間」は、ヒトを彼らの社会の構成員としてみるときの表現だ。ヒトがチンパンジーと ボノボの共通先祖から分岐したのは、今からおよそ六百万年前だと思えばよい。明らかに直立二足歩行していたラミダス猿人は、約四百四十万年前に出 現している。二百四十万年ほど前に現れたハビリス原人を最古のホモ属とし、この種から百六十万年ほど前に分岐した別種をエレクトスとするのが通説 である。

ホモ・エレクトスはアフリカ出身であるけれど、初期の化石はアジアで発見された。これらはピテカントロプス・エレクトスやシナントロプス・ペキネ ンシスとよばれた。諸兄もこれらの名前を暗記されたことであろう。しかし空しいかな、これらの術語のうち種小名のエレクトスしか今に残っていな い。話を戻せば、人類はエレクトスの時代にアフリカとユーラシア、二大陸の広い範囲へ生活圏を拡大したのだ。これを人類の「古い出アフリカ」とよ ぶ。ユーラシアへの移住者は絶滅し、アフリカに残ったエレクトスから、およそ百万年前にホモ・ハイデルベルゲンシスが分岐してきた。彼らも「出ア フリカ」を繰り返したはずである。

ネアンデルタール人もヒトも、ハイデルベルゲンシスから分岐している。ただし家柄が違う。西ユーラシアに進出していた分家(狭義のハイデルベルゲ ンシス)の中からおよそ二十万年前に現れたのがネアンデルタール人であり、ヒトはアフリカに残った本家から分岐している。その時期も二十万年前の 前後と推定されるけれど、ヨーロッパ系が分家したのは五十万年くらい前だから、ネアンデルタール人とヒトとはその時期に分かれたことになる。この 関係から明らかなように、ヒトの直接の先祖はネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)ではない。今ではゲノムの比較から、この関係が 疑いの余地なく証明されている。すべての現生人の直接の先祖は、アフリカのハイデルベルゲンシス(別称ホモ・ヘルメイ)なのだ。

最古級のサピエンス化石はいずれもエチオピア高原の周辺から出土している。年代が確かなのは、東北部のアワッシュ川中流で発見された約十六万年前 のヘルト人(亜種名イダルツ)である。これより先に同高原の南西部オモ川流域から出た類似の化石は、約十三万年前とされていたけれど、再鑑定で約 十九万年前に変更されている。彼らの子孫の版図は十万年ほど前には、アフリカ大陸全土のみならずシナイ半島を渡ったさらにその北のパレスチナ地方 にまで拡がった。しかしこのとき、それ以上の北進は先住のネアンデルタール人に阻まれたらしい。両者はウルム氷期(7〜1万年前)に入ってから再 び衝突する。このときにはヒトの方が優勢になっていて、以後ネアンデルタール人はサピエンスと寒気とを避け続け、二万数千年前にイベリア半島の南 端で絶滅した。

この絶滅人類については、『ネアンデルタール人を推理する』という表題で、慎ましく公開している。この表題を検索語にすればすぐに見つかるだろ う。(www.geocities.jp/qqbjj485/K-nean/‎)

ところで、ヒトに寄生するシラミには、ヒトジラミ(ペディキュルス・ヒュマヌス)とケジラミ(フィシルス・ピュビス)の二種があり、ヒトジラミは さらにアタマジラミ(亜種名ヒュマヌス。頭髪に寄生)とコロモジラミ(亜種名コルポリス。衣服に寄生)の二亜種に分かれる。ゲノム解析からこの亜 種の分岐がウルム氷期の始まった約七万年前だというからおもしろい。この時期のヒトはすでにハダカであって衣服を常用していた、と想像させるから である。シラミはノミに比べて飢餓に弱い吸血昆虫なので、常用される衣服がなければ亜種の分岐もないはずだ。ヒトのハダカ化はその少し前に完了し たのだと思う。従ってヘルト人はまだケモノだったことになる。特に氷床の広がったリス氷期(18〜13万年前)、赤道近くとはいえ高原の夜を毛皮 なしでは過ごせまい。今に繋がる人類の「新しい出アフリカ」は、六万年前かその前後とされている。ハダカの体に毛皮製の衣服をまとっての旅立ちで ある。

はだかの起原島泰三(しまたいぞう)氏は、ハダ カ の哺乳動物をきわめて特殊な存在だと述べ、三群に分けている(『はだかの起原』木楽舎)。第一群は一生を水中で送るクジラの仲間、第二群は体重一 トンを越える巨体のもち主、第三群は生存不適格種の掃き溜めである。水中では毛皮の保湿性も保温性も無効であるし、巨体であると体積に対して体表 の面積が少なくなるから保温よりも冷却の方が重要だ。だから、第一群と第二群のハダカ化は理に適っている。問題の第三群にはブタイノシシ、ハダカ オヒキコウモリ、ハダカデバネズミ、ヒト、この四種しかいない。古風な分類用語を使えば、イノシシは偶蹄目、コウモリは翼手目、ネズミは齧歯目で ヒトは霊長目に属する。いずれの目(もく)も多くの種をかかえているけれど、ハダカの種は各目の中で唯一の奇形種である。陸棲する哺乳動物にとっ て毛皮は衣類とも家屋とも頼む必需品だ、というのが島氏の卓見である。ただ残念なことに、前掲書の「裸の人類はどこで、いつ出現したのか?」とい う章には、この問いへの答が記されていない。

ヒトがハダカになった理由を、ダーウィンは「性淘汰」で片づけている。その記述の行間には「直立歩行するようになった人類の女性のなかで、減毛し た個体が好まれ続けて、遂には、豊かな乳房や愛らしい乳首を顕示できるハダカになった」という思索が滲んでいる。しかし僅かに減毛しただけの(栄 養失調とみなされかねない)女が、並の毛深さでコケティッシュな女よりも多くの子孫を残せただろうか? それに、男は? クジャクの雄の尾羽の美 麗を、長い時間のかかる性淘汰で説明するのはよい。雌の尾はいまだに質素だから。けれども、ヒトという種全体のハダカ化を、男の場合も含めてきち んと説明できないダーウィンの説は書斎の空論と切り捨てられて当然だ。

島氏は人類がハダカになった時期を、「乾燥と温度変化から裸の体を守ることのできる住居をつくり、それを維持する社会をもった時である」と述べて おられる。「住居」と「社会」が出てくれば、「衣類」のあるのは当然で、保湿と防寒に適う衣類の緻密な縫製には、針が不可欠だ。サピエンスの遺跡 からは骨製の縫い針が出土するけれど、ネアンデルタール人はそれを遺していない。彼らは道具の素材を石と決め込んでいたようだし、その石器も、先 祖伝来の域から出ようとしていない。そういう墨守の人類は衣服など考えもしなかっただろう。彼らはケモノに違いない。一方ヘルト人については、そ の時代(ほぼ16万年前)がコロモジラミの分岐(約7万年前)からあまりにも離れているので、針や衣服の有無に関わらず彼らもまたケモノだったと 思うのだ。

並みの大きさの陸棲動物で体毛を失った変種は、僥倖に恵まれない限り絶滅した。人間の飼育下で生まれたハダカ突然変異種は、同時に何かの異常を もっている。ヌード・マウスには胸腺がない。エリマキキツネザルの場合は矮躯で、知力も繁殖力も低くなった。イヌでの変異は歯の成長を妨げる。ヒ トでも何か(喉頭か汗腺の異常?)が起きたかもしれぬ。とにかくハダカの変種は人間の保護下でしか生きていかれない。ヒトで生じたハダカ変異種 も、衣類と住居と適切な社会をもった「人間」が保護したからこそ生き残れたのだろう。まだケモノであったその時期の人間たちが衣服をもっていても 矛盾ではない。常用はしなくとも高原の夜寒や夜露に遭った「賢いヒト」なら、身に生えた毛の上に四足獣の毛皮で仕立てた衣服を重ね着しようと思い ついたはずだから。

ケモノであるヒト社会でなぜハダカ変種が卓越するようになったのか。構成人数が少ない集団での配偶関係はどうしても近親婚的になるから、劣性遺伝 形質が表現されやすい。ある集団でハダカの赤ん坊が頻繁に生まれることも起こりうる。墨守とは逆に、進取の気性や好奇心に富むサピエンスのアニミ ズムは、珍しいハダカの赤ん坊を尊んだかもしれない。近隣の集団からは「ハダカの娘を嫁にほしい」という申し込みが相次いでもよい。ケモノの赤ん 坊が間引かれたとは思わないけれど、ハダカの子が優遇されたくらいの想像なら許されよう。衣服と住居、社会を得てハダカが生存に不利でなくなった 種に、消極的ではあっても人為を加えれば、集団のハダカ化が急速に進んでもよさそうだ。少なくとも原初のウマの先祖(前肢が4本指、後肢は3本 指)から、疾駆に長じたウマの先祖(両肢とも1本指)が自然淘汰で生じるまでの約四千万年に比べれば、アッという間(例えば1千年ほど?)のこと だったと思う。

なお、ヨーロッパのネアンデルタール人や、十年近く前にシベリアで発見されたデニソワ人のゲノムの概略が明らかにされて以来、彼ら(ケモノ)と 「新しい出アフリカ」後のハダカのヒトとの交雑が取り沙汰されるようになった。ヒトのゲノム中に、これら絶滅人類のゲノムが僅かに混在していると 報じられたからである。
生存に中立的な対立遺伝子(ゲノム部分)の多寡は、集団の中で偶然に支配されて浮動する。また、親集団から分かれた二つの娘集団では、その部分が 個別の運命を辿る。さらに、ゲノムを調べて認められる変異の存在率は場所ごとに異なっている。もちろん、これらの理由を並べてみても交雑説の否定 にはならない。だからここではただ、吾はその説に重きを置かない、と述べるにとどめよう。

上領 達之  Kamiryo

*この文章は東大農学部卒業50周年記念文集へ寄稿されたものです.PDFはこちら


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