© 2012, Tatsuyuki KAMIRYO ネアンデルタール人を推理する

1.ジーン・アウルを動かした花粉

 まず手はじめに、僕をこんな気にさせたあの小説の作者、ジーン・アウルを紹介いたします。この人は、ウンティネン(Untinen)というフィ ンランド系の移民の子供として、米国シカゴで生まれました(1936)。「ジーン・アウル」は、十八歳で結婚してからの名前です。この女の子 は頭 がよくて、二十八歳のとき、「MENSA」という国際団体に迎えられています。この会員になる資格は、国内で上位二パーセントの知能指数(IQ) のもち主だそうです。五人の子供を産んで二十九歳になってから、彼女はIT関連の会社で働きはじめました。事務員で入社したのに、四十歳に なった ときには部長に抜擢されています。その間には、経営学修士の学位もとりました。ところが、そこできっぱりと退社をして、小説の執筆に専念しはじめ たのです。その動機の一つになったのが、「最初に花を手向けた人々」という学説でした。

ソレッキ シャニダール洞窟の謎 この学説は、米国の考古学者、ラ ルフ・ソレッキ(Ralph S. Solecki)が、『シャニダール洞窟の謎(Shanidar: The First Flower People, 1971)』蒼樹書房(昭和52年)で公表したものです。彼の発掘隊は、イラク北東端のシャニ ダール洞窟の、ムス ティエ型石器(ネアンデルタール人の工作 物)が存在する地層で、屈葬された成人男性の遺骨を見つけました。ソレッキは、「四号」と名づけたこの遺骨の周辺と、そのすぐそばの「六号」、少 し離れた「五号」の周りなどの土を採って、パリに住む古植物学者のアルレット・ルロワ=グーラン(Arlette Lerio-Gourhan)に送りました。なぜそうしたのかは、書いてありません。屈葬はこの三体に限られたことではありませんので、何かがひらめいた のでしょうね。

 ルロワ=グーランが分析した結果は、とても意外なものでした。四号の周囲の試料にだけ、少なくとも八種類の、色鮮やかな花をつける植物の花 粉が 数多く認められたというのです。この女性植物学者によると、それらはみな、五、六月に花の咲く植物の花粉であって、そのほとんどが薬草だそうで す。不思議なことに、当然この地域のこの時期には咲いていたはずの、鮮やかな赤い花をつけるアネモネ類の花粉は見つかりませんでした。アネモ ネは 薬にもなるけれど、茎から出る汁が皮膚を冒すからでしょうか。多かったのは、組織の部分ごとにさまざまな薬効成分を含む、タチアオイ属の花粉でし た。野生のタチアオイは群生せずに、一本一本はなれて成長するそうです。そこでルロワ=グーランは、四号の死を悼んだ人が、野外を駆け回って これ らの花々を集めたのだ、と結論しました。遺骨の近くの土壌には、こういう花粉がなかったからです。

 アウルが、ソレッキの本に触発されて『ケーブ・ベアの一族』を着想したことは、日本語版(集英社)の序文でも触れられています。彼女の凄い とこ ろは、そこから三十一年という歳月をかけて、全六部に及ぶ壮大な物語、『エイラ ― 地上の旅人(Earth’s Children, 2011)』を書き上げたことです。『ケーブ・ベアの一族』は、それ自体が上・下二冊の長編小説なのに、六部中の第一部にすぎません。全編の ヒロイン(エ イラ)は、ネアンデルタールである「一族」から「みにくいアヒルの子」のように扱われた、現生人の先祖(クロマニョン人のような)の一員なので す。第六部の翻訳は終わっていませんし、ネアンデルタール人の出番はなくなるので、今のところ、この連載では第一部しか話題にしないつもりで す。 なお、この物語を翻訳でお読みになるのなら、ぜひ集英社版を選んでください。評論社からの訳書『大地の子エイラ』(全編の題は『始原への旅立 ち』)は、十八歳未満の読者を対象にしていて、原作に忠実な訳ではないからです。

 余談ながら、花粉を分析したフランス人女性の名前がわからなくて難渋しました。ソレッキの本の訳書で見る限り、彼はこの古植物学者のことを 少な くとも三度、Mrs. Alfred Leroi-Gourhan(訳書では、アルフレッド・ルロア=グーラン夫人)と書いているのです。これは明らかに著者の間違いです。翻訳者の過失ではあ り得ません。やっと探し当てた夫人の名はアルレットで、その夫君の名はアンドレ(Andre)でした。これでは、ウェブ検索でヒットしなかっ たの も当然です。そもそもルロア=グーランはフランス系の家族名で、アルフレッドは主に英語圏で使われる個人名です。

 こんな「木に竹を接いだような」といってもいい人名が、校正をすり抜けてしまうところにアメリカ人一般の弱点が覗いています。彼らは、自分 たち のしていることのすべてが世界に通用する、と信じ込んでいるかのように振舞います。フランス人男性の名前がアルフレッドなんていう場合に、「こ れ、大丈夫かな?」と疑うセンスに欠けているのです。一昔前の「グローバル・スタンダード」なんか、自分たちの流儀を世界中に押し付けようと す る、身勝手の典型でしたね。小は僕の時間を奪うことから、大はイラクやアフガニスタンの市民をクラスター爆弾や無人攻撃機で殺しまくることまで、 迷惑この上もありません。

 話を戻します。ソレッキに協力した古植物学者の個人名など、話の本質とは、ほとんど関係がありません。でも新たに文章を作る者として、少な くと も本人が気になったことをほっておいて、他人の書物の引き写しですましてしまうのは、あまりに無責任です。それくらいなら、何も書かないほうがよ ろしい。些細な点であっても、新しい何かを発信することが大切なのだと思います。


とびら へ 前へ 次へ
↑ トップへ