© 2012, Tatsuyuki KAMIRYO ネアンデルタール人を推理する

2.  『ケーブ・ベアの一族』

Cave Bear  小説の舞台は、ウルム氷期(7万年前から1.5万年前まで)のクリミア半島です。本文では書いていま せんけれど、本の見返しに描かれている古地 図に、作者がエイラに過ごさせた洞窟や、氏族会の行われた場所などが示されています。氷河が発達して海水面の下がった時期ですから、現在のウクラ イナとロシアとを隔てるケルチ海峡は、地続きに表わされています。洞窟は、アゾフ海と黒海とを分けるこの海廊から、少し西に入ったところでした。 地図には三万七千年前頃のヨーロッパの様子だと記されています。けれどこの年代を、エイラがこの洞窟で暮らした時期だ、と決めつける必要はないで しょう。これより何千年か後でもいいと思います。

 物語は、五歳のエイラが大地震のために、住処はもちろん親も仲間も失う場面からはじまります。瀕死のエイラを見つけたのは、見慣れぬ風貌をした 一団でした。その中の一人の女(イーザ)がエイラを救おうとします。イーザは一族の薬師(くすし)で、その兄(ブルン)が族長であり、その上の兄 (クレブ)は呪術師です。クレブの右肩は発育不全で、その腕は肘から下を欠いています。また右脚が短く、顔の左側には深い傷跡があって左目が失わ れていました。しかし一族の中で最も明晰な頭脳をもっており、その風貌と相まって全員の畏敬を受けているのです。

 族長は、異形の「よそ者」の子供など無視するつもりでした。けれど、妹の願いを拒んで、彼女の、すなわち薬師の霊を怒らせることを恐れました。 それで、薬師の本分である救命を黙認してしまいます。クレブはイーザの考えを支持しました。この一族も地震で住処を失って、新たな洞窟を求める旅 の途中だったのです。彼らが少女を見捨てれば、死人を増やすことになって、長年の住処の破壊をもたらした霊たちから、一層の不興をかうかもしれま せん。さて、さらに旅を続けた彼らは、住みなれた寒冷な草原をはるか離れて、見慣れぬ広葉樹林のある丘陵地帯にまで来ていました。高台の下には、 草食獣の群れる草原がありました。しかし肝心の洞窟はなさそうです。ところが・・・と、話は続きます。

 結局のところ、エイラは「一族の者」として受け入れられます。イーザからは実の娘のように慈しまれ、薬師の後継者としても認められました。それ には彼女の非凡さが与っているのですけれど、「非凡」は「逸脱」と隣り合わせです。その結果は族長を困惑させ、彼女を愛するクレブ老人にも迷惑を かけます。族長のつれあいの息子からは、ひどく憎まれました。その結果、不本意な妊娠をしてしまいます。薬師から勧められた中絶を拒んで、エイラ (11歳)は、大難産の末に男の子を産むのです。その子は混血児ですから、当然一族の新生児とは違った外見をしています。こんどは、それが奇形だ とみなされて、母子共に危険な状況に追い込まれました。しかし、エイラの判断とクレブの配慮が、二人をこの窮地から救い出します。この子(ダル ク)も、「一族の者」として認められました。

 エイラが救われてから七年目に、ケルチ海廊を渡ったさらに東で、氏族会が催されます。「ケーブ・ベア(体重ではヒグマの二倍以上のホラアナグ マ)の一族」とは、ブルンが率いる一支族だけではなく、(おそらく黒海沿岸に分散している)多数の支族を束ねる名称でした。エイラは、病気で旅の できないイーザの代役として、十の支族が集まる氏族会に臨みます。その集会でエイラは、息子と同じような混血児の娘(ウラ)を産んでしまった女と 出会います。そして双方の族長からは、将来、ウラをダルクのつれあいにする、という了解も得られました。エイラはその一方で、生け贄のケーブ・ベ アを屠る祭りの最中に深手を負った別の支族の若者を、狩人たちと大熊との乱闘の中に飛び込んで救い出します。

 この行動を見た各支族の呪術者たちは、イーザが来ていない以上は省こうとしていた神聖な飲み物を、エイラに作らせることにします。ところがその 調合法は、イーザから口頭で教えられていただけでした。捨てることが許されない尊い物なので、試作するわけにはいかなかったからです。そのため に、濃すぎる飲み物ができてしまいました。それに気づいたクレブが、他の者たちに少量ずつしか与えなかったので、白い液体が残りました。尊い飲み 物を捨てられないエイラは、思い悩んだ末に自分で飲んでしまうのです。その効き目は激烈で、エイラを取り返しのつかない過失に導いてしまいます。 この過失に気づいた者は、幸いクレブだけでした。しかしこの大呪術師は、彼女の過失をきっかけにして、自分の一族が滅びてエイラの種族が栄える未 来を洞察するのです。エイラを責めても、未来を変えることはできません。

 クリミアの洞窟に戻ると、命脈の尽きかけているイーザがエイラを諭します。「族長は老いた。次の族長にはお前を憎んでいるあの男がなるだろう。 あれは必ずお前を苦しめる。早くここを出て、北の方にいるお前の種族の元に帰れ」、と。イーザが死ぬと、クレブは、彼女を薬師の道具類と一緒に葬 ろうとします。道具だけでは足りないと思ったエイラは、洞窟を走り出て、美しい花を咲かせている薬草を選んで集めて花輪を作ります。老呪術師もそ れを薬師にふさわしい品だと認めました。イーザが死んでから二年後、すべては彼女が予言したとおりに進みます。いや、それ以上でした。新しい族長 はエイラにだけでなく、彼女が愛している者すべてに過酷な命令を下したのです。

 その命令が一族の者たちに衝撃を与えている、まさにそのとき、大地震が再来するのです。洞窟に戻っていったクレブの身を案じたエイラは、沈み込 んではせり上がる大地を伝い、落石が続く洞窟の中を探し回って、彼をイーザの墓の傍らで見つけます。クレブは頭を大石につぶされ、膝を抱えるよう な格好で死んでいました。彼らは九年前と同じく、また住処を失ったのです。若い族長はこの災厄をエイラのせいにして、彼女を呪います。もはやこれ まで、と覚悟を決めたエイラは、ダルクをイーザの実の娘やブルンたちに託し、一人で旅に出るのでした。


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