© 2012, Tatsuyuki KAMIRYO ネアンデルタール人を推理する

4.なぜ混血が問題なのか


 前の項で、小説の中のダルクとウラのような混血児が、実際にもいたのだろうか、という疑問を出しました。なぜこんな疑問をもち出したかと申しま すと、二年前(平成22年)の五月と十二月とに、現代人のゲノムには別な人類のゲノムが混じっている、という論文が発表されたからです。どちら も、ドイツのスヴァンテ・ペーボ(Svante Pӓӓbo)が率いる研究チームの成果です。この人のお父さんは、山中伸弥さんの三十年前にノーベル医学・生理学賞をもらっています。もっとも「ペーボ」 は、お母さんの姓ですけどね。

 「ゲノム」を忘れた方は、「遺伝子」のことだと思って下さい。教科書の六十六ページ、または「遺伝子のイメージ」の章、を読み直せば思い出せる でしょう。教科書とは上領達之が培風館から出した、「生物と化学の補習講義」シリーズの第一冊目の『人 間という生き物』(平成18年、1365 円)のことです。ついでにいうと、二冊目が『人 間を知るための化学』(同19年、1470円)、三冊目は『人 間と遺伝子の話』(同20年、 1470円)です。

上領達之(1) 人間という生きもの
上領達之(2) 人間を知るための化学
上領達之(3) 人間と遺伝子の話

 さて、サイエンス誌に載った五月の論文では、ネアンデルタール人のゲノムDNAの塩基配列を決めて、現代人とチンパンジーとの比較をしていま す。内容を少し立ち入って説明します。研究者たちは、東欧クロアチアのヴィンディア洞窟で出土した二十一個のネアンデルタール人の骨から少量の DNAを調製して、まずミトコンドリアDNA(教科書では115ページから)の配列を読み取りました。その中から特徴のある三つの骨片を選び出し て、今度は核のゲノムDNAの配列を決めたのです(これ自体が画期的な成果です)。骨のもち主は、それぞれ時代の違う三人の女性であることがわか りました。どれにもY染色体(同11ページから)の配列が見つからなかったからです。

 現代人のDNAは、血液をもらって調べます。一人目はアフリカ南部のカラハリ砂漠に住む少数民族(サン)の人です。二人目もアフリカ人で、代々 ナイジェリアの南西部に住んでいたヨルバ人。三人目はフランス人で、四人目はパプアニューギニアの人、五人目が中国の多数派である漢人です。世界 中で五人しか選ばない現代人の中に、アフリカの人が二人も入っています。しかも、その二人ともがサハラ砂漠より南の、ユーラシア大陸とは交流しに くい場所に住んでいます。なぜなのか、わかりますか?

 ペーボたちは、ネアンデルタール人と現生人との区別に役立ちそうな遺伝子を選んで、ヴァンディア洞窟の住人と五人の現代人とチンパンジーとの比 較を行いました。それらは例えば、社会性が損なわれる病気(自閉症)に関わるとか、幼児の頭蓋骨の完成時期に関わるとか、そういう遺伝子です。そ の結果、ヴァンディア洞窟の三人は、チンパンジーよりもずっと現代人に近い、一つのグループに納まりました。さらに詳しく見ていくと、フランス人 とパプアニューギニア人と中国人には、ヴァンディアの人々に特徴的なDNA配列が、一から四パーセントの範囲で含まれておりました。ところが二人 のアフリカ人には、そういう配列が認められなかったのです。

 一般に「ネアンデルタール人」というときには、西ユーラシア大陸(ここでは、ウラル山脈から西、イラクの北部からパレスチナ地方を含む、としま す)と大ブリテン島の南部で、二十万年前から三万年ほど前までのあいだ活動していた人類のことです。その遺跡の北限は、デュッセルドルフ(ネアン デル渓谷)とロンドンの少し北を結ぶ線(北緯52度)で、彼らはムスティエ文化(中期旧石器時代)を担ったとされています。シベリア(ウラル山脈 から東)でも中期旧石器が見つかっていますけれど、これはネアンデルタール人が残したものとは考えられていません。細かいことだけど、ここを憶え といて下さいね。

 ですから、サハラ砂漠より南にいた二人のアフリカ人(サン人とヨルバ人)には、ネアンデルタール人と出会う機会がなかったはずです。ここがわか ると、なぜこの二人が選ばれたのか、そのゲノムにネアンデルタール人ゲノムの痕跡が見つからなかったか、わかる気がするでしょう。もう少し踏み込 んでいうと、アフリカを発ってシナイ半島を渡った現生人の先祖には、パレスチナ地方を北上する途中で地元のネアンデルタール人と接触した可能性が あります。そのとき混血が起こったとしたら、それ以降の現生人の先祖は、濃淡の差こそあれ、先住人類のゲノムの一部を抱え続けていても不思議では ありませんね。

 さてここからは、同じ年の十二月、ネイチャー誌で発表された論文の話に移ります。こちらでは、シベリアのデニソワ洞窟に住んでいた古い人類につ いて報告しています。その場所はロシアの東西でいえば中央で、南北でいうと南端のアルタイ山中です。見つかったのは、五万年から三万年前の人類の 大臼歯と指の骨がそれぞれ一個ずつ、それだけです。頭蓋骨や骨盤はもちろん、腕や脚の骨もありませんから、どんなタイプの人類なのか想像がつきま せん。アルタイ山脈はウラル山脈よりズッと東ですから、ネアンデルタール人ではないはずです。指の骨からDNAを取り出してゲノムの配列を決めた ところ、この骨の主は、ネアンデルタール人に近縁な人類で、しかも女性だということがわかりました。とりあえず「デニソワ人」としておきます。

 彼女に固有なゲノム配列が、さっき挙げた五人の現代人のゲノムから見つかることはありませんでした。ところが意外にも、南太平洋メラネシアの人 たちが、その四から六パーセントを共有していたのです。メラネシアにはニューギニア島も含まれますけど、五人の現代人の四番目の人は、メラネシア 系ではなかったのでしょう。もう少し詳しく調べてみたら、デニソワ人のゲノムをもっているのは、オーストラリアの先住者(アボリジニ)、多くの南 太平洋の島々の住人、インドネシア東部の人々、それにフィリピンのネグリト(とても背の低い少数民族)でした。南シベリアからこれらの人たちの住 む地域に行くには、中国からインドシナ半島、マレー半島を通らねばならないはずです。しかしアジア大陸からインドネシア西部の人々、マレーシアと アンダマン島に住むネグリトのゲノムには、デニソワ人の配列が認められなかったとのことです。とても複雑で不思議ですね。

 もちろんアボリジニやメラネシア系の人たちも、アフリカ大陸から出てきた現生人の先祖の末裔です。だからこの人たちは、デニソワ型の配列とネア ンデルタール型の配列の両方をもっています。それならサハラ砂漠より南のアフリカ人は、元祖現生人型のゲノムだけをもっているのかというと、それ が違うんですよ。この人たちは、アフリカから出てしまった現生人には認められないゲノム配列を、およそ二パーセント含んでいるそうです。そのゲノ ムは、現生人の先祖がアフリカ大陸を出奔したあと、彼の地に生きていた「確認の取れない人類」のものでしょうね。ここでも混血があったのでしょう か? 本当に、何か一つわかると、新しい疑問が次々と出てくるものなんです。


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