© 2012, Tatsuyuki KAMIRYO ネアンデルタール人を推理する

5.「ネアンデルタール人」

 これまでは「ネアンデルタール人」という言葉を、皆さんご存知の、という感じで使ってきました。だからここで少し説明をいたします。ネアンデル タール人とは、いま生きている現生人(あなたや僕のような「人間」)以外で、はじめて認められた「人類」です。人間とは、人類の一種で、専門 的に は斜体文字で Homo sapiens と表わされる生き物です。これを日本語で表現するときは、音読みしてホモ・サピエンスと書くか、和訳してヒト(必ず片仮名で)とするか、そのどちらかで す。人類のほうは、絶滅してしまった原人や猿人も加えた言葉です。その元になる英語はホミニド(hominid)で、これは、分類用語のヒト 科 (Hominidae)という科に属する生き物を意味しています。

 「はじめて認められた」のは、ドイツのデュッセルドルフ近郊にある、ネアンデル渓谷(Neandertal、昔は Neanderthal と綴っていた)のフェルトホーフェル洞窟で見つけられた化石です。「化石」って、完全に石(鉱物)になったものだけでなく、とにかく地質時代 (地球の誕生 から、言葉による歴史が残される前まで)の、動物や植物が遺した物のことです。骨でも葉っぱでも足跡でも、「化石」といわれます。それ以前にも同 じような化石は見つけられていたのですけれど、この骨を遺した人物に(英語でなら)「Neanderthal man」の名前がつけられたので、「はじめて認められた」といったわけです。その「はじめて」の時期とは、浦賀沖にペリーの率いる米海軍東インド艦隊の四 隻が現れた三年後、タウンゼント・ハリスが初代駐日領事としてやって来た年のことです(安政3年、1856)。

 「クロマニョン人(英語では、Cro-Magnon man)」という言葉もご存知ですね。こちらは、その十二年後に、南フランスのクロマニョン洞窟で発見された骨の主を指します。こういいますと、ネアンデ ルタール人とクロマニョン人とは、同格の言葉のように聞こえるでしょう。でもちょっと違うんです。ネアンデルタール人は、彼らが発見される前 やそ のあとから見つかった類似の化石人類の代表として、Homo neanderthalensis (ホモ・ネアンデル ターレンシス) という学名を授かっています。発見の八年後にウィリアム・キングが命名したので、正式 な表現では、この後ろに King, 1864 を付けます。紆余曲折はあったものの、今ではホモ・サピエンスとは違う別の「生物種(しゅ)」として扱われているのです。ところが、クロマニョン人の学名 は、ホモ・サピエンスで、Cro-Magnon の文字は使われていません。ただ単に、三万年より少し前にクロマニョン洞窟に住んでいた人、現生人と同じ種に属する人類、という扱いです。

 もっとも、人類の学名の多く(全てではない)につけられる「(イ)エンシス、(i)ensis」は、ラテン語の「どこそこの 住 人」って意味だそ うです。将来「デニソワ人」の頭骨やその他が見つけられて、その全身像が推定されたとき、現生人にもネアンデルタール人にも当てはまらないという 可能性はありますよね。そうなったら、Homo denisoviensis (ホモ・デニソウィエンシス)なんて学名がつ くか もしれません。デニソワの住人というだけの意味なのに、ラテン語が使われただ けで、なんだか厳めしくなります。

 生き物の種の名前(学名)って、二つの部分から成り立っています。前にある、頭が大文字で書かれるほうを「属名」、後ろの小文字だけの方を 「種 小名」といいます。この二つの組み合わせで、一つの「種名」ができあがるワケです。「ホモ」というのは、化石人類の中の「原人」と現生人とが納ま る属の名前です。ホモ属に入れられない化石人類は、「猿人」としてまとめられて、それぞれ別個の属名がつけられています。人類と類人猿との共 通先 祖に最も近そうな猿人は、約六百五十万年前のサヘラントロプス属です。でも脚の骨がなかったりして、立ち歩いていたかどうか断言はできません。そ れが確かになるのは、諏訪元(げん)さんも加わったチームが見つけた、約四百四十万年前のアルデピテクス属からです。その原人は種小名をラミ ダス とつけられて、Ardipithecus ramidus です。猿人としての一番手は、初めてアフリカで発見された人類として名を残した、アウストラロピテクス属のアフリカヌス (Australopithecus africanus)。他にもありますけど、諏訪さんは猿人の属の数を増やすことに慎重です。

 属とは、いくつかの種をたばねる分類グループです。ホモ属なら現生人のほかに、ネアンデルタール人はもちろん、北京原人のエレクトス(Homo erectus)、平均身長でも一・七メートルはあるといわれるアフリカのエルガスター(H. ergaster 、初期のエレクトスともよばれる)、十年近く前にインドネシアのフローレス島で発見されて、成人でも身長が約一メートルのフロレシエンシス(H. floresiensis)なども含んでいます。猿人は、どの種も百万年前には絶滅しているから、化石の数が少なくて形態に関す る情 報が不足しています。その不十分な情報から読み 取られた違いを、種を超えた属の違いだと判定することには慎重であるべきです。僕は諏訪さんたちの方針に従っていくつもりです。

 さあ、「ネアンデルタール人」に戻りましょう。狭い意味では、四万年とか三万年とか、それくらい前に生きていたネアンデル渓谷の住人のこと で す。でも今では、もっと広い、ホモ・ネアンデルターレンシスの意味で使われます。この広い意味でなら、彼らは少なくとも二十万年前にはヨーロッパ 大陸に現れています。そしてかなり繁栄したのち、四万年くらい前から数を減らして三万年ほど前に絶滅した、とされています。ただ、スペイン南 端ジ ブラルタルのゴーラム洞窟では、二万八千年前、ひょっとすると二万四千年前まで生き延びていたようです。彼らはおよそ二十万年間、西ユーラシアの 広い範囲に縄張りをもち、中にはリス氷期(一説によれば18〜13万年前)やウルム氷期(同7〜1.5万年前)を経験した集団もいたのです。 だか ら、発見された個々の遺骨の体形や容貌は多様であって当然です。そういう多様性をもった人類グループが、「ネアンデルタール人」なのです。


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