© 1999-2000, Kyu-hachi TABATA
交流の記録 (ヘルシンキ だより #28)


ヘルシンキのイルマ・テスレフのラボへ留学したことによって、さまざまな人物との交流が始まりまし た。ここでは、イルマのラボとの交流をご紹介します。

28-1 イルマの初来日 (1994年12月ごろ) 

JADR (Jpn Association of Dental Research,
IADR のブランチ)の招聘で来日。阪大歯学部矯正学講座の作田守教授がお世話をされました。学会のあと、いくつかの大学で講演をしたそうですが、その中に阪大で の講演がありました。
演題: The role of growth factor in tooth development
日時: 1994年12月2日 15:30-17:30
場所: 歯学部・大会議室
この講演のおかげで、論文や総説でよく知った「その人」を初めて見ることができました。思っていたより、ずっと若くて、スライドの交換やセット アップまで自分でやるタイプの(=他人任せにしないタイプの)人でした。講演の後、栗栖先生が Irma と話をしたい旨を伝え、データを交えて間近で話をすることができました。このとき、見ていただいたデータがHGFのアンチセンス実験のものです。この日の ほんの数十分の会話が後の留学につながりました。

28-2 私の留学 (1996年11月から1年間) 

在外研究(若手・長期)が当たったので、1996年11月から1997年10月の1年間をイルマのもとで滞在研究をしました。最初から家族同伴で 来フィン。住居は、ソルナイネンのアパートを4ヶ月、ピヒライストンティエの アパートを8ヶ月利用。イルマのラボでは”マコト”と呼ばれていました。

Tabby グループに入り、関連する分子の探索を行うが、難航しました。これは私だけでなく、他の Tabby のメンバーも同様です。私は主に免疫染色と in situ hybridization で明け暮れました。結果の一部は Devel. Biol. 216(2): 521-34 (1999) にて発表されました。

28-3 大島勇人先生の留学 (1997年3月から10ヶ月) 

新潟大 学・歯学部・口腔解剖学第2講座・講師(現、助教授)。私と同じ頃、イルマのラボで滞在研究をされました。1997年3月から 1997年12月の10ヶ月、やはり在外研究(若手・長期)です。専門は組織形態学で特に電顕を使った微細構造学のエキスパート。また、彼の論文 には必ずといっていいほど、大変、うまい彼自身のスケッチがあります。電顕の技術を活かす研究ということで、電顕フロアの Jormo Wartiovaara の協力を得て、電顕を使ったエナメル結節の組織構造の解析を行いました。イルマのラボの壁には、歯胚の透過電顕写真のモンタージュが貼ってありますが、そ れは彼の制作したものです。成果の一部は、Cell Tissu Res 297(2): 271-281 (1999) で発表されています。イルマのラボでは”ハヤト”と呼ばれていました。

滞在の途中から、奥様(同大学・同学部・小児歯科・助手)とお子さんたちも来られました。それで、住居は最初はソルナイネン、家族が来られてから はクビレのユニホステルを利用。奥様は歯学部でダイオキシンの影響の研究をされていました。理紗ちゃん(下のお嬢ちゃん)とウチの綾子は同じ保育 園 Paivakoti Lohikko に通っていました。大島先生 のHPに自身の滞在記があります。

28-4 Hyun-Jung Kim 先生の来日(1998年1月5日〜23日) 

栗栖先生が1997年に慶北大学校に訪問された時の約束から Hyun-Jung Kim(=Rosa)が来日。関空まで迎えにいくとそこには、2年前と変わらない彼女がいました。彼女はヘルシンキから帰国した後、結婚したこと、しあわ せだが、大変だといった話をしながら関空からゲストハウスへと移動しました。大変なのは、韓国が日本よりもずっと「家」を大事にするからのよう で、たとえば旧正月、相手の家に行きいろいろと仕事をしないといけないのだ、というようなことを話してくれました。

研究室では、ちょうど基礎講座配属実習が始まり、何かと気ぜわしい時期ではありましたが、相互に培養技術を教え合い、また交流を深めました。特に 私はマウス胎仔からの Carvaria culture に興味があり、その時期や取り出し方を直に見せてもらいました。日本は何度か来ているとのことでしたが、大阪は初めてとのこと。国立民族博物館や、大阪 城、海遊館などを一緒にまわりました。

28-5 原田英光先生の留学 (1998年4月から1年間) 

九州歯科大学・口腔解剖学第2講座・講師(現、助教授)。 栗栖浩二郎先生が九大・歯学部に居られたとき、大学院生として、エナメル芽細胞の研究に携わり、初代培養の開発などに尽力されました。私は栗栖先 生から紹介され、学会のたびにいろいろと親しくしていただき、また、帰省の際にもお会いしたりしました。私の実家は北九州市小倉にあり、彼の大学 から歩ける距離にあるのです。イルマのラボでは”ヒデ”と呼ばれていました。

原田先生は、1998年4月から1999年4月までの1年間、福岡県職員の海外派遣制度によって留学。住居はクビレのユニホステルを利用。奥様と 0歳の赤ちゃんとともに生活。専門は細胞生物学で、幹細胞の探索に熱意を持っておりましたが、それが見事に実り、切歯のサービカル・ループでの幹 細胞を特定。J. Cell Biol. 147(1): 105-20 (1999) にて発表。日本から行ったメンバーの中では、とびきりいい仕事をして帰られました。


28-6 Hyun-Mo Ryoo 先生の来日 (1999年1月29日〜2月10日) 

骨の研究をしている Hyun-Mo Ryoo 先生が来日。慶北大学校 Kyungpook Univ で Hyun-Jung の同僚。Cbfa-1 (現 Runx 2 )の情報収集とアンチセンス法の技術修得を目的に短期滞在でやってきました。この後、秋にも骨代謝学会のために再来日。

28-7 イルマの再来日 (1999年9月29日〜10月3日)  

オーストラリアの学会のあとの私用での立ち寄り。イルマの下の娘の Paula (パウラ)が新体操・団体競技のフィンランド代表チームに選ばれ、オリンピック選考を兼ねた「新体操世界選手権大阪大会」に出場するのを見るため に日程をあわせ、来日したのでした。ホテルの手配は殆ど私がしましたが、移動については自分でできるとのことで、私は関空から千里中央の千里阪急 ホテルまでの説明と地図を電子メールで送り、彼女とは翌朝(9月30日)、そのホテルで待ち合わせしました。

イルマは変わっていませんでした。大学では、午前中にわれわれのデータを見てもらいました。昼は銀杏会館のミネルバで食事。途中から来た大島勇人 先生(新潟大学)も一緒です。午後になると原田英光先生(九州歯科大学)、山城隆先生(岡山大学)も来られ、イルマのラボにゆかりのメンバーが一 同にそろいました。そこで、午後は小さなセミナー室で相互に発表するセミナーをしました。また、前回の来日の時にイルマの招聘をしてくださった作 田守先生も途中から参加されました。夕刻は、千里中央の千里朝日ビルの中華料理店「チャイナ・テーブル」で歓迎のパーティ。いろいろな話がでて、 話のとぎれることがない、楽しい会食でした。写真はセミナーのあとに撮ったもの、左から、私、ハヤト、作田先生、イルマ、栗栖先生、ヒデ、山城先 生。

28-8 私のヘルシンキ再訪 (2000年1月に10日間) 

共同研究の一環として、フィンランド・ヘルシンキを再訪。大学院生の阿部真土(アベ マコト)が同道。私は、必要な実験材料を、阿部くんは RIプローブを使った in situ ハイブリダイゼーション法の修得が主な目的でした。詳しくは、ヘルシンキだより #29 で紹介。

28-9 山城隆先生の留学 (2000年8月から現在) 

岡山大学・歯学部・矯正学講座・講師。阪大出身です。同講座教授の山本照子先生は、イルマの初来日時は、阪大におられイルマの案内役をつとめまし た。そのご縁もあり、留学先としてイルマのラボを選んだようです。

28-10 イルマの3度目の来日 (2000年9月27日〜10月4日)  

共同研究の一環として招聘。イルマにとっては、3度目の来日。成田−新潟大学−大阪大学−岡山大学−九州歯科大学−福岡−成田とあわただしい日程 でした。大阪では、阪大歯学部が開催担当した「第42回歯科基礎医学会学術大会ならびに総会」で特別講演をしてもらいました。MOホールは満席、 モニター中継の会場も結構な数の聴衆が入っていたと聞きました。およそ600人近くが聴いてくれたのではないでしょうか。
演題: The molecular basis of normal and abnormal tooth development
日時: 2000年9月30日 14:30-15:30
場所: 吹田キャンパス・コンベンションセンター3F・MOホール(このほか2会場でもモニター中継)
当日は、ハヤトとヒデ、それに私は皆、お揃いのネクタイを締めました。これはいよいよヘルシンキを去る時にイルマが手渡してくれたネクタイです。 なかなか使う機会がなかったのですが、まさに今日がふさわしい、ということで3人で示し合わせ着用しました。イルマは、それを見て、「今日はフィ ンランドデーだ。私も青い服を着てきたし...」ととても喜んでくれました。

写真 は、懇親会の最中に撮ってもらったもの。左から、私、ヒデ、イルマ、ハヤト。イルマは胸の花飾りをとても気に入った様子だったのも意外でした。考 えてみれば、縦書きで名前を表記できるからこそ、可能な花飾りの名札。特別講演のあと、渡された感謝状も日本語のものでした。以前、日本語の文字 には3種類あることを説明したことがありましたが「カタカナは外国語の表記に使われる」ということを覚えてくれていました。

ちょうど、シドニーオリンピックの会期(9/17ー10/1)と重なり、テレビはオリンピック放送ばかり。しかも新体操の決勝が連日ライブで放送 されていました。イルマはホテルではこれをずいぶん楽しんだようでした。1年前に来た時のことを思い出しながら(娘のパウラの新体操世界選手権の 観戦のため来阪。残念ながらパウラのフィンランド・団体チームは敗退)、「1年後のまったく同じ日に、やはり大阪で新体操の決勝を見ているのはす ごく不思議だ」と言って笑っていました。

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