© 1996-1997, Kyu-hachi TABATA
ヘルシンキ
だより #5 1997-01-11 記
こちらは12月13日から雪がつもりはじめ、やっと冬らしくなってきました。昼間の気温が零下8度〜14度ぐらいですが、室内は22〜24度
に保たれ、快適です。クリスマス前後にはフィンランド全体が猛烈な寒波に覆われ、ヘルシンキ市内でも零下18度まで下がりました。
5-1 ラップランド小旅行(12月23日〜26日)
クリスマス休暇を使い、ラップランドのロバニエミへ小旅行をしました。同じ研究所の今井先生ご一家、中東のカタールから北回りで帰国途中の義
弟が一緒です。往復は寝台列車を使いましたので少々疲れましたが、それでも列車の旅行はいいものです。
23日の夕刻出発です。ヘルシンキ中央駅出発だったのですが、ホームが長くて5分近く歩いて自分達のコンパートメントにたどり着きました。こ
ちらでは、出発のベルもないし、アナウンスもない、ドアの開閉も関係なしに列車が動きはじめるので、はじめは驚きました。
24日の早朝、ロバニエミに到着、ホテルで荷を置いて有名な「サンタ村」に行きました。お決まりのサンタクロースとの記念写真をとってもらい
ましたが、デジタルカメラで撮影し、アドビフォトショップで出来上がりの確認をして、カラープリンタで出力というハイテクの村でした。日本人
観光客が多いのにも驚きました。ホテルに戻り、サウナを楽しんだあと、クリスマスディナーを楽しみました。途中、サンタクロースが訪れるなど
のアトラクションもありました。あとで、「サンタはエルフ(妖精)とトナカイとともに来訪」というメニューに気付きましたが、時既に遅く、ホ
テルの外にはトナカイの糞が落ちているのを見ることができるだけでした。この日の気温は零下27度でした。
25日は、朝から「トナカイ牧場」へ。零下33度の中をトナカイのそりで遊んだり、クロスカントリースキーを楽しんだりしました。あまりの寒
さにまつげは凍って真っ白、鼻の中は鼻水が氷って霜柱のようになり、ビデオカメラは動かないという始末。でも、案外、普通の格好でしのげるも
のでした。ちょっと不思議です。昼からは、ホテル近くの博物館へ。ラップランドの自然や人々の暮らしのすばらしい展示に時間を忘れるほどでし
た。
26日は、レンタカーでさらに北の町ラヌアへ行き、世界最北の動物園「ラヌア動物園」を訪ねました。冬の動物園というとあまり見るものがない
のではないかと思っておりましたが、真っ白な冬毛をまとった大型の鳥たちや、北極圏にすむオオカミ、熊、イノシシ、山猫などが雪と氷の中を活
発に動きまわる様子はすばらしいものでした。また、園内はゆるやかな up down
が続くので、子供用の「そり」を借りまして、時々、綾子はそり滑りを楽しみました。夕方、ロバニエミ発の寝台に乗り、帰途につきました。
残念だったのは、オーロラが見れなかったこと。ホテルのサウナで知り合った日本人留学生も「オーロラが見たい」と言って、さらに北の町へと長
距離バスに乗って行きました。昨日もらった彼からの電子メールでは、イヴァロ、イナリといったフィンランドの北の町を経由し、最終的にはノル
ウェーのカラショクまで行って、ついにオーロラを見たとのことでした。こちらでも、オーロラはなかなか見ることができないようです。
5-2 バレエ「くるみ割り人形」(12月28日)
こちらでは、子供でもバレエなどの鑑賞ができます。Irma
が手配してくれて、チケットを安く買うことができました。前から9列目の席で、大人200Mk(=5000Yen),
子供120Mk(=3000Yen)
です。くるみ割り人形は、馴染みの曲が多いのとクリスマスにちなむストーリーなので楽しみにしていましたが、期待以上でした。この「くるみ割り人形」は、
ヘルシンキのオペラ座の年末を飾る例年のプログラム。振り付けは、モーリス・ベジャールでした。
5-3 インターネットで日本語を(12月20日)
研究所のPC環境では日本語を使えない旨を伝えましたが、何とかしようといろいろとトライしておりました。せめて、日本語フォントを登録出来
れば、WWWブラウザで日本語表示が出来るようになると思い、いろいろとやって見たのですが、システムが日本語フォントを拒否する事態で、結
局、こちらの PC Wizard である Thomas Aberg に Help
してもらいました。彼も結構、苦労したようですが、それでも2日目(クリスマス休暇の直前)にはついに日本語表示が可能になりました。MView
という常駐型ソフトを見つけて来てくれて、これを組み込んでくれたのです。無論、プリントアウトも可能。しかも、韓国語も表示出来る様にな
り、Hyun-Jung Kim (Korean) と一緒に大喜びしました。
(追記)MView ver3.10 が最新バージョン。作者は Albert Chong。英語版やフィンランド語版の
Windows上で日本語、韓国語、中国語の表示を可能に。シェアウェアだが料金はたったの $5。次の FTP
サイトで入手可能。くわしくはこちら。
5-4 ホンモノの豆腐(12月18日)
こちらでもパックいりの豆腐がスーパーで手に入りますがおいしくありません。ところが、先日、家内がホンモノの豆腐を買って来ました。ハカニ
エミの屋内市場近くのアジアフードショップで売っていたそうです。在フィン8年の日本人も、まさかホンモノの豆腐がヘルシンキ市内で売ってい
るとは知らなくて、見せた途端、「こ、これは豆腐だ」と眼を丸くして驚いていました。味も格別、値段も 4Mk
(=100Yen)と格安でした。
(追記)ハカニエミには、ビーボアンという店もあり、こちらの方が大きく、豆腐に加えて厚揚げがあります。割高になりますが、「ハウスほんど
うふ」もこれらの店で入手でき、こちらの方がいいという人もいます。それから、香港やオランダの日清食品が作っている「出前一丁」(オリジナ
ル、カレー味、海鮮味など各種)や、九州のはがくれ食品が中国向けに作っている長期保存の生うどんなどもあります。もちろん、中華食材も冷凍
もの、乾燥もの、野菜、もやしなど豊富にそろっています。
5-5 大晦日〜元旦
こちらではクリスマスは静かに過ごし、年明けはにぎやかに過ごすらしいです。12月31日から1月1日にかけての数時間は、花火が街のあちこ
ちであがっておりましたし、少し大きな通りでは、酒を呑んだ人々がロケット花火のようなものを次々と打ち上げたり、花火を手に持ってうろうろ
したりで、少しばかり物騒でした。
元旦の日はこちらでも祝日でしたので少しばかりゆっくりし、家内が作ってくれた雑煮を食べました。食べ物には、あまり困らないので助かってい
ます。また、1月9日の予定だった私のセミナー当番が、もっと後になったこともあり、少し、ほっとしています。一応、発表原稿やセミナーシー
トも作ってはいたのですが、やはり英語で話すのは難しく日常からもっと英語を使えるように成らなくては、と思うことしばしです。
5-6 テレビと「そり」
こちらでは、クリスマス前が歳末商戦のようになっていて、クリスマスが近づくほどだんだん物が安くなっていたのですが、ラボでその話題を出す
と、「クリスマス以降はさらに安くなるよ」とのこと。全くそのとおりで、クリスマス以降、あちこちで "Ale 30 - 50%"
などという看板をみるようになりました。"Ale" とは "Sale"
のことです。それで、大晦日の日は、買い物に出て、家内にはテレビを、綾子にはプラスチックのそりを買いました。テレビ番組は、結構良質な番
組が多く、映画も多いのです。それに番組表が必要なので新聞も時々買う様になりました。そりは「ラヌア動物園」で楽しんだのと全く同じ型のも
ので、これがたったの 39 Mk (=975Yen)。綾子は近くの公園でそり滑りを楽しんでご満悦です。
5-7 仕事の状況
私は、現在、EGF-R, Beta-catenin, E-cadherin
の免疫染色をやっていますが、抗体の選択から、固定液の作成、発色系、増感系、などすべてのステップを作らねばならず、苦労しています。また、途中で抗原
の安定性にカルシウムやマグネシウムイオンが必要だという情報が入り、リン酸緩衝系からトリス緩衝系に変える必要がありました(リン酸に
Ca, Mg
をいれると塩の析出がおこる)。このため、抗体の希釈や、ブロッキング液、リンス液などもすべて作り替えました。また、ストックの作り方も新規に考えねば
なりませんでした。それでもクリスマス休暇前に何とか系がそろいましてほっとしました。
Lef-1, Msx-1, Msx-2, BMP4, EGF-R, Beta-catenin, E-cadherin
の関係がほぼわかってきておりまして、あとは誰が決定的なデータを出すかだけの段階です。私は、特に歯胚発生における
Beta-catenin の動き(本来は E-cadherin
と結合しているのだけれど、核に移行する現象が知られています)を押さえることが大事だと考えております。
日本にいる時は、どちらかというと避けてきた「膜タンパクの検出」をやることになり、最初はちょっと腰が引けていましたが、最近はこの「検出
の難しさ」と正面から取り組んでいます。
5-8 日本語補習校(1月4日)
日本クラブで知り合った人からの紹介で綾子は日本語補習校 Helsingin Japanilainen Kouluyhdistys
の幼児部に通うことになりました。これは文部省の補助を受けて、在フィン日本人が中心になって運営している「週1回の日本語学校」です。日本人の多く、特
にフィンランドの人と結婚した人たちは、子供の日本語教育に悩んでいます。それで大変な苦労をしてこうした学校を運営しています。綾子は、日
本語で話す友達が嬉しいらしく、すぐに学校に馴染んでしまいました。
(追記)文部省の海外教育施設には、日本人学校(全教科・全日制・教師派遣)、補習授業校(特定教科のみ・生徒数が多ければ教師派遣)の2種
類があります。ヘルシンキの日本人は、約200戸、500人であり、子供達の数はせいぜい40人程度。補習授業校がやっとです。くわしくはこちら。
5-9 海の上を歩く(1月11日)
今日は、土曜で子供の日本語補習校の日です。テヘターンカト小学校という学校へ綾子を朝9時までに連れて行きました。学校が終わる
12時まで、待ち時間がありますので、この間に近くの公園に行き、凍った海の上を散歩しました。氷の上は、雪が降り積もり雪原のようになって
います。15cm
ほどの雪の層を払いのけると氷が見えます。しかし、そうして氷を確認しなければまるで地面を歩いているのと変わりません。天気もよく、まぶし
い陽光の中、気持ちのよい散歩になりました。
ちなみにヘルシンキの人たちも、犬を連れて散歩したり、穴を開けて釣りをしたり、クロスカントリースキーやスケートをしたりと凍った海の上が
大好きなようです。塩水は簡単には氷らないようなイメージがありましたが、ヘルシンキでは、雪が降りはじめたその日から海一面が氷りました。
波が静かなせいもあるかもしれませんが、それはそれはあっけなく海が氷りました。