© 2012, Tatsuyuki KAMIRYO ネアンデルタール人を推理する

9.混血論の続き

 前項の最後の段落でいったことがチョッと舌足らずだったので、この記事は、それを埋めるために書くつもりです。あそこでは、ムスティエ石器と一 緒に出て来た遺骨が、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの両方に似ていようが、また現代人の多くにネアンデルタール人に特有なゲノム配列 が見 つかろうが、それで両者のあいだで混血が起きたとはいえない、といったのです。遺骨のことと、ゲノム(遺伝子)の配列のことと、分けてお話しま しょう。

 ネアンデルタール人と現生人の頭骨とか骨盤とかを比べれば、かなり違いがあるのは確かです。ですから新たに発掘された骨のどこがどちらに似 てい るか、その判定は容易なように思ってしまいます。ところが、この「似ている」っていうのが曲者です。あなたは、ご自分とゴリラとを比べて、どちら がチンパンジーに似ていると思われますか? たぶん、もちろんゴリラのほうだとおっしゃるでしょう。でも、もしチンパンジーが喋れたら、「冗 談 じゃない。ゴリラよりも、アンタのほうがよっぽどオレに似ている」と、こういうでしょう。実際、アフリカの類人猿から最初に別れていったのはゴリ ラで、残った集団の中からチンパンジーの系統とヒトの系統とが分かれたのです。ブールは、ネアンデルタール人をヒトよりもサルに似ていると判 定し たんでしたね。人間の判断には人間の偏見が入り込み、学者の判断には自説への執着が潜んでいます。

 遺骨または化石から何かを数量化するときに恐ろしいのは、地中に埋もれているあいだに起きる変形や歪みです。こういう遺物が完全な形で現れ るこ とは、まずありません。断片化されていて、欠けている部分の方が多い場合がふつうでしょう。近年の発見物に対しては、その形の復元に高度なテクノ ロジーが使われているようですけれど、少し前までは「職人技」で復元されていたそうです。いったん復元像が完成すると、そのレプリカが一人歩 きす るようになりますから、比較の基準に採用できるかどうか、慎重な検討が必要になるはずです。

Marks 98%チンパンジー  遺伝子DNAからの結論にも問題があります。八年ほど前、ジョ ナサン・マークス(Jonathan Marks)の『98%チンパンジー(What it means to be 98% chimpanzee, 2002)』青土社(平成16年)という本が出ています。それはチンパンジーのゲノムが解読された頃 で、ヒ トのゲノムとの違いは二パーセントほどだ、と話 題になっておりました。現代人同士を比べると、ネアンデルタール人由来のDNAの有無によって、皆無から四パーセントまでの違いがある計算です。 それでは現代人同士よりも、ヒトとチンパンジーのほうが近縁だということになるのでしょうか? 断じてそんなことはありません。二つの生物と 二つ の個体のゲノムの違いを、単一の数値で比較することは不可能なのです。

 以前の「なぜ混血が問題なのか」の項で、平成二十二年五月のサイエンス誌に載った研究論文を紹介しました。白状しますと、あの結論が導かれ た過 程を、僕は理解していません。ヴァンディア人と現代人、合わせて八人分のゲノム配列は日本にもあるデータ・バンクに保存されています。それを見よ うと思えば見ることができるし、適切なソフトを借りて、自分自身で比較することもできるはずです。でも、はなからそれを諦めました。僕には無 理で す。だからあの「一から四パーセント」が、どういう配列をどう解釈して導き出されたのか、実はわかっていないのです。

 僕にもわかることは、一つの種(配偶集団)が二つの種(互いに配偶関係が絶たれた集団)に分かれるずっと以前から、元の集団の中に、将来の 二つ の集団に差をつける遺伝子が含まれているということです。原初の集団にあったその遺伝子の型は、何かの表面をマンマルにする働きをしていたとしま す。その集団には、この遺伝子が、その型一つしかなかったんです。ところがある個体の生殖細胞の中で、その遺伝子の別型が突然変異で生まれた とし ます。この新しい遺伝子は、その「何かの表面」をシワシワにする働きをもつようになったとしましょう。そして、この新旧二つを「二つの集団に差を つける遺伝子」の一例だと思ってください。この新遺伝子(原初の遺伝子に対する対立遺伝子)が、集団内での配偶関係が続いているあいだに、た また まある程度その集団(親集団)のあいだに広まったとしましょう(たとえば10%)。もちろん少数派です。なお、マンマル型とシワシワ型とは、個体 の生存力には影響しなかったとしておきます。

 さてあるとき、集団全体から見れば取るに足りない小集団が、親集団から分かれていったとします。この別集団の中でのシワシワ型の割合は、偶 然に 支配されます。全然ないかもしれないし、半分くらいを占めていたかもしれません。しかしその別集団では、配偶関係が数少ない個体のあいだに限られ てしまいましたから、シワシワ型がマンマル型を駆逐してしまうか、その逆になるか、個体数が多い親集団に比べればずっと早く決着がついてしま うは ずです。親集団がマンマル型とシワシワ型の混合状態でいるあいだに、少人数で出発した別集団は、たとえばシワシワ型で統一されてしまうのです。配 偶関係が断絶している期間が長引けば、この二つの集団それぞれに別個な遺伝子変化がつみ重ねられていって、両者からの雌と雄が出会っても、も はや 配偶関係にならないことが考えられます。これこそが種の分岐です。シワシワ型対立遺伝子の出現(遺伝子の分岐)からみれば、ずいぶん後のことにな ります。

 さて、はじめの親集団から、また別の小集団が分かれることを想像してください。この第二の小集団ができたあと、二十万年ほど経ってからのそ の第 二小集団でのシワシワ型の割合も、偶然が決めることです。一から四パーセントほどかもしれません。この理屈は納得できますね? そしたら、ネアン デルタール人を第一の小集団として、現生人を第二の小集団と考えて、現代人の中にネアンデルタール人の遺伝子がいくらか混じっていることを、 「混 血」をもち出さずに説明できるでしょう。もちろん、それが説明できても、混血を否定することにはなりませんけどね。

 ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルターレンシスは種が違うから、混血できるはずがないなんて、そんな杓子定規な考え方はしないでください ね。 それは理屈の逆立ちです。つい最近までネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスと別種ではなく、その亜種(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレン シス)と分類されていたんですよ。


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