© 2012, Tatsuyuki KAMIRYO
ネアンデルタール人を推理する
14.ハダカになった人類
あなたのお母さんからお婆さん、ひいお婆さんと続く系列の、どこからが人類かということも分類とか定義の問題です。サヘラントロプス属やオロリ ン属、アルデピテクス属などは、わずかながら人類側に寄っているといっても、まだそこはグレー・ゾ−ンだと思っておきましょう。アウストラロピテ クス属、これはもう人類と位置づけてよさそうですから、およそ四百四十万年前からこちら側は、人類の系列です。歯など咀嚼の器官が頑丈な猿人たち は、あなたのお婆さん系列に入っていないから無視します。けど、もし彼らを含む「猿人」が毛皮を失っていたら、ほぼ二百五十万年前までのアウスト ラロピテクス・ガルヒまで、二百万年ちかくものあいだ命をつなぐことはできなかったでしょう。証拠なんてありませんけど、猿人たちは火を使えな かったし、石器らしい石器も使ってなかったから、「毛皮という家」をねぐらにした、野生動物そのものだったと思うばかりです。
ガルヒ猿人からホモ・サピエンスに至る系譜は、「
六百万年前から現在へ
」の項で書いたように、 原人の種数を制限した諏訪さんの方針で見ていきま す。あなたからはじまる女系先祖の鎖をさかのぼると、およそ二万五千年前に相当するところで、あるお婆さんに出会うかもしれません。その人は、 オックスフォードの法医学者だったブライアン・サイクス(Bryan Bykes)から、ジニアと名づけられた女性です。その経緯については
、 『イヴの七人の娘たち(The Seven Daughters of Eve, 2001)』ソニー・マガジンズ(平成13年)
に 書かれております。ジニアがいたのは、黒海とカスピ海のあいだを塞ぐカフカス山脈の北側で、ウルム氷期の 最盛期といってもいい、一万七千年前のことだそうです。
サイクスが作り上げた物語によると、彼女の一族には、双子の子供が産まれたら小さいほうを殺すという掟があったんです。ジニアは双子の娘を産み ました。母親は片方の赤ん坊をウサギの皮にくるんで、夫にわたした。彼は三十キロくらい離れた隣のキャンプ地へ走って、友人の狩人を訪ねます。そ の狩人が事前に心配していたとおり、彼の娘が産んだ赤ん坊は、二日前に死んでいました。ジニアの父親が赤ん坊を差しだすと、狩人はしばらく考えた あと、腹をすかせている赤ん坊を受け取り、娘のもとに戻るのです。このあとは『イヴの七人の娘たち』から引用しましょう。
「ジニアは双子のひとりがどうなったのか、知らなかった。自分が一族の母となることも、知らなかった。彼女が手もとに残した娘から、今日のヨー ロッパまでつづく長い系図がはじまった。枝分かれしたその系列を通じて、ジニアまで母系先祖をたどっていける人口は現代ヨーロッパ人の約六パーセ ントに当たる。養子に出された双子のもうひとりの系図も大いに栄えることになった。彼女の集団と子孫は、それから何世代にもわたって遥か東へ進 み、中央アジアの果てしない大草原地帯とシベリアへと、ついにはアメリカへの移住組にも加わることになった。現代アメリカ先住民の一パーセント は、ジニアの直接的な母系子孫なのだ」
どうですか? 「一族の母」とは、同じタイプ(同一の配列ではない)のミトコンドリアDNAを共有する現代人集団の共通先祖のことで、サイクス が作った言葉です。簡単そうですけど、二つの条件がそろわないと、この称号はもらえません。条件とは、「二人以上の娘」を産んでいて、彼女たちの どちらにも「現代に続く子孫」を残させている、この二つです。それから、ミトコンドリアDNAにこだわるのは、これが女性を介してしか次の世代に 伝わらないので、母系に限ればすごく正確に先祖を追跡できるからです。細胞核にあるDNAとどう違うのかは、教科書の第9話の前半 (115〜123ページ)に書きました。ひと言でいえば、とても短くて(塩基対にして1万7千足らず)、そのうえ娘にも息子にも、母親のミトコン ドリアDNAだけが直接伝わるということです。核のDNAは、べらぼうに長いだけでなく(約29億塩基対)、両親のゲノムの混ざり物ですから、先 祖の探索には不向きです。ただしY染色体のDNAなら、父系先祖の追跡に有効です。
サイクスが書名に「イヴ」を使ったのは、ヘビにそそのかされて禁断の果実を食べた女を連想させるためではありません。昭和六十二年に米国のアラ ン・ウィルソン(Allan L. Wilson)のグループが発表した有名な研究があって、それを紹介したニューズ・ウィーク誌が作った宣伝文句、「ミトコンドリア・イヴ」に便乗しただけ です。ウィルソンたちは、現代の百四十七人のミトコンドリアDNAを使って家系図を作りました。その結論は、すべての人類の母方の家系をたどると 二十九万年から十四万年前にアフリカにいた、ただ一人の女性にたどりつく、というものです。だからサイクスの「イヴ」とは、その時代から現在まで 女系の子孫を絶やさずにすんだ、運のいいお婆さんのことです。「一族の母」の母、と考えてもいいでしょう。なお、宝来聡さんの研究も含めて最近ま での成果を眺めてみますと、現代人に共通する女系先祖(運のいいお婆さん)がいた時代は、意外にもみな、二十五年も前にウィルソンたちが推定した 範囲に納まっています。
サイクスの本の中には、世界中の三十五人の「一族の母」たちのつながりを示す図が載っています。ジニアより古いタイプのミトコンドリアDNAを もつ母の中で、ララと名づけられた女性がいました。この人よりさらに古いタイプをもつ八人の「母」たちの子孫は、すべて現在のアフリカ大陸に住ん でいました。ララの一族はアフリカにも残っていますから、彼女の一族がホモ・サピエンスの「出アフリカ」に大きな貢献をしたのでしょう。そうな ら、ララの時代までには、人類は毛皮を捨てているはずです。いま世界中の人間がハダカだからです。もちろん、ララより古いタイプの「母」たちの子 孫もアフリカに生き続けていて、彼らだって皆ハダカなのです。だとすれば、「運のいいお婆さん」のいた時代から、ヒトはすでにハダカだったに違い ありません。
それを二十九万年から十四万年前だとすると、化石からの知識ともうまく合致しそうです。諏訪元さんとティム・ホワイト(Tim D. White)のチームが、エチオピア北東部のアファール低地にあるヘルト・ボウリで見つけたヘルト人の化石は、約十六万年前のモノと確定されているからで す。ヘルト人は、種のレベルでは間違いなくサピエンスですけど、僅かにハイデルベルゲンシスの特徴を残しているから、ごく初期のヒトとみなされて いています。ヘルト人の年代が分かってから、エチオピア南西部のキビシュから出たヒトの部分化石について、年代の再測定が行われました。その結果 はおよそ十九万年前だそうです。化石から毛皮のあるなしは判定できません。けれどヘルト人やキビシュ人が、運のいいお婆さんとほぼ同じ時代に生き ていたのですから、ヒトという種は、出現のごく初期からすでにハダカになっていたのだろうと、僕は想像します。
ヒトが残したモノは彼らの骨だけではありません。石器を中心にした「文化」もあります。これを考慮に入れると、この話は、ハイデルベルゲンシス やネアンデルタールとの関係にも発展させられそうです。
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