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2025/02/22 |
| 黒島という名前の島は、全国にいくつかあ
るが、ここでとりあげ る黒島は、鹿児島県薩南諸島に属する島である。薩摩半島から約40km
ほど離れており、その沖合はカツオの漁場のひとつである。 黒島流れとは、1895年(明治28年)7月24日にこの黒 島沖合で起こった海難事故、または、その原因となった台風をいう。豆台風*が発生し、短時間のうちに天候が急変したため、枕崎と 坊津 のカツオ漁船が34隻沈んで、漁師が 713名も亡くなった。当時の漁船はまだ帆船で あったから、緊急避難もできなかったのである。当時最大の海難事故となった。 私の一族は、曾祖父の代まで、枕崎のカツオ漁師であった。家族や船子と船を出し、他の僚船とともにカツオ 漁をしてい たが、こ の黒島流れで揃って亡くなった。墓には、彼らの遺骨は無い。ただ、同じ日に亡くなっ たことが刻まれているのみである。 *豆台風=暴風域が直径100km以下の小型台風をいう。突発的に発生することが多い。 |
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沈んだ
船と亡くなった人は、枕崎が23隻で411名、坊津 が11隻で165名、川辺からの漁夫もいて、合計713名もの命が失われた1,4)。
当時、 鹿児
島にあったカツオ漁船は61隻というから、過半数が沈んだことになる。私の一族も仁太郎(休八)、長九郎、喜太郎、己之助、六次郎の兄弟5名が亡くなっ
た。それぞれの享年は 42歳、39歳、35歳、32歳、22歳。働き盛りの男たちだった6)。塩屋・田畑集落だけで
99名が亡くなっているので1)、多くの親戚・外戚も亡くなっているはずである。
■4.
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