© 2002-2003, Kiyotaka YAMANA
野 生のチューリップ
〜シャルコールで見た花をめぐって〜
山名清隆
◆パキスタン北東部で
1999年4月上旬、パキスタン北東部のフンザを訪れた帰り、「野生のチューリップ」を見た。インダス川沿いのベシャムから2時間ほど下った
ところで、地 名はシャルコールというらしかった。
ホテルの裏手の丘に登ると、まわりは見渡すかぎりのナノハナ畑で、丘の上だけが小さなムギ畑になっていた。ムギは背が低く、それらのあいだに
数輪の花が咲 いていた。白っぽい、目立たない花であった。午前10時すぎ、強い日射しが一面に照りつけていた。
ホテルにもどってみると、四度もフンザを訪れたというMさんが、あの花を示しながら話していた。「これが野生のチューリップです」。それを聞
いてすぐに丘
の上に引きかえし、あらためて先ほどの花を観察した。幅の狭い数枚の葉のあいだから20cm足らずの茎が1本まっすぐに伸び、その先端に花が
一つだけ咲い
ている。6枚の花弁の内側は白いが、外側から見ると薄いピンク色の花弁と白い花弁が交互に並んでいるようにみえる。ピンク色の花弁も、縁の部
分は白い。
◆花の形について
帰国後、チューリップについて書いたものを読んだ。それによると、チューリップの原産地はイランであり、イランではラーレ (lalé)
とよばれているらしい。また、原種やそれに近いものの特徴は花の上半分が少し開くだけで、けっして全開はしないことだそうだ。ちなみに、
チューリップとい
う名前はターバンに由来するが、それは花の形がターバンを巻いた回教徒の頭を連想させるからだという。つまり、すくなくとも原種に近いチュー
リップでは花 がおおきく開くことはない、ということである。
ところが、シャルコールで見たものはまるっきり違っていた。花弁は6枚ともそれぞれに開いていて、雄しべはまる見えの状態であった。チュー
リップらしから ぬ形、というべきだろうか。
◆花の色について
さて、野生のチューリップは何色だろうか。アフガニスタンのチューリップについては、次のような文章を見つけた。「チューリップのようなグ
リ・ラーラの赤
い花が咲きほこって美しい」。また、「グリ・ラーラというチューリップのような真紅の花が咲き誇っている」。この「グリ・ラーラ」の「ラー
ラ」はペルシア
語の「ラーレ」であり、「グリ」は、これもペルシア語の「花」を総称する「ゴル」に対応することばにちがいない。ということは、グリ・ラーラ
はアフガニス
タンの野生のチューリップであり、まっ赤な花だということになる。アフガニスタンを何度も訪れた作家のK氏にも尋ねてみた。「野生のチュー
リップを見まし たか。何色でしたか」。それにたいして、「見ました。まっ赤でした」という返事が返ってきた。
アフガニスタンの北隣りのウズベキスタンでも、野生のチューリップはまっ赤な花だそうだ。タシケントの大学で日本語学科の先生をしているYさ
んから聞い
た。イランの西側のイラクでも、地中海沿岸の国ぐにでも野生のチューリップはまっ赤らしい。こうして西アジアから中央アジアのあたりに分布し
ている野生の
チューリップは、いずれもまっ赤な花であることがわかった。シャルコールで見た花は、どうやら色の点でも野生のチューリップらしくない。
なお、西アジアから中央アジア一帯では、野生のチューリップが同じような名前でよばれていることもわかった。イランではラーレ、アフガニスタ
ンではグリ・ ラーラ、そしてウズベキスタンではローラ。
シャルコールで見た花は、ほんとうに野生のチューリップだろうか。Mさんに問い合わせてみた。「あの花が野生のチューリップだと誰から聞きま
したか」。そ
れにたいしては、「パキスタンのガイドさんから聞きました」という返事が返ってきた。そこで、そのガイドさんに同じ質問をしてもらった。する
と返事は、
「日本人観光客から聞きました」というものだった。「その日本人は植物学者でしたか」とかさねて尋ねたが、これには返事はなかった。たしか
に、観光客の職
業をいちいち詮索するガイドさんはいないだろう。こうして、結局、シャルコールで見た花はほんとうに「野生のチューリップ」かどうかわからな
いままになっ てしまった。
◆さまざまな野生のチューリップ
そのようなとき、カザフスタンで植物の研究をしている研究者の話をラジオで聞いた。それによると、チューリップの原産地はカザフスタンを含む
中央アジア一
帯であり、アラル海の沿岸でも、春先になるとたくさんのチューリップが咲くというのである。しかも、野生のチューリップは25種もあるという
ことだった。
25種もある! それなら、まっ赤ではないものも、花弁がおおきく開くものもあるかもしれない。そうおもって、さっそく図書館へ行ってみた。
「朝日百科
植物の世界」にカザフスタンのチューリップの写真がのっていた。そのなかには、シャルコールで見た花によく似たものもあった。その1つは学名
をトゥーリ パ・カウフマンニアナ Tulipa kaufmanniana
といい、数枚の葉のあいだから1本の茎が伸び、先端に花が一つだけ咲いている。茎の長さは10〜15cmだそうだ。花弁は内側が白く、外側は
ピンク色ある
いは赤紫色(縁の部分は白)、そして雄しべの先端の葯は黄色。シャルコールで見たものと違っているところは葉の幅がすこしだけ広いことと、花
弁が半開きに なっていることであった。
YさんからウズベキスタンのRED DATA BOOK
のコピーを送ってもらった。これには、絶滅のおそれがある23種のチューリップが記載されていて、そのなかにはトゥーリパ・カウフマンニアナ
ものってい
る。本文はロシア語なので、必要な部分を彼女に翻訳してもらった。トゥーリパ・カウフマンニアナは草丈10〜50cm、葉の数3〜5、花の数
1輪で、花弁 は白、黄色、クリーム色。まっ赤なものもあるらしい。
そののち、イランの野生のチューリップは花の色がまちまちで、しかもまっ赤なものはむしろすくない、と書いたものを見た。じっさい、ウズベキ
スタンの RED DATA BOOK
にのっていたもののなかから、形がシャルコールの花によく似た6種を選んで花の色を調べてみた。白、うすい黄色、ピンク、それに鳩羽鼠(はと
ばねずみ)な どで、まっ赤な花があるのはトゥーリパ・カウフマンニアナ1種だけだった。
しかし、「野生のチューリップはまっ赤」とみんなが口をそろえていう。たぶん、まっ赤なものがいちばん目立つ、ということだろう。白や黄色、
ピンク色の花
があっても見逃されてしまうにちがいない。そして、わたしが見たシャルコールの花は、ひょっとすると赤くない「野生のチューリップ」のひとつ
だったかもし れない。
話はすこし横道にそれるが、ウズベキスタンでは、チューリップだけではなく、ヒナゲシもローラとよばれるらしい。1997年4月末、二度目に
ウズベキスタ
ンを訪ねたときのこと、タシケントの空港でそのときはじめて会ったYさんに、「ヒナゲシは咲いていますか」と尋ねた。ところが彼女は、「もう
咲き終わりま
した」と答えた。しかし、実際にはサマルカンド郊外で、見渡すかぎりまっ赤に咲いているヒナゲシを見ることができた。文字どおり「ヒナゲシの
海」であっ
た。わたしたちがさかんにカメラのシャッターを切りながら、「ヒナゲシ、ヒナゲシ」といっているのを聞いたYさんは、「ウズベキスタンでは、
ヒナゲシも
チューリップもローラとよんでいます」といった。つまり彼女が空港で「もう咲き終わりました」といったのはチューリップのことだったのであ
る。なお、イラ ンでもチューリップだけでなくヒナゲシもラーレとよぶようだ。
◆あかちゃん ちゅうりっぷ
秋も近くなったある日、園芸店で「あかちゃん ちゅうりっぷ(原種チューリップ)」の球根を見つけた。袋に添えられた写真を見ると、花弁が半
閉じの状態に なってはいるものの、シャルコールの花にそっくりである。さっそく買って帰って植えた。
次の年の4月、4つの球根から4輪の花が咲いた。Mさんへ写真を送ってあげようとおもい、植木鉢を台の上にのせ、カメラをかまえて後ろに下
がった。そし
て、10段のセメントの階段を後ろ向きに転げ落ちた。後頭部に大きなこぶが一つ、両腕に数カ所の擦り傷、そして腰の左側をつよく打った。数日
後にはすり傷
や打撲傷はよくなったが、歩くのにはしばらく不自由した。骨折しなかったことが何よりも幸いであったが、カメラの交換レンズが吹っ飛んでし
まって、花の写 真をとることはできなかった。
しかし、自分で育ててみて二つのことがわかった。まず、この「あかちゃん ちゅうりっぷ」は朝夕は閉じているが、昼間になるとおおきく開く。
つまり、昼間
見る「あかちゃん ちゅうりっぷ」はシャルコールの花によく似ている。ここでおもい出されるのは「朝日百科 植物の世界」にのっていた、カザ
フスタンの
トゥーリパ・カウフマンニアナである。写真に写っている影が長いことから見て、撮影時刻はどうやら朝か夕方らしい。ひょっとすると、この花も
昼間は花弁が
開いているのかもしれない。ただし「あかちゃん ちゅうりっぷ」とシャルコールの花とのあいだには違いもあって、後者の花の葯は黄色であった
けれど、前者 のそれは黒色であった。
植物学的知識に乏しいわたしには、シャルコールで見た花の名前はもとより、それがほんとうに野生のチューリップであるかどうか、ということも
はっきりさせ
ることはできなかった。しかしとにかく、シャルコールの花によく似た野生のチューリップがある、ということはわかった。また、「野生のチュー
リップはまっ
赤」と本にも書いてあったし、そのようにも聞いたけれど、何ごとも鵜呑みにしてはいけない、という月並みな教訓がおもいだされた。
この文章は九州・シルクロード協会の許諾のもと、会
紙「ニューズレター」10号に掲 載された「野生のチューリップ」 を再編集したものです(2002.12.18
公開)。
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