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「展覧会の絵」の基礎知識
The fact about "Pictures at an exhibition"

 
■1.「展覧会の絵」とは

Modest Mussorgskyロシア国民楽派を代表する作曲家、モデスト・P・ムソルグス キー* (1839-1881)に よっ て、作曲されたピアノ組曲です(1874年)。生前は演奏されることがありませんでしたが、友人のリムスキー=コルサコフが捕稿して楽譜を出版してくれた こともあり(1886年)、これがフランスのサティ、ドビュッシー、サン=サーンスらに注目され、多くの演奏、さまざまな編曲がなされるよう になりました。なかでもラヴェルによる管弦楽曲(1922年)は特に有名です。

モチーフは、39才という若さで亡くなった友人ハ ルトマンのために開かれた遺作展です。6つのプロムナードを挟みながら、 古城、雛の踊り、ビドロ、 バーバ・ヤーガの小屋、キエフの大門、など全16曲からなりますが、ムソルグスキーが回廊(プロムナード)を歩きなが ら、ハルトマンの残した10枚の絵をめぐる様子を表現しています。ひとつひとつの楽曲によって、ハルトマンの言葉や作品、ハルトマンが旅したロシア、フラ ンス、ローマ、ポーランドなどの情景を描いています。

曲調は緩急自在、自由闊達で、ユー モラスな曲、優雅な曲、重々しい曲、おどろおどろしい曲などが次々と現れます。いずれも覚えやすいメロディーで、和 声が効果的に使われています。低奏音の続く古城やビドロなどは古典的な演奏法を思わせますし、バーバ・ヤーガやキエフの大門などは、ロシア風 のメロディーが印象的です。

*Модест Петрович Мусоргский / Modest Petrovich Mussorgsky


■2.各国語でのタイトル

ロシア語(原題) Картинки с выставки
(
Kartinki s Vystavki)
Модест Петрович Мусоргский
仏語(原 題) Tableaux d'une exposition Modest Petrovich Mussorgski
英語 Pictures at an Exhibition Modest Petrovich Mussorgsky (Moussorgsky)
ドイツ語 Bilder einer Ausstellung Modest Petrovich Mussorgsky
イタリア 語 Quadri di un esposizione Modest Petrovich Mussorgsky
スペイン 語
Cuadros de una exposición
Modest Petrovich Mussorgsky
ポルトガ ル語 Quadros de uma exposição Modest Petrovich Mussorgsky
日本語 展覧会の絵 モデスト・ペトロビッチ・ムソルグスキー
中国語 图画展览会 莫杰斯特·彼得罗维奇·穆索尔斯基
韓国語 전람회의 그림 모데스트 페트로비치 무소르크스키
フィンラ ンド語 Näyttelykuvia Modest Petrovich Mussorgsky
ハンガリー語
Egy Kiállítás Képei
Modeszt P. Muszorgszkij
チェコ語 Obrázky z výstavy Modest Petrovič Musorgskij
ポーラン ド語
Obrazki z Wystawy
Modest P. Mussorgsky


■3.構成

「展覧会の絵」はプロムナード6回(「死者の言葉による死者への語りかけ」を含めて)、ハルトマンの絵を現す小曲が10回、都合16曲 からなる組曲 です。また、各曲の長さが1分前後から6分程度までと、ごく短く、クラシックの持つ冗長性が無いように思います。

プロムナードは、ムソルグスキー自身の歩く姿を現していると言われています。10枚の絵は各々同士では関係がありませんが、プロムナー ドによってう まく継ぎ合わされ、終局ではプロムナードの主旋律が「死者の言葉」や「キエフ」の主旋律となって奏でられ、一体感が出ています。これはま るで、絵を見るム ソルグスキーが、ハルトマンの残した絵の中に溶け込んで一体となるようなイメージです。そして、終局までのさまざまな絵が、ムソルグス キーの心象風景と なっており、1枚1枚の絵が聴く者の心を揺さぶります。

ムソルグスキーは、主題として悪魔や民衆をとりあげることが多く、また、それらをこれほど正面から表現できた音楽家は他に例がないと思いま す。 そこにはつねに彼の人生観や視点がありました。 また、ムソルグスキーは各曲の題目をロシア語、イタリア語、フランス語、ポーランド語、ラテン語などさまざまな言葉で付けています。それはハ ルトマンが旅 をしながら描いた絵をなぞっているからでしょうか。


曲 名・原題
備 考
略 記
プ ロムナード
Promenade
ム ソルグスキーが歩く様子。友人と再会するような嬉しさ と友を失った悲しみが混ざったような気持ち。 P1
1
グ ノム
Gnomus
ロシアの民話に出てくるこびと。足を引きず るようにして 歩く。おどろおどろしく演奏されることが多いが、どちらかというとユーモラスなキャラクターらしい。 グノム
プ ロムナード
Promenade
や や明るく演奏されることが多い。気落ちしかけていたム ソルグスキーがやや気持ちを持ち直して歩くような感じだろうか。 P2
2
古 城
Il vecchio castello
吟遊詩人が歌っている古い公園。ラヴェル版 ではアルト サックスで演奏される。単曲としてよく演奏される人気の曲。シチリアーノ形 式の静 かで優雅 な曲。

プ ロムナード
Promenade
美 しく優雅に演奏される。古城のおかげでムソルグスキー の気持ちもさらに上向く。
P3
3
テュ イルリーの庭
Tuileries, Dispute d'enfants apres jeux
フランスのテュイルリー公園がモチーフ。小 さな子供たち が喧嘩する様子(といってもじゃれ合う程度か)が描かれている。明るくて 早いテンポの 曲。 テュイルリー
4
ビ ドロ
Bydlo
牛車とか、虐げられた人々を意味する言葉。 ポーランドの 反乱をモチーフにしたとも言われている。重々しく暗い曲。
ビドロ
プ ロムナード
Promenade
暗 くて陰鬱な曲調。ビドロのテーマを受けてムソルグス キーも暗い気持ちになりかける。
P4
5
卵 の殻をつけた雛の踊り
Ballet des poussins dans leurs coques
バレエ「トレルビ」の舞台衣装のスケッチ 画。卵の殻に顔 と手足の穴をあけてかぶるようなユニークな衣装。滑稽で面白さ抜群の曲。
雛の踊り
6
サ ミュエル・ゴールドベルグとシュミイレ
Samuel Goldenberg et Schmuyle
金持ちのユダヤ人と貧乏なユダヤ人の会話。 やや暗くて神 経質な曲調だが、ユーモラスな面もある。
サミュエル
プ ロムナード
Promenade
こ こがちょうど折り返し地点。ムソルグスキーの気持ちも 安定してきたかのような穏やかな曲調。しかしラヴェルでは省略されている。
P5
7
リ モージュの市場
Limoges, Le marche
フランス中部のにぎやかな市場がモチーフ。 明るい曲。
リモージュ
8 カ タコンブ(ローマ時代の墓)
Catacombae, Sepulcrum romanum
地下にある人骨の山。古代ローマ時代、キリ スト教徒は迫 害されており、地上に墓を作ることができなかった。そのため、地下に遺体を安置し、白骨化したら壁沿いに積み上げられ た。そこをハルトマンが友人とともに 訪ねた様子。暗い曲調。 カタコンブ
死 者とともに死者の言葉で
Con Mortuis in lingua mortua
カ タコンブの一部として演奏される。プロムナードのバリ エーションであり、第6プロムナードと捉えることもできる。すすり泣くような暗い曲調。ムソルグスキーの慟哭のようにも 感じられる。そしてここからが終 盤。
死 者の言葉で
9
鶏 の足の上に建つバーバ・ヤーガの小屋
La cabane Baba-Yaga sur des Pattes de poule
バーバ・ヤーガとは、ロシアの妖怪で魔女 (老婆)。その 小屋は鶏の足を持っていて、あたかも歩き出しそうな形をしている。モチーフになった絵は、このバーバ・ヤーガの小屋をモ チーフにした「置き時計」のデザイ ン画。よく聴いていると時計の音を表現しているような部分がある。バーバ・ヤーガ自体は恐ろしいイメージがあるらしく、 「はげ山の一夜」のようなおどろお どろしく迫力のある曲になっている。
バーバ・ヤーガ
10
キ エフの大門
La grande porte de Kiev
キエフは現在のウクライナの首都にあたる。 ここにボガ ティル門(凱旋門)を作成する予定があり、そのコンペティションのために書かれたデザイン画がモチーフ。ロシア正教会の ようなタマネギ型の屋根を持ち、カ リヨン(教会の鐘)が3基付いている巨大な門。プロムナードの旋律が使われており、ハルトマンの絵とムソルグスキーの気 持ちがひとつになったことを思わせ る見事な構成。ムソルグルキーの音楽にカリヨンは良 く出てくるが、ここでも派手に打ち鳴 らされる。明 るく壮大なイメージの曲。
キエフ

(原題の原語: 1,2=イタリア語、3,5,6,9,10=フランス語、4=ポーランド語、死者の言葉で=ラテン語)


■4.クラシック内外の「展覧会の絵」

「展覧会の絵」は、クラシックとしては、「深みに欠ける」という評価をされることがあります。これはムソルグスキーの音楽全般にも言わ れることでも ありますが、ドイツやウィーンの音楽とは確かに明らかに 異なります。ロマンティックや神への賞賛などとは無縁ですし、運命を克服したり、人類のすばらしさをたたえるような意図もないからです。 ただ、ひたすらに 人間の無力さ、愚かさ、素朴さ、可笑しみなどを表現しています。別な表現をするならば、精神や心理の描写ではなく、もっと直裁的という か、見たままの情景 を描写するという手法をとっており、こうした点で、クラ シックらしからぬ、といってもよいかもしれません。

しかし、こうした音楽性ゆえ、ムソルグスキーの音楽は、聴く人に明確な情景を与えてくれます。まさに1枚の絵のようです。そして、そこ からさらに何 を読みとるかは見た人、聴いた人の感性に委ね られるのです。すなわち、ムソルグスキーの音楽はベートーヴェンのように雄弁に語ることはありません。同意を求めるようなこともないので す。ただ、ただ、 標題としてあげた情景を音楽で表現しているだけなのです。

ただ、こうしたムソルグスキーの音楽性こそが、さまざまなジャンルにおける編曲を生む要素になっているのだと思います。実際、ムソルグ スキーの音楽 は、「はげ山の一夜」も「展覧会の絵」も、次々と新しいアレンジが生み出され、さまざまな楽器で演奏され、時には曲自体の形も変えて、今 なおさまざまな変 貌を遂げ、進化し続けています。こうした現 象はムソルグスキーの意図したことではありませんが、私は、ガウディのサグ ラダ・ファミリア教会と似た現象であるように感じます。当の本人は亡くなっても、多くの人がそこに集まり、その芸術を完成させるために膨 大な時間をかけ、 自分の作品として昇華させているからです。

クラシック音楽は、楽器や演奏技術の進歩に依って、進化し続けていますが、クラシック曲の範疇にとどまる限り、その進化やヴァリエーションに は限度があり ます。少なくとも「突然変異」のような大きな変貌は望めません。こうした点でも、クラシックの外でも受け入れられている「展覧会の絵」 には他のクラシック曲とは違う可能性があり、固有の魅力があるといってよいでしょう。


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