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モデスト・ムソルグス キー
About Modest P. Musorgsky


■1.ムソルグスキーモデスト・ムソルグスキー

モデスト・ペトロービヴィチ・ムソルグスキー*(1839-1881)は ロシアの音楽家。ピアノ演奏家として生計を立てながら、作曲を行った。主な楽曲はオペ ラとピアノ曲である。

ロシア・プスコフ県トロペツキー郡カレヴォ村で出生。裕福な家に生まれ育つが、音楽の道 を歩み始めてから苦難の連続。 最後はアルコール 中毒と生活苦から死亡。生前はその音楽性が正当に評価されたとは言い難いが、後にロシアを代表する作曲家として評価され る。フランス印象主義に先駆けて大 胆な和声や音階を多用。

右の絵はレーピンによる習作。これを元にした油彩が彼の肖像画としてよく知られている。

*Модест Петрович Мусоргский / Modest Petrovich Mussorgsky
 
1839年 3月21日(ロシア暦3月9日)、ロシア・プスコフ県トロペツキー郡カレヴォ村の出生。裕福な地主の家に生まれ育 つ。
1845年 母からピアノを習いはじめる。また乳母からロシアの民話を聞いて育つ。
1852年 ペテルブルグの近衛士官学校に入学。「騎士のポルカ」を作曲、父の援助により楽譜を出版。
1853年 父死す。
1856年 ブレオブラジェンスキー近衛連隊に下級士官として入隊。軍医のボロディンに出会う。後の「5人組」のひとり。また国 民主義作曲家のダ ルゴムイシスキーのサロンに出入りするようになり、キュイ、バラキレフ、スタソフと知り合う。
1858年 パラキレフに触発されて除隊、音楽に専念。この頃、グリンカの曲作りを勉強。また、バラキレフが開いた無料音楽学校 も手伝う。
1860年 ペテルブルグのロシア音楽協会の演奏会で、アントン・ルービンシュタイン指揮により「ス ケルツォ変ロ長調」 が演奏される。作曲家としてのデビュー。原曲はピアノ曲だったが、バラキレフの助けでオーケストレーション。
1861年 皇帝アレクサンドルII世が農奴解放令発布。この影響で生家没落。経済的基盤を失う。ただし、民衆への同情と社会変 革への共感は、生 涯持ち続ける。
1863年 生活のために中央土木省の上級書記官となる。この頃から「5人組」活動が活発化。
1865年 母死す。飲酒に走る。ムソルグスキー26歳。
1867年 交響詩「はげ山の一夜」を完成。要したのはわずかに 12日という。これ がいわゆる原典版。
1870年 スタソフの紹介でハルトマンと知り合う。意気投合。ムソルグスキー31歳。
1871年 オペラ・バレエ「ムラダ」の作曲依頼がバラキレフを除く4人へ届く。これがきっかけで「5人組」の結束が崩壊してい く。
1872年 オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の第2稿(原典版)を完 成。
1873年 8月4日(ロシア暦7月23日)、友人ハルトマン死去。ムソルグスキー34歳。
1874年 1月、スタソフによりハルトマンの遺作展開かれる(於:ペテルブルクの建築家協会)。400点以上の遺作を集めた大 規模なものだった という。

7月4日(ロシア暦6月22日)、ムソルグスキーはピアノ組曲「展覧 会の絵」 を作曲しスタソフに献呈。
1875年 歌曲集「死の歌と踊り」の第1-3曲を完成。1877 年に第4曲を加 筆。
1879年 アルト歌手ダーリャ・レオノーヴァのピアノ伴奏者としてクリミアへ演奏旅行。
1881年 3月28日(ロシア暦3月16日)、ペテルブルグにてムソル グスキー死去。享 年42歳。展覧会の絵 は、とうとう1度も公開の席上では演奏されないままだった。

  注)1918年以前ではロシア暦が使われています。日付が西暦より12日遅れており、ロシア暦+12 日=西暦 という関係 です。
 

■2.「展覧会の絵」の年表 

1874年 原曲(ピアノ曲)が作曲される。
1886年 リムスキー=コルサコフによって部分的に修正されたピアノ譜が世に出る。出版はベッセル社でリムスキー=コルサコフ版と呼ばれる。初 期のピアノ演奏はこの版による。 没後5年。
1891年 リムスキー=コルサコフの弟子、トゥシマロフ (Mikhail Tushmalov)によって管弦楽曲に編曲された。同年12月12日(ロシア暦11月30日)、ロシア交響楽演奏会で 演奏された。ただし、すべてではな く7曲だけの編曲であった。 没後10年。
1915年 ウッド (Sir Henry Wood、英)によって全曲が管弦楽曲へと編曲される。ただし、プロムナードは最初の1曲目だけ。ある意味、「展覧会の 絵」の構成の妙を理解していなかっ たともいえる。
1922年 フンテク(Leo Funtek、フィンランド)が真に完全な管弦楽曲への編曲を行い、ヘルシンキPOが初演する。同年、サロン・オーケス トラとしてベッセ (Giuseppe Becce)によって編曲されベルリンで演奏される。Becce は無声映画のための音楽の作曲や編曲で有名だった音楽家。
1922年 ボストン響のクーセヴィッキーの依頼でラヴェル(Maurice Ravel、仏)が管弦楽曲を編曲。 没後41年。ベースはリムスキー=コルサコフ版のピアノ曲だと言 われている。初演は、1922年10 月19日、パリ・オペラ座で。クーセヴィッキー+ボストン響による演奏は1924年11月7日。録音は1930年のこと であった。しかし、クーセヴィッ キーは、5年間の演奏権を確保したため、しばらく他のオケではラヴェル編を演奏できなかった。
1931年
原 典版がモスクワ国営音楽出版社とウィーンのユニヴァーサル社から出版 された。厳密には自筆譜をもとにパベル・ラムが改訂したものだが、今日、「展覧会の絵」として、もっとも広く知られてい る版となっている。没後50年。
1937年 フィラデルフィア管の団員であった、カイエ(Lucien Caillet)が編曲。このカイエ編は、当時のフィラデルフィア管の指揮者、ストコフスキーではなく、その後を継いだ オーマンディによって演奏、録音さ れる(1978年)。
1939年 フィラデルフィア管の名物指揮者、ストコフスキー( Leopold Stokowski)が自ら編曲。彼はクーセヴィッキーをライバル視していたようである。よりスラブ風に意識して編曲し たという。ただし、「リモージュの 市場」とその前の「プロムナード」がカットされている。
1942年 ゲール(Walter Goehr)版。ラヴェル編を演奏するには大きな規模のオーケストラが必要なのだが、そうではなく、もっと小さなオーケ ストラで演奏できるよう考えて作ら れたもの。
1950年 ゴルチャコフ(Sergei Gorchakov)版。モスクワ音楽院の教授であった。
1958年 旧ソ連の伝説的なピアニストであったリヒテルがブルガリアの首都ソフィアでコンサート。世に言う「ソフィア・ライ ブ」であり、西側で もレコードとして発売された。「展覧会の絵」の原典版を使っての演奏であり、彼の迫力ある演奏とも相まって大変な反響が あった。これ以降、リムスキー=コ ルサコフの改訂を受けていない原典版のピアノ演奏が徐々に増える。 没後77年。
1975年
自 筆譜ファクシミリ版がモスクワのムジカ社から出版された。没後94年。作曲後101年。
1982年 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy)版。没後 101年。

このほか、近衛秀麻呂編もある。また、トスカニーニはラヴェル編をさらにアレンジして演奏、またロシアのゴロヴァノフ(Nikolai Golovanov)もまたラヴェル編をとりあげ、これにウッド編を組み込む様にして演奏した。

■3.ELP以後の大きな展開
 
1971年 プログレッシプ・ロックの旗手、エマーソン・レイク&パーマー(ELP)によるロック版。キーボード、エレキベー ス、ドラムという最 小ユニットでありながら、「展覧会の絵」という題材をものにするという行為は衝撃的であった。内容は、ごく数曲だけをと りいれ、あとはオリジナルの曲と折 衷するというものであったが、これをきっかけに、ロックはクラシックへ目を向けるようになり、クラシックでは「展覧会の 絵」をさまざまな楽曲へと編曲する 動きが加速する。 没後90年。
1974年 冨田勲によるシンセサイザー版。ただし、冨田は手塚治虫の依頼を受けて、1966年に冨田編・管弦楽曲を作成してお り、この延長線上 にシンセ版がある。 作曲後100年。
1977年 レオナルド (Lawrence Leonard)によるピアノ協奏曲版。
1981年 山下和仁によるギター独奏版。没後100年。
1991年 12月1日、NHKスペシャル「革命に消えた絵画・追跡・ムソルグスキー”展覧会の絵”」が放送される。團伊玖磨さ んの進行で、ハル トマンの絵のうち、「展覧会の絵」のモチーフとなった10枚の絵がすべて明らかにされる。「展覧会の絵」の謎解きの核心 にせまった番組であった。 没後110年。
1996年 James Crabb & Geir Draugsvoll によるアコーディオン・デュオ版。
1996年 ドイツの実験ユニット、メコンデルタによるヘヴィメタル版。
1999年 高橋徹によるウィンド・オーケストラ版。

ブラスバンド用には、ハインズレー編、ハワーズ編、高橋編など。このほか、器楽曲やオルガン曲、シンセ版、ロック版などは、いずれもそ れぞれの演奏 者が自分の解釈で自分の楽器用にアレンジしている。


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