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休八写真館資料室

L39 レンズとは



■1.L39 レンズ

L39 lensライカ Leica のレンジファインダーは大きく2種ある。ひとつは 1925 年の Leica I に始まるバル ナック型。もうひとつは 1954 年の M3 に始まるM型*1。L39 レンズは、バルナック型カメラにマウントできる(=装着できる)レンズを指す。

直径 39 mm、ピッチ 1/26インチ、フランジバック 28.8mm のスクリューマウント。M39 という時もあるが、「ライカの」という意味で L39 と言うのが普通だ。

*1 M型では、マウントがバヨネット式になった。2006年からは デジタル機の M8 も出ているが、ボディやマウントはM型そのままである。


■2.ライカとは

そもそも、ライカとは何か。

一眼レフなども作ってはいるのだが、ライカといえば、やはり、レンジファインダー機である。

最初のきっかけは、 1914年、Leitz の技師、オスカー・バルナックが作った小型のスチルカメラだという(後にウ ル・ライ カ Ur Leica と呼ばれる)。これが、1925年に Leica Ia として商品化されて、カメラに変革をもたらした。Leica のレンジファインダーには、次のような画期的な点があったからである。
  1. 当時のカメラは、大判と中判のみであったから「カメラは大きくて重いもの」だっ た。ライカは、35mmの映画フィルムを使うことで、カメ ラのサイズをぐっと小さくできた。外へ持ち出すことが容易になった。
  2. 35mmフィルムは、1892年にイーストマン・コダック社が映画用に作ったフィルムで100フィート単位などで売られていた。バル ナックは、これを1m程度(約3フィート)に切ってスプールに巻き、カメラに使ったのである。後に(1932年)、アグファ社がカー トリッジ(=パトローネ)にフィルムを詰めて販売するようになり、さらに使いやすくなった。パトローネに入っているおかげで、明るいとこ ろで のフィルム交換も容易にできるようになったのである。このパトローネに入った35mmフィルムのことを135フィルムともいう。また、35mm判を「ライ カ判」ともいうこともある。
  3. 中判や大判のフィルム時代は、プリント(=印画紙に焼く)は密着焼きが普通だった。だから、大きな写真が欲しければ、大きなフィルム で写 す。そういう時代だったのである。だが、ライカ判は小さい。密着焼きだと切手ほどの大きさにしかならない。そこで、小さなフィルムから大きなプリ ントを焼くために引伸し機も発売した (1933年 Focomart)。 小さなライカ判か ら、中判や大判 を越えるサイズのプリントも容易に作れるようになったのである。
  4. レンズ交換ができる Leica C も発売された(1931年)。このときのレンズマウントが L39 で ある。エルマー*2、ズミクロン、タンバール、ノクチルックスなどの銘玉が出て、交換レンズも充実した。レンズを 交換することで写真表現がさ らに広がったのである。
ライカのおかげで、どこでも好きなところで撮影できるようになった。レンズ交換もフィルム交換も容易になり、小さいフィルムなのに大きくプリ ントできるようになったのである。

*2 エルマーは、レンズ鏡筒を後退させて沈胴収納できるようになっている。また、ルサールなどはフランジバック部にまでレンズが入っていて、バックフォーカス (レンズ最後部からフィルムまでの距離)がかなり狭い。これらは、フランジバックにミラーなどを配置しな くてよいレンジファインダーなら ではの設計である。


■3.さまざまな L39 レンズ

ライカは世界中で使われるようになった。ライカの模倣機も多くでたが、違う規格、違う設計思想で作られたのが Zeiss の Contax であり、両者はいい意味で競い合った。それで、このふたつを手本に、さまざまな模倣機、複製機が世界中で作られた。

日本ならば、Canon が Leica*3、Nikon が Contax を手本にしたことはよく知られているし、ロシアならば、FED (フェド) と Zorki (ゾルキー) が Leica、Kiev (キエフ) が Contax を手本にしている。

ボディについては、模倣機*4とはっきりわかるものも多かったし、残念ながら本家をしのぐものは無かったと思う。だが、レ ンズの場合は、色の階調、解像度、シャープネス、ボケ具合、明るさ、歪みなど、個性豊かで多種多様である。硝材だけでも無限ともいえる処方があ り、それらをどう組み合わせるかで全く違うものができてくる。これが、使い手や題材によっては、実に好ましいものになるのである。特にロシアのレ ンズは面白く て、見た目や値段とは裏腹に、すごいレンズだったりする。

光学(レンズ)技術は、もともとは戦車や戦艦の測距や弾道計算のために発達した。だから、戦後まもなくのロシア(ソ連)は世界最高峰のレンズ技術 を 持っていた。当時の光学研究者やカメラ技術者たちは、こぞってロシア語を勉強し、ロシアの光学技術論文を読んでいたというし、ガガーリンの有人 宇宙飛行が成功したのも、打ち上げたロケットを望遠鏡でずっと追い続けられる優れた光学技術があったからだともいう。だから、ロシアの L39 にも、インダスター、ジュピター、ルサールなどたくさんの銘玉がある。

だが、日本では 1954年のライカ M3 をきっかけに、レンジファインダーから一眼レフへと開発や生産がシフトした。ライカ M3 の完成度があまりに高く、L39 時代のような模倣路線では生き残れない、と判断したからと言われている。こうして60年代はじめごろには、国産ライカの時代が終焉するのである。

*3 キャノンのレンジファインダー機のマウントは S マウントというが、実質、L39互換であり、ライカのレンズなども装着できた。
*4 そっくり Leica II などというものもあり、これらはフェイクカメラと呼ばれる。しかも、フェイクのフェイクも出てきて、ありもしない「記念カメラ」などがロシアン・カメラに は多数ある。

Canon L1 - Leitz Elmar 50mm F3.5

隅田川の相生橋付近で。
Canon L1 + Leitz Elmar  50mm F3.5 / Neopan 400
Canon 6L

東京・隅田川の越中島船乗り場に到着する水上バス。
Canon VI L + Industar-61 52mm F2.8 / 400TMax
KMZ Zorki 4 / Tokyo Sky tree

浅草・吾妻橋の上流側で。巨大なスカイツリーがほぼ同じに見える。

KMZ Zorki 4 + Jupiter-12 35mm F2.8 / RDPIII
KMZ Zorki 4 / Kanda-gawa

両国近くの柳橋から見た神田川。
隅田川にここで注ぐ
KMZ Zorki 4 + Russar MP2 20mm F5.6 / RDPIII
Zorki Yura / 岡本太郎 こどもの樹

岡本太郎の「こどもの樹」。渋谷神宮前のこどもの城で。
KMZ Zorki Yura + Industar-22 50mm F3.5 / RDPIII
KMZ Zenit 3M

ガクアジサイ。チャイカ版 N69 で の超 マ クロ撮影。
KMZ Zenit 3M + KMZ Industar-69 28mm F2.8 (Chaika) / RDPIII

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