© 2002, Mitsuko SATO



「カンテレ武者修行」
   
〜お世話になった方達に感謝を込めて〜
2002年4月9日〜5月1日

佐 藤 美 津 子



■まえがき

・・・・どこかで日本語の会話がする。うつらうつらとまどろむ中で、ぼんやりとあたりが見える。見たことのあるタンスや壁、ここは一体どこなんだ ろう。少 しずつあたりがはっきりしてきた。・・・・そういえば私は日本に帰って来ていたのだった。

ここは私の家。日本語の会話は居間から聞こえてきたテレビからだった。

「50の手習い」で今から3年ほど前 から、フィンランドの民族楽器カンテレを習いはじめた 。動機は北海道教育大学札幌校にシベリウスアカデミ−から留学生としてカンテレ奏者エヴァ・アルクラさんがきて、1年間滞在するという事を聞き、 以前から 習得したいと思っていたので、さっそくエヴァさんに師事して習い始めたのである。でも1年経ったら当然彼女はフィンランドへ戻った。出来る事な ら、せっか く始めたのだから、もう少し色々な曲を弾いてみたい、もっと上手になりたいと思いはじめ、フィンランドにカンテレ武者修行に出かけたいと思いつめ るように なった。そのことを、昨年の夏、大滝村にいらしていたフィンランド人のスティッグさんに雑談の中でお話しをしたら、「ヘルシンキの則子の部屋が、 誰も使っ ていないから、そこを使ってもいいよ」と言って下さった。(奥様の則子さんが昨年6月に亡くなられた。スティッグさん自身はボストンに住んでい る。私は、 スティッグさんのこの申し出がなければ、今回のこの旅行は決行できなかったと思う)

さあ、フィンランドへ行こう。そうだ、もう少し語学力をつけ なければ と思い、10月から北海道新聞社の英会話教室に通い始めた。それから約半年後、夫と上司の理解を得て、4月10日、私は機上の人となり、夢だった カンテレ 武者修業に旅立った。あっという間の3週間だったが毎日が非常に充実していた。私が滞在していた期間、フィンランドでも大変珍しいくらいにカンテ レのコン サ−トがたくさんあった。シベリウス・アカデミ−におけるカンテレ科の試験やコンサ−ト、タンペレ交響楽団によるカンテレ協奏曲(編成30人)、 フル− ト、チェロとのトリオ、そしてカンテレを題材にしたオペレッタ等など。これらのコンサ−ト等は決して日本で聴くことのできないものだった。私の演 奏は、当 然足元にも及ばないが、目の前で最高レベルの人達のテクニックを見、演奏を聴くことができた。そして、たくさんの素晴らしいカンテレ奏者や関係者 にも会う ことが出来た。エヴァさんのレッスンもこの3週間に4回受けることが出来た。

私のカンテレは趣味であるけれども、たくさんのお世話になった方達や、気持ち良く送り出してくれた夫や上司の恩に報いるためにも、この趣味を通じ てこれか らもフィンランドとの交流を続けていきたいと願っている。また、カンテレはどちらかというと癒し系のサウンドであるので、老人ホ−ムや病院など恵 まれない 人達のために演奏することができたらと考えている。

本当に皆さん ありがとうございました。



●旅程●


4 月 9日(火)
新千歳空港 14:30発 成田行き
4 月10日(水)
成田発10:55 フィンランド着14:30
4 月11日(木)
39弦レッスン(エヴァさんの寮クラビスで)
4 月12日(金)
汽車でタンペレへ タンペレ・ビエンナ−レコンサ−ト 
タンペレ交響楽団によるカンテレ協奏曲
(ソリスト:リトバ・コイステネン)
4 月13日(土)
カンテレ・ソロ学科マリアさん(15:00)
カンテレ民族学科パウリ−ナさん(19:00)の試験見学(R-building)
4 月14日(日)
マルミタロへ 木路先生の個展搬出お手伝い
夕方15:00 ヨ−ラン家へ
4 月15日(月)
ロヒヤへ エヴァさんのレッスン見学
4 月16日(火)
39弦レッスン(シベリウス・アカデミ−P-building で)
4 月17日(水)
5弦レッスン(ミンナ・ラスキネンさんの家で)
4 月18日(水)
リトバ・コイステネン門下生のコンサ−ト(T- building)
4 月20日(土)
飛行機でヨエンス−へ 午後、オペレッタ「Teppana  Janiksen を鑑賞)
4 月21日(日)
カンテレ・ユニオン25周年記念音楽祭
(レセプションに出席・その後コンサ−トを鑑賞)
4 月22日(月)
ロヒヤへ エヴァさんのレッスン見学
4 月24日(水)
5弦カンテレレッスン(ミンナ・ラスキネンさんの家)
4 月25日(木)
ピアノ・コンサ−ト(シベリウス・アカデミ−ホ−ル)
ピアニスト(Gergely Boganyi)
4 月26日(金)
39弦レッスン(エヴァさんの寮クラビス)
ペッカ・ロトヨネンのおばさんの家へ
4 月27日(土)
5弦レッスン(ミンナ・ラスキネンさんの家)
4 月28日(日)
エヴァさんコンサ−ト(ウルフケッコネン博物館)
夜 ホ−ムパ−ティ(エヴァさん,幸子さん、テロ、雅子さん、吉野さん)
4 月29日(月)
ロヒヤへ エヴァさんのレッスン見学、39弦レッスン
4月30日(火)
17:20ヴァンタ−空港発
5月 1日(水)
8:55成田到着 羽田空港移動12:00の飛行機で札幌へ


 
4月9日(火)

14:30発のJALで成田空港へ

成田空港からホテル行きのバスに乗ろうとしたら、そのバスの中にニコニコしながら、私の方を見ている人がいた。誰だろう?山栄先生(高校の時の担 任)の奥 さんだった。ホテルに着いてから、2時間ほど、家族のことや自分のことなど、取り留めのないことを、お互いにおしゃべりをした。こんなに親しく 色々なこと を話したのは、初めてであった。奥さんは、娘さんと二人でイギリスとフランスへ行くとのことで、親子で旅行するのは初めてだという。次の日、成田 空港で3 人で記念写真を撮った(写真1)。

(そういえば、私ももう5年くらい前、歌織(長女)とフィンランドへ行ったけ。歌織はその時、ヤルヴェンパ−ホ−ルでシベリウスのフロレスタンと いう組曲 をピアノソロで弾いた。なつかしいな…)

今までに5回フィンランドへ来たけれど、いつもツア−だったので、たくさんの人に囲まれていたが、今回は一人旅である。色々不安があったが、偶然 にも協会 の理事をしているビタレスクの鈴木さん、そして日本フィンランド協会専務理事の早川さんと飛行機が一緒だった。とても心強かった。

4月10日(水)

ヴァンタ−空港に14:40頃着く。空港には早川さんを出迎えに、フィンランド日本協会会長のエネスタムさんや早川さんの知人が来ていた。私の重 いトラン クとカンテレをどうやって運ぼうかと思っていたが、親切にエネスタムさんが車でアパ−トまで送ってくれ、そして部屋まで運んでくれた。感謝!!そ の日は、 家に着いてからトランクの整理や家の中をどのように使おうかということに集中し、一歩も外に出なかった。家の中が、とても静かで一人でいることが 怖いくら いだった。ヨ−ランさんが心配して来てくれた。エヴァさんからも電話が来て嬉しかった。

*エヴァさんがリトバ先生からカンテレを借りてくれた。感謝、感激!!!
*リトバ・コイステネンはシベリウス・アカデミ−のカンテレ・ソロ学科の教授でエヴァさんの先生 
*ヨ−ランさんはスティッグさんの息子さん

4月11日(木)

朝、5時に目が覚め、ボストンの奈央さんに、(スティグさんの娘さん)無事着いたことを報告する。日本から持ってきたインスタントラ−メンで食事 をすま せ、9時頃、周辺を散歩してみた。(30分くらい)歩いていたら、中年のご夫婦が仲良くノルディックウォ−キングをしていた。なんだかホっと温か なものを 感じた。その後、10時頃、近くのス−パ−へお買い物へ行って野菜やパンなどを買った。

カンテレの練習をしてみる。なかなか良い音だった。

テロと1時に待ち合わせをしたので、12時頃家を出る。地下鉄に乗ると当然ながらどこを見ても外国人、そしてフィンランド語があちこちから聞こえ てきた。 「私は、本当にフィンランドへ来たんだ」と実感する。そして、私の語学力が通じるだろうかと、とても不安だった。

テロがプリペイド式の携帯電話を貸してくれる。でも使用できるようになるまでに色々面倒だったけれど、親切に使えるようにしてくれた。その後、雅 子さんに 会いに行く。昨夜、部屋の中が寒かったので、暖かいカ−ディガンを買った。

4時半にエヴァさんと待ち合わせをし、彼女の寮へ行き、そこでカンテレのレッスンを受けた。1時間くらいしたかも知れない。Kesailtaと荒 城の月を みてもらった。色々なテクニックを習うことが出来て、良かった。エヴァさんがサラダを作ってくれた。簡単な食事だったけれど、嬉しかった!! 今 日1日充 実した日だった。

明日はタンペレへ。

*テロさんはもう10年来の知人、雅子さんは奥さん。

■4月12日(金)

昨日、家の中が何とはなしに寒かったので、ヒ−タ−を触ってみると、冷たかった。壊れているのではないかと思い2階のアンナさんに聞いてみた。ア ンナさん は親切にこのマンションの持ち主の方に電話をしてくれた。管理人の方が、午前中に見に来てくれるということだったが、来なかった。まあ、いいや、 寒くなっ たらお湯を沸かして温かい飲み物を飲んで、たくさん着よう。
エヴァさんと1時半にヘルシンキ駅で待ち合わせをした。その前にストックマンデパ−トで2つお花を買った。一つはエヴァさんのお母さんに、もう一 つはリト バ先生に。エヴァさんの家はタンペレ駅のすぐ近くだった。とても大きな部屋がたくさんあり、家具も全てがアンティ−クのものだった。大きな黒いコ ロンブス (犬)が印象的だった。我が家と同じセントポ−リアの花がきれいに咲いており、とてもなつかしく、札幌の家のことを思い出した。エヴァさんのご両 親と一緒 に食事をしたが、お二人ともとてもユ−モアがあって楽しかった。スティラさんの(フィンランドのケ−キ−メ−カ−)ケ−キがとてもおいしかった。 そして、 お母さんは一緒にコンサ−トへ。お父さんはサッカ−の観戦に行くという。二人とも、week day はここに住んでいなくて、お母さんはポリで、お父さんはヘルシンキで月曜日から木曜日まで仕事をしているとのこと。週末になるとここの家 に戻って 来て、一緒に時間を過ごすという。日本にはない習慣である(写真2)。

初めてタンペレホ−ルへ行ったが、ホ−ルは、近代的な造りで、建ってからまだ10年程だという。クラリネットのレッタ−さんが迎えてくれた。 (レッタ−さ んは今から4年ほど前にやはり、シベリウスアカデミ−から教育大学に短期留学に来ていた。そしてこのコンサ−トのチケットを1ユ−ロで調達してく れた。感 謝!ノ−マルチケット代は10ユ−ロ−位だという)リトバ先生のリサイタルかと思ったら、カンテレ協奏曲だった。オ−ケストラは30人編成のタン ペレ交響 楽団。エヴァさんとはまた違った大学の先生らしい演奏スタイルだった。作曲はノルドグレンで、会場に来ていた。パ−カッションの音が日本的で非常 に印象的 だった。作曲家のペッカ・ヤルカネンも聴きに来ていた。コンサ−トが始まる前、ロビ−でカンテレグル−プが演奏をしていた。指揮者はエヴァさんが 初めてカ ンテレを習った先生イズモ・ソッパネン。曲名はクラシックばかりでシュ−ベルトのセレナ−ド、バッハのカノン、ボッケリ−ニのメヌエットだった。 ビデオカ メラを持ってくればよかった(写真3)。

休憩時間にカンテレを貸して下さったお礼を言いたくて、リトバ先生に会いに行った。ノルドグレンともお話しをすることができた(写真4)。

タンペレ発20:40の汽車でヘルシンキに戻った。11時頃、地下鉄メルンマキ駅に着いたが、辺りはまだ薄暗い程度で、数人の若者などがたむろし ていた。 夜のフィンランドはそんなに怖くはなかった。サウナの使い方が分からなくて今まで入ることができなかったが、今日は勇気を出して(会話に自信がな かった) 階下のアンナさんに聞いてみた。その夜、フィンランドに来て、初めてサウナに入り、とても気持ちが良かった。

4月 13日(土)

  7時半頃、目が覚める。ようやく時差ボケが治ったかな?今日は午後3時半からカンテレ・ソロ学科のマリアさんの試験、7時からは3年前、大阪に来 た民族学 科のパウリ−ナさんの試験があった。シベリウス・アカデミ−では試験を自由に聴くことができる。まるでコンサ−トの様である。エヴァさんはじめお 友達はお 花を持って聴きに来た。プログラムはクラシックと同じで、バッハやソナタ、そして現代曲だった。最後は2台のカンテレで日本人作曲のもので、名前 は Michiko Nakazawaという人だった(写真5)。

私が初めてカンテレに出会った時、すぐさまバッハをこの楽器で弾いてみたいと思ったけれど、やはり間違いではなかった。私も札幌に戻ったらバッハ を弾いて みたい。

7時からパウリ−ナさんの試験だったが、これは大変素晴らしいものだった。とても古いカンテレの様だったけれど、つまようじみたいなものを使っ て、右手で グリッサンド、左手でリズムを取っていた。そのグリッサンドはメロディでもあった。その他、色々な器具を使って音を出していた。ティモがミキサ− 担当 (ティモは今から7年ほど前、札幌で開催されたコンサ−トに出演したことがある。今は第一線で活躍中)15弦のカンテレの時は、会場内が真っ暗に なり、演 奏者のパウリ−ナさんだけに照明を当て、彼女は会場内を歩きながら演奏した。まるでパウリ−ナさんはシャ−マンの様だった。のどで声を出し、それ は小鳥の 鳴き声のようであったり、何か呪文のようなことを言ったり、詩を読むようであったり、歌ったり、とても不思議な世界だった。そしてカンテレは時に は打楽器 だった。右手でグリッサンド、左手で音を時々止めたり、なんという激しい曲だったろう。ビデオに収めたかった。ミンナ・ラスキネンさんにも会う。 エヴァさ んが忙しそうなので、カンテレのレッスンを頼んだ。

*ミンナさんは平成3年、7年に道フィン協  会が招聘し、カンテレ・コンサ−トに出演する。
*シベリウス・アカデミ−カンテレ学科には9名の在籍者がいる。ソロ学科7名、民族学科1名、音楽教育科1名であ る。

4月14日(日)

フィンランドへ来てからずっとお天気の良い暖かい日が続いていたが、今日は曇り。朝7時半に目が覚める。完全に時差ボケから開放されたようだっ た。また、 心配していた便秘も全くなし。11時45分にテロとヘルシンキ駅で待ち合わせをしてマルミタロへ(建物の名前)。エネスタムご夫妻が来ていて、後 片付けを していた。フィンランドに着いた時、エネスタムさんが空港から家まで車で送ってくれたので、奥さんにお礼の気持ちを込めて、お花を買って持って 行った。 (マルミタロでは3月18日から4月13日まで木路 毛五郎展が開催されていた)(写真6)

午後3時にヨ−ランさんが迎えに来てくれて、彼の家へ行った。とても素適な家族だった。長男がグスタフ、次男がベンジャミン、奥さんがウッラさ ん。ベン ジャミンがジャズを勉強していてピアノを弾いてくれ、グスタフはクラシックギタ−を弾いてくれた。二人とも音楽がとても好きなようだ。グスタフは 16歳、 ベンジャミンは12歳。とても素直な良い子達だった(写真7)。

私は、家にいる時は、いつもテレビをかけっぱなしにしていた。それは、フィンランド語や英語などの言葉に慣れるためであった。また、ス−パ−マ− ケットに もよく行った。何も買わなくても色々なものを見て歩き、フィンランドの生活に早く慣れようと努力をした。ツア−の時には経験のできないことだっ た。

4月 15日(月)

ようやくぐっすり眠れるようになった。今日はロヒヤへエヴァさんと一緒に行った。ロヒヤはヘルシンキからバスで1時間ぐらい離れた所で、人口 3,000人 位の小さな町だった。エヴァさんはそこの音楽教室でコンサ−トカンテレ、コテカンテレ、5弦のカンテレを11人の生徒に教えている。カンテレを 持ってくる 子が多く、コテカンテレも色々なデザインのものがある。そこは私設の音楽教室で、4畳半位のお部屋がたくさんあり、ピアノやヴァイオリン、アコ− ディオン などの音が廊下に聞こえてくる。良き指導者というのは、単に技術的にレベルが高ければ良いということではなく、生徒との相性も重要な要素である。 エヴァ先 生は、毎週通ってくる生徒に、常に話し掛け、コミニュケ−ションを取っていた。中にはシャイな子もいて、なかなか口を開けない子もいたが、ほとん どの生徒 が、目をキラキラさせながら、学校や家でのことを話していた。どの子もエヴァ先生が大好きなようであった。エヴァさんは素晴らしいア−ティストで あると共 に、良き指導者でもあった。来週、ビデオを撮らせてもらえることになった。一番上手なソフィア。そして、来週5弦のカンテレも教えてもらえること になっ た。ロヒヤの帰り、ソコスデパ−トに寄り、チキンを買った。久しぶりのお肉、おいしかった。

ペッカ・ロトヨネンに電話をした。来週、会えるかもしれない。(ペッカは今から3年前、大滝村と札幌で開催されたクロスカントリ−スキ−マラソン に参加す るため来道し、その時、2日間、我が家に泊った人である)

4月16日(火)

今日は午後4時半にエヴァさんと待ち合わせして、シベリウス・アカデミ−P-buildingへ行った。カンテレ学科がある所である。私はそこで カンテレ のレッスンを受けた。今まで弾いていた手の形が違う。また、ジャンプの仕方も違う。多分、直すのに大分時間がかかるだろうな。新しい曲をまた貰っ た。とて もかわいい曲。早く弾けるようになりたい。(シベリウス・アカデミ−には、T-building, R-building P-building の3つの 建物がある)

ペッカさんから電話がくる。来週の金曜日に我が家へ来ることになった。楽しみ!!

4月17日(水)

今日、午後1時からミンナさんの家で5弦のカンテレのレッスンを受けた。大聖堂のすぐ近くだった。ミンナさんのレッスンは楽譜を使わず、フィンラ ンド民謡 のモチ−フを使い、即興演奏をする。ミンナさんが15弦のカンテレで演奏をしてくれた。ビデオに収める。

夜、シベリウス・アカデミ−のホ−ルでピアノのコンサ−トがあった。エヴァさんから薦められていたので聴きに行った。フィンランドの若い新鋭のピ アニスト だと思うが、時々フォルテのところなど力任せに弾き、音が汚かったが、カンタビ−レ奏法などは素晴らしかった。プログラムはオ−ルショパン。

4月 18日(木)

今日は朝からとても良いお天気。午前中少し練習してから、近くのス−パ−へお買い物に行った。洗顔クリームを買いたかったけれど、とうとう分から なかっ た。帰ってきて直ぐに電話のベルが鳴った。3月にロバニエミでガイドをしてくれた吉野純子さんからだった。嬉しかった。明日、会う約束をした。

午後6時半からシベリウス・アカデミ−T-buildingでリトバ先生門下生のミニ・コンサ−トがあった。聴衆は30人もいたろうか?でも演奏 者はどの 人も素晴らしかった。全てが現代曲。そしてエストニアとスロベニアのカンテレも初めて見た。スロベニアの演奏の時、楽器の置き方が反対だった。 (高音が手 前)フィンランドでもこれらのカンテレを見たり、聴いたりすることは滅多にないという。たまたま、偶然この時期、彼女たちは3ヶ月間の短期留学に 来ていた という。私は演奏を聴くことができて本当にラッキ−だった(写真8,9)。

  オウティさんから電話が来た。明日2時半に大聖堂の前で会う約束をした。
(オウティさんは昨年9月まで北海道大学に1年間留学していた) 



4月19日(金)

  今日、オウティさんと吉野さんに会った。吉野さんに洗顔フォ−ムなど売っている所を教えてもらった。フィンランドへ来て沢山の方々にお世話になっ ている (写真10)。

4月 20日(土)

今日は、カンテレ・ユニオン創立25周年記念音楽祭に出席するためにヨエンス−へエヴァさんと一緒に行った。ヴァンタ−空港から約40分位経つと 飛行機の 下の風景が変ってきた。ヘルシンキはもうすっかり雪がないのに、この辺はまだ雪が大分残っている。エヴァさんが「ヨエンス−はきっとまだ寒いよ」 と言って いたが、とても暖かかった。

カンテレ・ユニオンの総合マネ−ジャ−イズモさんの家族と一緒にオペレッタを観た。ミンナさんも来ていた。オペレッタはカンテレを題材にしたもの で、フィ ンランド語だったけれど、時々言葉が分かり、面白かった(写真11)。

ハンヌ・コイステネンに会う。とてもハンサムだった。ハンヌは私のコンサ−トカンテレを造ってくれた人である。カンテレ製作者ではフィンランドで 第一人者 なので、もっと年を取った人かと思ったら、とても若いのでびっくりした。リトバ先生の弟である。


4月 21日(日)

エヴァさんと一緒に朝食を取る。その後、エヴァさんは練習。私は一人でホテルの周辺を散歩した。カレヤランタロという建物があったので、入ってみ た。でも カレワラの資料などほとんどない。地下では古いCDやレコ−ドなどを売っていて、たくさんの人が来ていた。CDなどを買うのに入場料が必要で3ユ −ロ払っ た。

午後、カンテレ・ユニオン創立25周年記念パ−ティがあり、私も参加させて頂いた。ケ−キ、カレヤラン・ピ−ラッカ、コ−ヒ−、紅茶、ジュ−スと いう簡単 なおもてなしだったが、可愛いい子供たちの5弦のカンテレ演奏やハンヌ・コイステネン親子の演奏などがあった。息子のアントンは天才的だった。カ メラなど を向けるとすぐにポ−ズをとる。慣れているのだろう(写真12)。

午後4時からはコンサ−ト。ソロやアンサンブルがあり、さすがエヴァさんの演奏は抜群。南先生(北海道教育大学教授)がエヴァさんの為に作曲して くれた曲 を演奏した。でも、民族学科のサラさんの15弦の演奏もなかなか良かった。ステ−ジの床に直接あぐらをかくようなスタイルですわり、その中にカン テレを抱 え込み、時々宙をみたり、客席を見ながら演奏した。なんとも神秘さが漂った。エヴァさんはクラシックスタイルの演奏だから、決して客席などみない で弾く。

私はヨエンス−でカンテレ・ユニオンの総合マネ−ジャ−であるイズモさんやその家族、そしてたくさんのカンテレ奏者と知り合いになれた。全てエ ヴァさんの お陰である。リトバ先生とも親しくお話しをすることが出来た。「あなたは本当にラッキ−ですね。フィンランドでもこんなにカンテレのコンサ−トが あること はありませんよ」とおっしゃった(写真13,14)。



 
4月22日(月)

エヴァさんと一緒にロヒヤへ。疲れた!!レッスン風景をビデオに収めた。今日でここに来るのは2回目なのでレッスンに通う生徒や職員の人達にも少 しずつ慣 れてきた。

4月 23日(火)
 
今日はお買い物日。お土産はこれで大体買った。重い荷物を持ってたくさん歩いたから、疲れた。フィンランドは石畳が多いので、足が痛くなる。

4月24日(水)

今日、ミンナさんのところへ5弦のレッスンに行った。あ〜弾けない。練習しなければ。土曜日もレッスンをしてもらえることになった。

午後6時からカンテレのコンサ−トがP-buildingであったのでそこへ向かった。バスを間違えてしまった。歩いて歩いて足が痛くなった。豆 ができそ う。も〜止めた。もう どうしてこんなに歩かなければならないの?楽しみにしていたコンサ−トだったけれど、聴かないで帰ってきた。

  2週間目に入り、生活にも大分慣れてきた頃だったので、確認がちょっと足りなかったと思う。シベリウス・アカデミ−には3つ建物があるが、この P- buildingは一番遠くに有り、ヘルシンキ駅から西へ20分くらいバスで行く。エヴァさんの寮の近くにあって、降りた所が、以前に来た時と似 ているよ うでいて、違っていた。行ったり来たり、何度もした。ここは歩道がアスファルトではなく砂利道である。札幌から履きなれた靴を履いて来たつもり だったが、 どうやら、歩き過ぎたようだった。とにかく疲れた。足をひきずりながら家へ帰った。

  ■ 4月25日(木)

今日は私のholiday。昨日の歩き過ぎで、足が痛い。豆ができそうである。もう今日は必要以外は歩かないことにしよう。そろそろ荷物をまとめ て帰る準 備をしなくちゃ。郵便局へ行ってきた。送料の高いのにはびっくりした。Economyで送ることにした。

4月 26日(金)

今日は3時半からエヴァさんの家でレッスン。新しい曲をもらった。パ−カッションの要素が入った素適な曲「Vanille」である(写真15)。

ペッカさんと4時半に会う。3年ぶり。彼のおばさんの家へ行く。おばさんは正装をして、日本語で「ようこそいらっしゃいました」と出迎えてくれ た。感 激!!何年か前に日本語を習ったという。カレリアン・ピ−ラッカやケ−キなど全てが手作りのものだった。フィンランドの人達の生活は質素だけれ ど、どこへ 行ってもとても心がこもっているような気がする。息子さん夫婦も来てくれた。とても良いfamilyだった(写真16)。 

 今日、Economyで荷物を送った。46ユ−ロだった。意外と安かった。もう一つ送ろう。

4月 27日(土)

ペッカさんが10時に迎えに来る。ペッカさんの美人のお友達と3人でエスプラナ−ディ通りでコ−ヒ−を飲み、朝市へ行った。又、たくさん歩いた。 ミンナさ んのところで1時から5弦のレッスン。楽しかった。コイステネンのカンテレはやはり音が良い。レッスンの帰り、いつもヘルシンキ駅から地下鉄を 乗っていた が、今日は、一つ手前のカイサニエミ駅から乗った。地下歩道を一歩入ると、素適な歌声が聴こえて来た。コ−ラスかと思ったら、南ロシアからきたと いう二人 の女性だった。この地下歩道の中はとてもよく響き、エコ−になって、それが重なり合いコ−ラスの様になって聴こえたのである。周りを見渡すと、岩 盤がむき 出しになっており、天井がとても高かった。素晴らしいアルトだった。彼女たちの歌を聴いているうちに目頭が熱くなった。この歌声、この響き、音楽 てなんて すばらしんだろう。この様な場所でもこんなに素晴らしい音楽を聴くことができる。いいな、なんだか、私のこの旅が、本当に幸せなラッキ−な3週間 だったこ とを改めて感じる。たくさんの人と出会い、たくさんのコンサ−トを聴き、たくさんレッスンを受けた。

私は投げ銭10ユ−ロ−を箱に入れた。

4月 28日(日)

今日はウルフケッコネン博物館へエヴァさんのカンテレを聴きに吉野純子さんと行った。カンテレ科の人がたくさん出演するのかと思ったら、ヴァイオ ンとカン テレ一人ずつだった。曲はsoimisesta.これで2回聴く。札幌でリサイタルの時に弾く曲(写真17,18)。
 
今日、これからエヴァさん、上山さん、雅子さん、テロ、吉野さん達がきて、home Partyをする。楽しみ!

すごいごちそうだった。久しぶりに美味しいものをたくさん食べた。えびと豚のスペアリブがとても安かった(写真19)。

4月 29日(月)

ロヒヤで最後のレッスンをした。新しい曲を2つもらった。シベリウスの曲とシチリア−ノ。私の大好きな曲だ。また、楽しみが増えた。ロヒヤの帰 り、エヴァ さんと二人で喫茶店で軽食をとった。私のカンテレ武者修行も今日で終わり。毎日、とにかくよく歩いた。最初の2週間は毎日プログラムがあり、それ をこなす のに必死だった。2週間目から少し疲れが出てきて、もう少し、もう少しと、頑張った。外国で生活するということはなんと大変なのだろうと実感し た。随分た くさんのことを経験した。また、来年、来ることができたらいいな。

(このページは、北海道フィンランド協会の 佐藤美津子さん からお寄せいただいた滞在記です。)

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