© 2004, Mitsuko SATO
「カンテレ武者修行 part
II」
2004年7月6日〜20日
佐 藤 美 津 子
■7月6日(月)
念願だったカンテレミュ−ジックキャンプに参加するため私は札幌を離れた。また夫を家に一人残して行くという多少の罪悪感を心に残しなが
ら・・・。
■7月7日(火)
成田空港の搭乗口で「佐藤さん、またフィンランドへ行くの」と声をかけられた。誰だろうと思ったら、今から2年前の北海道フィンランド協会の25
周年記念
ツアーの時にラップランドでガイドをしてくれた吉野純子さんだった。この2年ばかりの間にフィンランドへは3回行ったが3回とも一人旅。空港で一
人で手続
きなどをすると、何とはなしに一抹の不安を覚える。そんな時に一人でも顔見知りの人に出会うとホッとする。でもフィンランドまでの約9時間ばかり
の空の旅
はお隣に座ったご夫妻とすっかり仲良しになり、退屈することなくヴァンタ−空港に着いた。空港にはエヴァさんが出迎えてくれた。そして何と6月
10日から
イロマンチのカンテレミュ−ジックキャンプに参加していた大西さんが今、帰りの手続きをしているとの由。
3人で空港の喫茶店で1時間ばかりおしゃべりをした。大西さんは大変充実したキャンプだったようで興奮して色々お話してくれた。夜は氏家雅子さ
ん、テロ・
サロマ−さん、そして今北海道教育大学札幌校からシベリウス・アカデミ−に留学中の上山さん、ホルン奏者の方、ピアノ科の方達と一緒に夕食を食べ
た。フィ
ンランドに着いてからも日本語だけで話せるなんてなんて幸せ。世界が小さく感じた。
*テロさんは10数年来の私の知人、氏家雅子さんはテロさんの奥様
■7月8日(木)
昨夜、雅子さんから相手の携帯電話がiモ−ドであればフィンランドのパソコンからでもメールを送ることが出来ると聞いた。ストックマンデパートの
向かいの
アカデミア書店に行けば、日本語が使えるパソコンがあるということも聞いたので、早めに朝食を済ませ、書店に向かった。だが、店員に聞いたけれ
ど、日本語
が使えるパソコンはなかった。がっかり。その後、朝市に行ってみた。相変わらず沢山の市民と観光客でにぎわっていた。どのお店にも真っ赤に熟れた
イチゴが
たくさん売っていた。フィンランドのイチゴはどんな味かなと思い、2パック買って一つつまんでみた。とてもすっぱかった。1パック5ユーロもし
た。(日本
円に換算すると700円弱かな)そして残りのイチゴは昨日お世話になった雅子さんの所へ持って行った。ホテルへ戻り、ミッケリへ行く準備。12時
30分発
のクオピオ行きのバスに乗り込んだ。ミッケリまでは約4時間ばかり。ミッケリのバス停には川上セイヤさんがニコニコして待っていてくれた。嬉し
かった。セ
イヤ宅はミッケリから約30分位離れたLasakoski(ラサコスキ)という所にあった。セイヤ宅にはドイツからお里帰りしていた妹さんシルピ
がいて、
お夕飯の支度をしていてくれた。じゃがいものサラダがおいしかった。食事の後、サマーハウスに向かった。セイヤさんの家から約1.5km離れてい
て、二人
でのんびりとおしゃべりをしながら歩いた。セイヤさんが白樺の木でサウナを炊いてくれた。サウナに使う水はすぐ側の川からポンプでくみ上げる。
うーん、こ
れが本もののサウナか。その夜はビールを少し飲んだら眠気が襲い、私は深い眠りの中へ。
*セイヤさんは私のフィンランド語の先生。夏はフィンランドで過ごし冬は札幌で過ごす
■7月9日(金)
朝4時に目が覚めた。外に出てみた。セイヤさんのサマーハウスのすぐ目の前は結構流れの速い川が流れている。かもの親子がさあ-っと流れて行っ
た。セイヤ
さんのお話だとこの川には夜になるとコウモリが来て蚊を食べるのだそうだ。コウモリはとても可愛いと言っていた。また、ビーバーも来るということ
である。
セイヤさんはお野菜も少し育てていた。この畑には鹿やウサギがこのお野菜を食べに来るという。苦々しそうに話していた。
朝食はまたセイヤ宅に戻り、シルピも一緒に食べた。その後、3人でこの村の観光に出かけた。30分も歩いたろうか。ここはKoskentie
(コスケン
ティエ)という。Koskenというのは濁流という意味である。セイヤさんは私にこの濁流を見せたかったらしい。北海道フィンランド協会にはフィ
ンランド
を紹介する本がたくさんあるが、その中によく出てくる光景が目の前に広がった。森の中にゴーゴーと流れる川があった。これがフィンランドの自然な
んだ。ま
だ未開の雄大な自然である。
その後、また家に戻り昼食の準備。メニューはスパゲッティとサラダ、赤ワイン。白樺の葉がそよぐ風にきらきらとゆれ木洩れ日が時々のぞく庭で、私
達はフィ
ンランド語と日本語のミックスで色々おしゃべりをしながら昼食を楽しんだ。私がフィンランドに来る前の日までは毎日雨が降りとても寒かったのだそ
うだ。今
日は本当に良いお天気。私はしきりに「Mina toin auringon Japanista
(私は日本から太陽を持って来た)」と言った。遅い昼食の後、また3人で別荘へ戻った。川の桟橋でセイヤさん手作りのケーキとコーヒー。太陽が燦
燦と降り
注いでいたので、川の中が透き通って見え小さな魚が沢山泳いでいた。川のせせらぎと鳥の鳴き声を聞きながらのティータイム。大自然に抱かれてゆっ
たりと時
が流れていく。夜中1時頃目が覚めたので外に出てみた。廻りは暗闇ではなく薄暗いという感じだった。蚊を食べに来るというコウモリを見てみたかっ
たがあい
にくこの日は来なかった。残念。
■7月10日(土)
今朝、川の水で顔を洗った。とても気持ちが良かった。セイヤさんの別荘とも今日でお別れ。セイヤさんの家からバス停まで約1km。道路が舗装され
ていない
のでセイヤさんは私の大きなトランクを一輪車に載せてバス停まで運んでくれた。セイヤさんありがとう。そしてセイヤさんと「秋にまた札幌で会いま
しょう」
と約束をして別れた。バスに乗る際、シルピさんが「カンガスニエミという町を通るからその時は絶対に居眠りをしないでぜひ見て行ってください」と
言われ
た。2,30分もするとカンガスニエミだった。カンガスニエミは森と湖を象徴するところだった。沢山の湖、湖上に浮かぶ白い帆船、湖岸に点在する
赤と白の
コントラストの可愛い家々。本当に美しい町であった。時間があればバスから降りて散策をしてみたかった。約1時間半でユバスキュラに到着。そこか
らまた乗
り換えて約1時間半でオリベシに到着。そこには水本さんの友人のユッシーさんが車で迎えに来てくれることになっていた。ユッシーさんとは一度も面
識がな
かったのでどんな人なのか少し不安があったが、すぐに分かった。彼はとても温厚そうで素敵な青年だった。約30分でルオベシに着く。
その日、ルオベシはお祭りで沢山の小さな出店が出ていた。そして幌加内町からそば職人の方達が来ていてそばを売っていた。ふと見るとなつかしいオ
ウティさ
んがボーイフレンドと一緒に来ていた。
そして3人でガッレン・カレラが約10年間住んでいたというアトリエに行った。本当に森の中の一軒家だったが、すぐ下には大きな湖が果てしなく広
がってい
た。ガッレン・カレラはこの雄大な自然の中で生活をして、そしてたくさんの絵を書いていたんだなと思うと感慨深かった。この日の6時から村の小学
校の体育
館で三味線のコンサートがあった。このグループはユッカさんが帯広から招聘したという4人組の女性のグループであった。日本にいてもなかなか三味
線だけの
コンサートなど聴く機会がないのになんとフィンランドの小さな町で聴くなんて。面白い!!!
夜、ユッシさんの家のサウナに入った。そこは古いサウナで廻り
の自然にすっぽりと溶け込んでいた。サウナのすぐ裏はもう湖である。サウナで温まった身体を冷やすのに戸外へ。人の声や車の音など一切の雑音は無
い。大き
な湖面には森の影が映り、時々鳥の鳴き声だけが聴こえる。なんという静けさだろう。太古のフィンランドもこの景色ときっと同じだったに違いない。
家に戻る
とユッシーさんと水本さんが帰っていて二人でウィスキーの水割りを飲んでいた。その後、4人で歓談。通訳付きだから色々なお話ができて楽しかっ
た。12時
頃眠りについた。(水本さんは現在北海道フィンランド協会でフィンランド語の講師をしている。オウティさんは今から3年ほど前に北海道大学に留学
生として
来たことがあり、札幌に1年間滞在する)
■7月11日(日)
朝、6時半に目が覚める。もう皆起きていた。6歳のヨーナスが私の拙いフィン語を聞いて「Mina ymmarran
(僕 分かるよ)」と言ってくれた。とても可愛い少年である。私は日本からヨーナスにけん玉をお土産に買ってきた。とても気に入ったみたいで約1
時間近く
それで遊んでいた。6歳のヨーナスにはちょっと難しそうであった。それでも1時間以上すると何回かに1回は上手に玉がのった。ヨーナスは
「katso(見
て)」と叫んでお母さんや私に見せにくる。
遅い昼食の後、私達は皆でユッシーのお父さんの家へ遊びに行った。ユッシーの家からは500m位離れている所に彼らは住んでいた。ケーキとコー
ヒーをご馳
走になった後、家の中を案内してくれた、2階にははた織器があり家のマットやテーブルセンターは全部お母さんの手作りということである。ユッシー
とヨーナ
スはサウナの用意を始めた。ヨーナスが一生懸命に父親のお手伝いをする姿がとても微笑ましかった。夕方、お隣のお父さん、お母さんも一緒に湖の側
で炭を起
こしてクレープを焼いて食べた。向かいの岸辺にサウナを持っているというおじさんが裸で船を漕いで通り過ぎていった。何とも自然体そのものであ
る。
■7月12日(月)
夕べ、3回もサウナに入ったせいかとても疲れた。そして何だか知らないがとても興奮をしていて寝付けなかった。フィンランドに来てから毎日サウナ
に入って
いる。セイヤさんのお宅でもユッシーのお宅でもサウナは湖や川のすぐ側にありそしてその水を使っていた。身体や髪を洗うのもそれらの水であった。
日本でそ
んなことをするとすぐに保健所から苦情がきそうである。
11時頃ヨーナスとおじいさんは自宅のすぐ裏にある大きな湖に船に乗って魚釣りに出かけた。毎日の日課だそうだ。20cmくらいの長い魚と小さな
魚を何匹
か釣ってきた。この長い魚はハウッキといってヨーナスの大好きな魚である。お母さんはこの魚をムニエルにして昼食に出してくれた。小骨が多かった
が新鮮
だったのでとてもおいしかった。夜はルオベシのホテルに宿泊した。
■7月13日(火)
ルオベシからイカリネンまでどうやって行こうかととても悩んでいた。車で移動すると約1時間。バスを利用すると一度タンペレまで行って、そこから
イカリネ
ン行きのバスに乗り換えなければならない。待ち時間も合わせると4,5時間はかかりそうである。この重いトランクを抱えて移動するのはちょっと大
変であ
る。水本さんがユッカさんに頼んでくれて、娘さんのシリヤが車で送ってくれることになった。フー良かった。シリヤは今から10年ほど前に家族で旭
川に約5
年間、東京に2年間住んでいた。旭川在住の時に一緒にクロスカントリースキーをしたことがあるからよく知っている。そして彼女は日本語が話せるか
ら言葉の
不自由も何もない。9時にユッカさんがホテルに迎えに来てくれた。そしてユッカさんの会社「そば タッタリ」を見学させてもらった。今、フィンラ
ンドでは
小麦粉アレルギーの人が多いのだそうだ。ユッカさんはそこに目をつけて、幌加内からそばの種を輸入し栽培しているということである。この工場では
そば粉を
作ったり、そば粉でニョッキ(マカロニの1種)を作るということで、機械はイタリアから輸入したということである。私のホームスティをしてくだ
さったユッ
シーさんも小麦粉アレルギーで普通のパンは食べなかった。奥さんがそば粉で作ったパンを焼いてくれたがとてもおいしかった。
10時過ぎシリアが私の為にタンペレからかけつけてくれた。4,5年会っていなかったが、今18歳ということでとても魅力的な女性に成長してい
た。
シリアが乗ってきた車は18年前の日産のサニーで時々エンジンが止まり動かなくなることがあったという。フィンランドは平地が多いのだが珍しくこ
の辺は丘
が多い。坂道になるとスピードが落ち、エンジンの調子がおかしくなり異様な音が出る。「無事イカリネンまで着きますように」と二人で願いながら森
の中を走
らせた。何度も異様な音がしたけれど何とか無事にイカリネンのホテルにたどり着いた。ホットした。ホテルに入り、手続きを済ませると「甚平」を着
た外国人
が日本語で「こんにちは」と声をかけてきた。びっくりした。シリアがタンペレに戻ったら私はフィンランド語か英語でなければコミニュケーションが
出来ない
かと思っていたので、彼に声をかけられた時は本当に救われた思いだった。
ここはフィンランドでも有名なリゾート地で私の泊まるホテルはとても大きかった。フロントで手続きを済ませた後、私はシリアと二人で部屋を探し
た。二人で
重いトランクを引っ張りながら「どこまで行けば私の部屋はあるんだろうね」と言いながら歩き続けた。本当に遠かった。部屋を探しながら歩いたので
きっと
20分位は歩いたと思う。
午後3時からホテルの会議室で開会式。その後、各コースに分かれてオリエンテーション。そしてその後すぐにレッスンが始まった。私が最初にもらっ
た曲は
「Elagia」多分英語では「エレジー」日本語訳では「悲歌」だろうと思う。作曲者はマッティ・ポケラ。伝承曲なのに現代曲風にアレンジしてあ
る。カン
テレの魅力はここにある。2000年も昔から伝わる民族楽器なのに現代曲がテクニック的に非常にマッチするから不思議である。マッティ・ポケラは
天才的だ
と思う。
■7月14日(水)
このミュージックキャンプはカンテレだけではなく、むしろクラシック楽器のピアノ、ヴァイオリン、ビオラ、チェロなどの参加者が多い。そしてこの
ピアノ
コースの指導者はフィンランドでも大変高名な先生がいらしているということである。多分、将来音楽家を目指している親子が参加しているのだろう。
昨日甚平
を着たフィンランド人の子供「えりか」もこのピアノコースである。えりかのお母さんは日本人でお父さんと二人でこのミュージックキャンプに参加し
ていた。
目がパッチリしていてとても可愛い。因みにこの度のこのミュージックキャンプの参加者は全部で47人。カンテレ受講者は私を含めてたったの3人で
あった。
39弦のレッスンをしている時に、このキャンプの主催者とカメラマンが入ってきた。私がレッスンを受けている所の写真を何枚も撮っていった。一
体、何に使
うのだろうか? En tieda(私は知らない)
■7月15日(木)
13日、14日と2日間レッスンが続いたが、今日は先生の都合でレッスンはお休み。レッスンがある日は1日がとても忙しい。まず、練習をしなけれ
ばならな
い。そしてレッスン。その後また練習。その間食事もしなければならない。私の部屋はフロントやレストランから600m位離れている。片道約8分近
くかか
る。往復約1km以上は歩く。日本は土地が狭いから建物などは高層建築だがフィンランドは土地が十分にある。だから建物はせいぜい4階位止まりで
横に広
がっている。行ったり来たりするのにとても時間がかかる。いつも部屋から出る時は忘れ物をしない様にチェックを必ずする。ま、そんなんでこのホテ
ルに着い
てからゆっくりと歩いたりする時間も精神的な余裕もなかったので、今日は少し散策してみることにした。早めに練習を済ませ、キュロス湖を歩いてみ
た。この
キュロス湖はとても大きい。ふと見ると湖岸に船が停泊していた。遊覧船だと思い乗り込んだ。乗客は私を含めて3人。エンジンがかかって動き出した
途端、急
に不安になった。この船は本当に遊覧船なのだろうか?あわてて私は「この船はまたここに戻ってくるのか」と聞いた。船員の方はとても人なつこく英
語で親切
に説明してくれた。半分位は理解できた。アー良かった。約1時間の船の旅だった。
昼食を終えて部屋に戻って練習をしていたら電話がかかってきた。誰だろう。マサリン(甚平をきたフィン人)かなと思って日本語で話したら
「Please
English」と言った。どうやら私と「4時に会いたい」ということである。私はその時間にフロントの方に行ってみた。そしたら何と5弦のカン
テレを抱
えて2000年も昔のカレワラの世界から吟遊詩人が飛び出してきた様な人が私をめがけて走ってきた。話を聞いてみたら、何と昨日撮った写真が新聞
に大きく
載っていた。そしてこのミュージックキャンプのことを大きく取り上げていた。この人はこの新聞を見て私に会いに来たのだという。びっくり!!彼は
日本でカ
ンテレがどの程度普及しているのか知りたかったらしい。彼は自分でカンテレを制作しそして指導もしているという。私達は30分ほどおしゃべりをし
た。大き
な目、長い髪の毛、でもその顔はとても優しそうで芸術家の顔をしていた。5弦のカンテレで1曲演奏をしてくれた。素敵な曲だった。名前はラウノ・
ニエミネ
ン。住所とメールアドレスを教えてくれた。そして私の載っている新聞をくれた。「来年はどうするのか」と聞かれたので「多分イロマンチのキャンプ
に参加す
るかもしれない」と答えた。今、夜の10時。木々の間からは太陽の光が私に燦燦と注ぎ込んでくれている。
■7月16日(金)
今朝、6時頃目が覚めた。カーテンを開けてみると抜けるような青い空が広がっていた。イカリネンに来てからとても良いお天気に恵まれていた。今朝
から足の
裏が痛い。多分歩きすぎだろう。札幌にいると毎日こんなに歩いたことがないから。そんなんで今日は朝からずっと練習をしていた。一体何時間練習し
ただろう
か?きっともう6時間以上練習をしているかも知れない。(夕方3時頃)先日もらった楽譜の中にO.メリカントの「Soi vienosti
murheeni
soitto」という曲があったが、この曲はとても美しい曲である。何回弾いても飽きない。
ここはスパホテルである。私の部屋にはお台所が付いている。食器も包丁やそして花瓶までも備え付けられている。フィンランドでは夏休みが2,3ヶ
月ある。
多分長期滞在型の人達の宿泊施設なのだろう。その他プール、ジャグジーバス、サウナがある。初めてこのサウナに行った時のこと。このホテルにはサ
ウナの部
屋が3つあった。何人もの人達が同じサウナに入って行くので私も後からついて行ってみた。そこはスチームサウナだった。私と同じようにフィンラン
ド人もス
チームサウナが好きらしい。中は電気が何もついていなくてスチームでよく見えない。そして真ん中にロープが張ってあった。何だろうと思っていたが
少し時間
が経つと、ロープの向こうから男性の声が聞こえてきた。私はびっくりした。このサウナは男女混浴だった。でも何の違和感もなかった。脱衣室も一緒
の入り口
でそれも驚いた。私の住んでいる札幌にはこの様な所はない。
フィンランドの夏の1日は長い。今日は足が痛いのでお部屋からあまり出ていない。カンテレも少し弾き飽きてきた。今、夜の8時。外では元気に遊ぶ
子供の声
が聞こえてくる。寝るにはまだ早い。
■7月17日(土)
今日は5時15分からレッスン。やはりレッスンのある日は練習に明け暮れるから忙しい。メリカントの曲は大体弾けていたからレッスンにそんなに時
間がかか
らなかった。15弦の方はこのミュージックキャンプに参加しようと考えた時から基本的なことを習ってこようと考えていた。エイヤ先生が教えてくれ
た曲は私
たちが札幌で弾いていた時の運指方と違っていた。コード(和音)を弾く時に私達は下から上に持っていたけれど、エイヤ先生は上から下に向けて爪を
使って弾
いていた。私は「いつもこの様に弾くんですか」と聞いたら「その時によって違う」と答えた。そして「私は以前にノルウェーの人に15弦カンテレを
2,3回
レッスンをしたけれど、その後何ヵ月後には彼は自分で色々な奏法を生み出し、コンサートでとても上手に弾いていた。だからあなた達も好きなように
弾いても
良いですよ」と言ってくださった。
8時からこのキャンプに参加している人達の終了式とミニコンサート。何という自由さであろうか。聴いている人達もビールやジュースを飲んでいる。
又、1歳
や2歳くらいの小さな子供たちも参加していて演奏者の側で自由に遊んでいたりする。まあ、正式なコンサートでないからなのだろう。明日、私も演奏
すること
になった。このコンサートを終了後にレストランに夕食を食べに行った。そしたらこのキャンプの主催者の人やエイヤ先生もいた。エイヤ先生が「あな
たの載っ
ている新聞がインフォメーションに貼ってあるわよ」と言われたので行ってみた。なるほど、入り口の正面に貼ってあった。びっくり!!今日はたくさ
ん練習を
したし、15弦の基本的なことも少し理解できた。とても充実した1日だった。今、11時30分。そろそろ寝よう。
■7月18日(日)
今日は私もコンサートで演奏するので朝から少し緊張していた。でも演奏する曲は「さくら さくら」。札幌でも色々な会場で何回も弾いてきた曲であ
る。大丈
夫!!! 午後1時からコンサートが始まった。私の出番はかなり後ろの方。昨夜とは違ってフォーマルなコンサートである。皆、きちん聴いている。
演奏は私
としてはまあまあ。
コンサート終了後エイヤ先生が「Mitsuko, nice
feeling! あなたが弾いている時、えりかが一緒に歌を歌っていたわよ」と言った。えりかが近寄ってきて「日本の曲だったね」と嬉しそうに
言った。
嬉しかった。えりかは日本・フィンランド人のハーフのせいか6歳だけれど父親にとても気を使っていることがある。以前に私が「日本とフィンランド
とどっち
が好き?」と心ない質問をしたことがあった。えりかは最初は「日本!」と目を輝かせて答えたけれど、その後父親の顔を見ながら「ううん、フィンラ
ンド」と
少し目を伏せて答えた。私は言ってしまってから「しまった。こんなこと聞かなければ良かった」と後悔した。まだ6歳だけれど色々な思いで日本と
フィンラン
ドを感じているんだなと思った。コンサート終了後、えりかのお父さんもとても嬉しかったらしく満面の笑みを浮かべて「どうもありがとう」と言って
下さっ
た。私は「この曲を弾いて良かった」と心から思った。その他、聴きにいらしていた人達からも「キートス」とか「ありがとう」と声をかけられた。
「さくら
さくら」は日本の心の故郷の曲である。
これで全部のプログラムは終わり。なんだか全身から力が抜けていく様である。明日は重いトランクを抱えて日本へ帰らなければならない。エイヤ先生
が練習用
に借りていたカンテレを持って帰ったのでもう練習も出来ない。テレビをかけても時々分かるけれど全部が理解できないからつまらない。フロントに行
けば誰か
知っている人がいると思うけれど英語で長時間の会話は疲れる。早く明日にならないかな。フィンランドの夏の1日は本当に長い。
■7月19日(月)
さあ、今日は日本に帰ろう。参加者の私以外はほとんどの方達がフィンランド在住だったので、昨日のコンサート終了後に自分の家に帰って行った。バ
ス停まで
主催者のペッカさんと娘さんが見送りに来てくれた。「また来年も来る事が出来るかなあ・・・。もし来年もまた来ることができたら、他の日本人も連
れてきた
いな」とそう思いながら、ヴァンター空港行きのバスに乗り込んだ。
■7月20日(火)
朝9時頃関西空港に到着。大阪はとても暑かった。手続きを済ませて携帯電話から家に電話をかけてみた。夫が出て千歳空港まで出迎えてくれることに
なった。
いつもながら親切な夫である。2週間の私の旅は終わった。前回の「カンテレ武者修行」の時はヘルシンキで主に生活をしていたけれど、この度は小さ
な町を転
々とした。小さな町に行くと英語も通じなくなりフィンランド語のみになるから少し心配だった。でも今回のこの旅でフィンランドの色々な事情も少し
分かった
し度胸もついた。そしてどこの町に行っても親切にしてくれる人達がたくさんいた。本当にたくさんの方達にお世話になった。皆さん、どうもありがと
うござい
ました。感謝!!!
カンテレに音色に惹かれて5年の歳月を経た。そして同時に振興・普及活動を始めた。私の重
要なこと
はカンテレ奏者のエヴァ・アルクラさんを毎年招聘してコンサートを開催しまだこの楽器を知らない人達にこの楽器の魅力を広めることである。また後
進を育て
ることも大事なことである。私の技術はまだ未熟ではあるけれどこれからも精進していきたいと思っている。来年また「カンテレ武者修行パート
III」を書く
ことができたらこんな嬉しいことはない。
(このページは、北海道フィンランド協会の
佐藤美津子さん からお寄せいただいた滞在記です。)