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2012/04/14 |
年 |
ガラス 乾板 |
折り畳み 二眼レフ |
中判ミラー シャッター機 |
35mm 一眼レフ |
中判 一眼レフ |
備考 |
1920 | Patent Etui | ハンドカメラの名機。ガラス乾板カメラ。120フィルムも使用できる。皆川
商店の First Etui の原型。 |
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1931 |
Pilot | ベスト半裁(3x4cm)の小型二眼レフ。スプリングカメラ的なカメラ。 |
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1932 |
Pilot
box |
120フィルムを使った 6x9 一眼レフ。 |
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1936 | Pilot
6 |
世界最小の中判一眼レフ(6x4.5 と 6x6)。ミラーシャッター。 |
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1938 |
Praktiflex | 35mm一眼レフ。M40マウント。1947の最終モデルでM42マウント
に 変更。Asahiflexの原型。 |
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1939 |
Pilot super | Pilot 6 の後継機。レンズ交換可能。露出計も装備 | ||||
1949 |
Praktica |
Praktiflex の後継機。M42 マ ウントのはじまり。後継機は FX, FX2, FX3
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1952 |
Praktina |
Praktica の後継機。カメラのシステム化。 |
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1957 |
Praktisix | 6x6中判一眼レ フ。ペンタコ ンシックスマウントのはじまり。 | ||||
1959 | Praktica IV |
ペ
ンタプリズムを 持つ。Contax S や Pentacon の流れも汲む。後継機は V |
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1964 |
Praktica
nova |
VEB Pentacon が製造。後継機は PL, L, B, BX |
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1966 |
Pentacon Six |
VEB Pentacon が製造。後継機は II, TL |
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1980 |
Kiev 6 |
Arsenal が製造。後継機は Kiev 6C, 60,
88CM。Arsenal はソ連崩壊後、Arax という会社になり Arax 60 を製造。 |
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1986 |
Exacta 66 | Ihage West が製造。後継機は II, III |
Praktiflex SLR (1939.3〜1949.9) |
M40 スクリュー。1 -
1/1000。設計 Alois Hoheisel, Siegfried Böhm (1946,7-) 簡易のリターンミラー機能あり。ウェストレベルファインダー機。 1940年からストラップホルダーが付く。 第2世代で刻印やノブの形状変更。M42マウント機も出てくる。 |
Praktica (1949.10〜1952.8) |
M42
スクリュー。1/2 - 1/500。設計 Siegfried Böhm、 簡易リターンミラーは廃止(?) ファインダー周りと額部分のデザイン変更。 ウェストレベルファインダー。折りたたむとほぼペタンコ。平面真ん中にKWのロゴがある。 ファインダーの上に専用アイレベルファインダー(ペンタプリズムユニット)を装着できる。 第1世代: フラッシュシンクロ接点は無い。 第2世代: F接点とX接点が底面に付く。 第3世代: F接点とX接点が前面左手に付く。 |
Praktica FX (1952.9〜1955.7) |
第3世代の Praktica
と同スペック、同デザインだが、FX接点があることを示す名称に変更。 輸出モデル名は Praktiflex FX。 つまり、Praktica (3rd gen.) = Prakitica FX = Praktiflex FX |
Praktica FX2 / FX3 (1955.8〜1959.6) |
ファインダー周りと額部分のデザイン変更。設計
Siegfried Böhm ウェストレベルファインダー。折りたたむと波のような曲面を成す。曲面には3本のリブが入る。 ファインダーの上に専用アイレベルファインダー(ペンタプリズムユニット)を一体装着できる。 FX3は FX2 の輸出モデル名。variation 多数。 |
Praktica IV / V (1959.6〜1966.1) |
Zeiss Ikon と合併してできた人民公社 KW の製造。設計 Horst
Strehle。 Contax S (1949-) や Praktina (1952-) の後継機にあたり、アイレベルファインダー機になる。 Praktica 名であるが、KW の Praktica とは別物。 |
1915 |
Kamerawerkstatt Paul Guthe Dresden |
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Paul Guthe がドレスデンで創業 | ||
1918 |
第一次世界大戦でドイツ敗戦。 |
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1919 |
Kamerawerkstäiten Guthe & Thorsch GmbH
(KW) |
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Paul Guthe と Benno Thorsch の共同経営となる。 | ||
1926 |
Carl Zeiss 財団の働きかけで、Ika, Goeritz,
Contessa Nettel, Erneman が Zeiss と合併し、Zeiss Ikon
社となる。合併に加わらなかったのは、KW, Kochmann, Vogtlander, Rollei など。 |
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1937 |
Paul Guthe はスイスへ移住。 |
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1938 |
Kamerawerkstätten Charles A. Noble (KW) |
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Benno Thorsch はアメリカへ移住。米国の Charles A. Noble へ KW 売却。 | ||
1941 |
第二次世界大戦勃発 |
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1945 |
2/14-15 ドレスデン
空襲。ドイツ敗戦。米英仏露に分割占領され
る。ドレスデンは、ソ連の支配下に おかれ、多くのカメラメーカーが接収される。Zeiss
Ikon 社もドレスデンに本社があったため、Carl Zeiss Jena (東
独ツァイス)
として存続したが、アメリカの保護を受けた従業員らはオーバーコッヘンに逃れ、そこでCarl Zeiss Opton (西
独ツァイス) を設立。このため、ツァイスも東西に分かれた形となった。 |
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1946 |
Charles A. Noble とその息子 John はシベリア抑留される。 | |
1949 | 東西ドイツに分離。 | |
1953 |
VEB Kamera Werk Niedersedlitz (KW) |
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KW は人民公社(VEB)となるが、まだ独立した会社だった。 | ||
1959 |
VEB Kamera- und Kinowerk Dresden (KW) | |
東独ツァイスのカメラ部門である VEB Kinowerke Dresden と合併。独自性が失われる。 | ||
1964 |
VEB Pentacon Dresden Kamera- und Kinowerke
(Pentacon) |
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KW の名が入っているが、ペ ンタコン社と呼ばれるようになり、実質的に KW の名が消失。 | ||
1989 |
11/9 ベルリンの壁崩壊。 |
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1990 |
10/3 東西ドイツ統一。VEB Pentacon 消失。 | |
1990 |
Kamera Werk Dresden (KW) |
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John H. Noble によって創業される。Noble
の名を冠したパノラマカメラ Noblex を製造。John は2007年没。 |
Camerapedia.org | : |
Flickr にできたカメラ専用の wikipedia。 |
Mike's Praktica Home | : |
ドレスデン在住のコレクターHP。プラクチカが中心。文献などの網羅もしていて詳しい。 |
Praktisix Story -P6 の憂鬱- | : |
プラクチシックスシリーズのみを紹介。修理方法などまで取り上げている。 |
Praktisix
& Pentacon six |
: |
Communist
Cameras という HP の一部。マニュアルがPDF で入手できる。 |
The Pentacon Six
System |
: |
ペンタコンシックスのみをとりあげたHP。レンズの情報がすごい。 |
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